そこにあったはずの愛
第二十三話 拍子抜け
駅の明かりが、少しずつ近づいてくる。
その光を目指して歩きながら、玲依は隣を歩く凛の気配を、意識せずにはいられなかった。
そろそろ、帰る時間だった。
けれど、その先にある選択肢を、どちらも口にしないまま、足音だけが夜の路地に響いていた。
改札の明かりが、白く滲んで見えてくる。
その手前で、凛の足が、ふと緩やかに止まった。
――
「今日は、帰る」
軽い調子だった。
まるで、天気の話でもするような、何でもない口ぶり。
玲依は、一瞬、その言葉の意味を掴みかねた。
帰る。
その二文字が、こんなにも重い意味を持つとは、思ってもみなかった。
三年間、こんな終わり方を、一度もしたことがなかった。
会えば、体を重ねて、それから帰る。
それ以外の型を、この関係は持っていなかった。
なのに今、目の前で、その型が静かに崩れていく。
――
「そう」
短く、それだけ返すのが精一杯だった。
拍子抜け、という言葉が、頭の隅をよぎった。
もっと違う流れになると、無意識に思っていたのかもしれない。
いつも通り、部屋に誘われて、いつも通りの夜になる。
そう思っていた自分に、今更ながら気づかされる。
胸の隅に、微かな物足りなさのようなものが、確かにあった。
けれど、それをかき消すように、もっと強い何かが込み上げてくる。
安堵。
言葉にすれば、それが一番近かった。
――
なぜ、こんなにも安堵しているのだろう。
玲依は、自分の内側を探るように、その感覚を確かめていく。
何もなく別れることに、これほど心が軽くなるとは、思っていなかった。
体を重ねなくても、今日という日は、確かに何かを残していた。
絵の話。
休みの日の話。
好きな食べ物、苦手なもの。
三年かけても知らなかった凛の欠片を、たった一日で、いくつも拾い集めた。
体を知り尽くしていたはずなのに、こんなにも知らないことばかりだった。
その事実に、今日一日で、初めて追いついた気がする。
これまでの三年間にはなかった、静かな充足感だった。
――
「じゃ、また」
凛が、軽く手を上げた。
いつもの、あの笑い方で。
「うん」
短く応じると、凛はくるりと背を向けて、改札の向こうへ歩いていく。
その背中を、玲依はしばらく見送っていた。
いつもなら、こんなふうに背中を見送ることさえ、なかった。
いつも、玲依のマンションで、玲依が先に眠りに落ちるか、あるいは凛が先に帰っていくか。
そのどちらかしか、知らなかった。
こうして、駅の明かりの中で、遠ざかっていく背中を見送る夜は、初めてだった。
――
一人になった帰り道、玲依はゆっくりと歩いた。
夜風が、今夜は少しだけ、心地よく感じられた。
今日一日を、頭の中で何度も反芻する。
不慣れな挨拶。
ぎこちない距離。
たわいもない会話の中に見つけた、知らなかった凛の欠片。
そして、何もなく交わした「また」という約束。
三年間、体でしか繋がれなかった二人が、今日初めて、それ以外の何かで繋がった。
その実感が、じわりと胸に染み渡っていく。
夜空を見上げると、街の明かりに滲んで、星はほとんど見えなかった。
それでも、玲依の胸の中には、今まで感じたことのない、小さな光が灯っていた。
駅の明かりが、少しずつ近づいてくる。
その光を目指して歩きながら、玲依は隣を歩く凛の気配を、意識せずにはいられなかった。
そろそろ、帰る時間だった。
けれど、その先にある選択肢を、どちらも口にしないまま、足音だけが夜の路地に響いていた。
改札の明かりが、白く滲んで見えてくる。
その手前で、凛の足が、ふと緩やかに止まった。
――
「今日は、帰る」
軽い調子だった。
まるで、天気の話でもするような、何でもない口ぶり。
玲依は、一瞬、その言葉の意味を掴みかねた。
帰る。
その二文字が、こんなにも重い意味を持つとは、思ってもみなかった。
三年間、こんな終わり方を、一度もしたことがなかった。
会えば、体を重ねて、それから帰る。
それ以外の型を、この関係は持っていなかった。
なのに今、目の前で、その型が静かに崩れていく。
――
「そう」
短く、それだけ返すのが精一杯だった。
拍子抜け、という言葉が、頭の隅をよぎった。
もっと違う流れになると、無意識に思っていたのかもしれない。
いつも通り、部屋に誘われて、いつも通りの夜になる。
そう思っていた自分に、今更ながら気づかされる。
胸の隅に、微かな物足りなさのようなものが、確かにあった。
けれど、それをかき消すように、もっと強い何かが込み上げてくる。
安堵。
言葉にすれば、それが一番近かった。
――
なぜ、こんなにも安堵しているのだろう。
玲依は、自分の内側を探るように、その感覚を確かめていく。
何もなく別れることに、これほど心が軽くなるとは、思っていなかった。
体を重ねなくても、今日という日は、確かに何かを残していた。
絵の話。
休みの日の話。
好きな食べ物、苦手なもの。
三年かけても知らなかった凛の欠片を、たった一日で、いくつも拾い集めた。
体を知り尽くしていたはずなのに、こんなにも知らないことばかりだった。
その事実に、今日一日で、初めて追いついた気がする。
これまでの三年間にはなかった、静かな充足感だった。
――
「じゃ、また」
凛が、軽く手を上げた。
いつもの、あの笑い方で。
「うん」
短く応じると、凛はくるりと背を向けて、改札の向こうへ歩いていく。
その背中を、玲依はしばらく見送っていた。
いつもなら、こんなふうに背中を見送ることさえ、なかった。
いつも、玲依のマンションで、玲依が先に眠りに落ちるか、あるいは凛が先に帰っていくか。
そのどちらかしか、知らなかった。
こうして、駅の明かりの中で、遠ざかっていく背中を見送る夜は、初めてだった。
――
一人になった帰り道、玲依はゆっくりと歩いた。
夜風が、今夜は少しだけ、心地よく感じられた。
今日一日を、頭の中で何度も反芻する。
不慣れな挨拶。
ぎこちない距離。
たわいもない会話の中に見つけた、知らなかった凛の欠片。
そして、何もなく交わした「また」という約束。
三年間、体でしか繋がれなかった二人が、今日初めて、それ以外の何かで繋がった。
その実感が、じわりと胸に染み渡っていく。
夜空を見上げると、街の明かりに滲んで、星はほとんど見えなかった。
それでも、玲依の胸の中には、今まで感じたことのない、小さな光が灯っていた。