そこにあったはずの愛
第三十二話 「うん」の行方

「玲依さんは、どう、思ってる」

その一言が、まだ部屋の空気の中に、宙吊りのまま漂っていた。

答えは、もう玲依の中にあった。

好きだと、はっきり自覚していた。

なのに、それを言葉にする勇気が、どこにも見つからなかった。

言葉にすれば、この想いを、正面から受け止めることになる。

継母の変わらぬ愛情すら、受け止めきれなかった自分に、それができるのか。

その恐怖が、喉の奥を塞いでいた。

――

凛が、じっと玲依の顔を見つめている。

その眼差しの真剣さに、玲依はさらに追い詰められていく。

何か、言わなければ。

けれど、何も、言葉が出てこない。

心臓の音が、耳の奥で大きく響いている。

長い沈黙の末、玲依の唇から、こぼれ落ちたのは。

「……うん」

ただそれだけの、一音だった。

――

言った瞬間、玲依自身も、自分がどんな意味でその言葉を発したのか、分からなかった。

肯定なのか。

ただの相槌なのか。

追い詰められた末に、一番安全で、一番答えになっていない言葉を選んでしまった。

無意識の、逃げだった。

聡明であるはずの自分が、こんな曖昧な一言しか紡げなかったことに、玲依自身が一番驚いていた。

――

凛の表情に、微かな戸惑いが浮かぶ。

何か言いかけて、けれど、それ以上踏み込んでこなかった。

「……そっか」

短く、それだけ返す。

その声に滲む温度が、期待なのか、諦めなのか、玲依には読み取れなかった。

沈黙が、また部屋を満たしていく。

さっきまでとは違う種類の、居たたまれない沈黙だった。

――

その夜、凛は結局、いつも通りの軽さを装って帰っていった。

一人残された玲依は、ソファに座ったまま、長い間、動けずにいた。

好きだと、伝えられなかった。

伝えたいはずなのに、体が動かなかった。

まるで、長年かけて染みついた癖のように、心を守るための壁が、無意識に立ち上がってしまう。

その壁を、自分の意思では、まだ壊せなかった。

――

数日が過ぎた。

凛からのメッセージに、玲依は以前より少し、返事を遅らせるようになっていた。

意図したわけじゃなかった。

けれど、画面を見つめても、指がすぐには動かない。

会う約束も、なんとなく先延ばしにしてしまう。

理由をつけて、今日は無理、と返してしまう自分に、玲依は遅れて気づいた。

なぜ、こんなことをしているのか。

好きだと自覚しているのに、なぜ、自分から距離を取ろうとしているのか。

答えのない問いを抱えたまま、玲依は鏡の前に立った。

映った自分の顔は、いつもより少し、疲れて見えた。

――

気持ちには応えたいはずだった。

なのに、体が、心が、勝手に守りに入ろうとする。

まるで、幸せになることを、自分に許していないみたいに。

その矛盾に、玲依自身が、一番戸惑っていた。

窓の外、夜はゆっくりと更けていく。

その静けさの中で、玲依はただ、答えの出ない自分自身と、向き合い続けていた。
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