そこにあったはずの愛
第二十八話 誰にも言えないこと
講義棟の廊下は、いつも人でごった返している。
その流れに逆らうように、凛は足早に出口を目指した。
授業が終われば、バイトまでの時間は限られている。
一分でも惜しかった。
「赤羽くん」
背後から声をかけられて、凛は足を止めた。
同じ学科の、顔だけは知っている子だった。
一年の頃から、同じ教室にいた気がする。
けれど、まともに話したことは、片手で数えるほどしかなかった。
「今日、飲み会あるんだけど」
「行かねー」
短く返すと、その子は苦笑した。
「だよね」
分かってて誘ったような、諦めの滲む声だった。
――
「ねえ、いつも授業終わったらどこ行ってるの」
歩き出そうとした凛を、その子の声が引き止めた。
「バイト」
振り返らずに答える。
いつもの、それ以上を寄せ付けない口調で。
三年間、こうやって誰とも深く関わらずにきた。
友達を作る余裕なんて、どこにもなかった。
作ったところで、遊びに割く時間も、金もない。
だったら、最初から線を引いておく方が、楽だった。
「どうしてそんなに働くの」
食い下がってくる声に、凛は少し驚いた。
いつもなら、ここで会話は終わっていたはずだった。
――
「働かなきゃ、生きていけないから」
気づけば、そう答えていた。
いつもの軽さも、はぐらかす余裕もなかった。
自分でも、驚くほど素直な言葉だった。
言った瞬間、しまった、と思う暇もなかった。
けれど、後悔はなぜか湧いてこなかった。
――
その子は、何も言わなかった。
ただ、少し複雑な表情で、凛を見つめていた。
哀れむでも、詮索するでもない、ただ受け止めるような目だった。
「そっか」
短く、それだけ返す。
それ以上、深追いする気配はなかった。
その距離感が、なぜか、今は救いだった。
――
歩き出しながら、凛は自分の言葉を反芻していた。
なんで、こんなに簡単に言えたんだろう。
玲依さんにさえ、言ったことのない一言だった。
三年間、あの人の前では、ずっと軽さだけを見せてきた。
みっともないところは、絶対に見せたくなかった。
けど、今、目の前のこの子には、あっさりと本音がこぼれた。
たぶん、理由は単純だった。
好きでもなんでもない相手だから。
何を思われても、失うものがないから。
気を張らずにいられる相手というのは、案外そういうものなのかもしれない。
――
背中に、視線を感じた気がした。
振り返らずに、凛は歩き続けた。
恋愛感情なんて、そこには一片もなかった。
ただ、誰にも見せない部分を、なぜか一瞬だけ覗かせてしまった、その事実だけが残っていた。
キャンパスの木々が、風に揺れている。
その音を背に、凛はバイト先へと急いだ。
頭の片隅には、まだ、さっきの短いやり取りの余韻が残ったままだった。
講義棟の廊下は、いつも人でごった返している。
その流れに逆らうように、凛は足早に出口を目指した。
授業が終われば、バイトまでの時間は限られている。
一分でも惜しかった。
「赤羽くん」
背後から声をかけられて、凛は足を止めた。
同じ学科の、顔だけは知っている子だった。
一年の頃から、同じ教室にいた気がする。
けれど、まともに話したことは、片手で数えるほどしかなかった。
「今日、飲み会あるんだけど」
「行かねー」
短く返すと、その子は苦笑した。
「だよね」
分かってて誘ったような、諦めの滲む声だった。
――
「ねえ、いつも授業終わったらどこ行ってるの」
歩き出そうとした凛を、その子の声が引き止めた。
「バイト」
振り返らずに答える。
いつもの、それ以上を寄せ付けない口調で。
三年間、こうやって誰とも深く関わらずにきた。
友達を作る余裕なんて、どこにもなかった。
作ったところで、遊びに割く時間も、金もない。
だったら、最初から線を引いておく方が、楽だった。
「どうしてそんなに働くの」
食い下がってくる声に、凛は少し驚いた。
いつもなら、ここで会話は終わっていたはずだった。
――
「働かなきゃ、生きていけないから」
気づけば、そう答えていた。
いつもの軽さも、はぐらかす余裕もなかった。
自分でも、驚くほど素直な言葉だった。
言った瞬間、しまった、と思う暇もなかった。
けれど、後悔はなぜか湧いてこなかった。
――
その子は、何も言わなかった。
ただ、少し複雑な表情で、凛を見つめていた。
哀れむでも、詮索するでもない、ただ受け止めるような目だった。
「そっか」
短く、それだけ返す。
それ以上、深追いする気配はなかった。
その距離感が、なぜか、今は救いだった。
――
歩き出しながら、凛は自分の言葉を反芻していた。
なんで、こんなに簡単に言えたんだろう。
玲依さんにさえ、言ったことのない一言だった。
三年間、あの人の前では、ずっと軽さだけを見せてきた。
みっともないところは、絶対に見せたくなかった。
けど、今、目の前のこの子には、あっさりと本音がこぼれた。
たぶん、理由は単純だった。
好きでもなんでもない相手だから。
何を思われても、失うものがないから。
気を張らずにいられる相手というのは、案外そういうものなのかもしれない。
――
背中に、視線を感じた気がした。
振り返らずに、凛は歩き続けた。
恋愛感情なんて、そこには一片もなかった。
ただ、誰にも見せない部分を、なぜか一瞬だけ覗かせてしまった、その事実だけが残っていた。
キャンパスの木々が、風に揺れている。
その音を背に、凛はバイト先へと急いだ。
頭の片隅には、まだ、さっきの短いやり取りの余韻が残ったままだった。