そこにあったはずの愛
第二十六話 抱けない理由

会いたい、と思った。

理由なんて、もう考えるまでもなかった。

スマホを取り出して、いつもの一文を打つ。

「今日行っていい?」

送信ボタンを押す前に、少しだけ指が止まった。

会いたい気持ちに、迷いはない。

なのに、その先に待っているものを考えると、胸の奥がぎゅっと重くなった。

――

電車に揺られながら、凛は自分の中の矛盾を、ぼんやりと見つめていた。

抱かなければ、この関係は終わってしまうかもしれない。

三年間、二人を繋いできたのは、体だった。

その約束を守れなくなれば、玲依さんはきっと、この関係の意味を見失う。

そう思うと、怖かった。

けど、抱けば。

好きだと自覚してしまった今、気持ちを隠したまま体だけ差し出すことが、途端に、ひどく不誠実に思えてくる。

まるで、嘘をついたまま、一番近い場所に立とうとしているみたいで。

抱いても、抱かなくても、何かを裏切ってしまう。

そんな板挟みの中を、凛は電車に揺られながら、ずっと歩き続けているような気分だった。

――

マンションに着き、玲依さんに迎えられる。

「おかえり」

「ただいま」

短いやり取りは、いつも通りだった。

ソファに並んで座り、他愛のない会話を交わす。

けれど、頭の片隅では、ずっと今夜の答えを探していた。

今夜こそ、いつも通りに。

そう思うたびに、あの夜はっきりと自覚した「好きだ」という感情が、まるでブレーキのように、体の動きを鈍らせる。

伸ばしかけた手が、また途中で止まる。

もう何度目か分からない、その繰り返しだった。

――

玲依さんは、何も言わなかった。

けれど、その沈黙が、責められているよりも重く感じられた。

自分が抱かないことで、この人を不安にさせているんじゃないか。

そんな気がしていた。

言葉にされたわけじゃない。

ただ、探るような視線や、いつもより長い沈黙の中に、そう思わせる何かが確かにあった。

言葉にされなくても、その空気だけは、痛いほど伝わってきた。

「好きだから、抱けない」

そんな言葉、口にできるはずがなかった。

言えば、あまりにも身勝手に聞こえる気がした。

好きになったから、大事にしたいから、なんて。

そんな都合のいい理由で、これまで積み上げてきた関係の形を、勝手に壊しているだけじゃないのか。

自分の誠実さのつもりが、結果として、玲依さんを傷つけているのかもしれない。

その事実に、凛は薄々気づき始めていた。

けれど、気づいたところで、どうすればいいのか分からなかった。

――

「なんか、疲れた?」

玲依さんが、探るように聞いてきた。

その声に、微かな不安が滲んでいる気がした。

「別に」

短く返しながら、凛は自分の言葉の薄さに、内心舌打ちしたくなった。

もっと、ちゃんと伝えられたら。

なのに、いざとなると、言葉が喉の奥で固まって、出てこなかった。

――

結局、その夜も、同じ結末を迎えた。

「今日はこのまま帰る」

いつもと同じ台詞。

けれど今夜は、その一言を口にする瞬間に、これまでにない苦さが伴っていた。

玲依さんの表情に、また小さな影が差すのが分かった。

見て見ぬふりをして、凛は玄関を出た。

――

夜道を歩きながら、凛は自分に問いかけた。

このやり方を、いつまで続けられるんだろう。

答えは、まだ見えなかった。

好きだと自覚したことが、こんなにも自分を不自由にするなんて、思ってもみなかった。

抱くことでしか繋がれなかった三年間と、今、この不器用な誠実さの間で、凛は途方に暮れていた。

夜風が、頬を撫でていく。

その冷たさだけが、今の凛には、やけに正直に感じられた。
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