そこにあったはずの愛
第三十三話 崩れかける言葉

「……うん」

あの一言を、凛は何度も頭の中で繰り返していた。

肯定なのか。

ただの相槌なのか。

考えれば考えるほど、分からなくなっていく。

言わなければよかったのかもしれない。

好きだなんて、口にしなければ。

曖昧なまま、体だけの関係として重ねてきた三年間の方が、まだ楽だった気がする。

あの言葉を告げてから、確実に何かが変わってしまった。

――

返信は、以前より遅くなった。

会う約束も、なんとなく先延ばしにされることが増えた。

態度そのものは、そう変わらないように見える。

けれど、その些細な変化の一つひとつが、今の凛には、拒絶の証拠のように映ってしまう。

本当は。

一番辛い疑念が、頭の奥から離れなかった。

本当は、ただ体を差し出してほしかっただけなんじゃないか。

気持ちなんて、求められてなかったんじゃないか。

なのに、勝手に好きになって、勝手に告げて、勝手に関係を壊そうとしているのは、自分の方なんじゃないか。

三年間、金づるにもならず、一度もお金をたからず、みすぼらしい格好さえ見せないよう、必死に守ってきた関係だった。

その積み重ねが、今、根底から揺らいでいる気がした。

――

そんな状態のまま、いつも通り講義に出た。

けど、いつもの軽さが、うまく作れなかった。

ノートを開いても、文字が頭に入ってこない。

窓の外を、ぼんやりと眺めている時間が、いつもより長かった。

「赤羽くん」

声をかけられて、我に返る。

見ると、あの子が、少し心配そうな顔でこちらを見ていた。

「なんか、今日、変じゃない?」

「別に」

いつもの一言で返そうとしたけど、うまく力が入らなかった。

――

「ふーん」

その子は、それ以上深くは聞いてこなかった。

けど、なんとなく、隣を離れずにいた。

講義が終わって、教室を出る流れの中で、気づけば、二人並んで歩いていた。

特別な会話があるわけじゃなかった。

今日の課題の話。

来週の展示の話。

当たり障りのない話題が、途切れ途切れに続いていく。

けど、その何気なさが、今の凛には、少しだけ息をつける時間だった。

――

好きな人の前では、いつも張り詰めていた。

言葉を選び、表情を作り、傷つかないように、傷つけないように、細心の注意を払っていた。

けど、隣を歩くこの子には、そんな緊張がいらなかった。

気を張らなくていい。

失うものがないから、素のままでいられる。

そんな相手が、今日はただ、ありがたかった。

――

キャンパスを出て、いつもの通学路を、二人で並んで歩いていく。

夕方の光が、アスファルトに長い影を落としている。

会話は、また途切れた。

けれど、沈黙も、それほど気まずくはなかった。

ただ、隣に人がいる。

それだけのことが、今の凛には、少しだけ救いだった。

恋愛感情なんて、そこにはひとかけらもなかった。

ただ、行き先も告げずに、成り行きのまま、隣を歩いているだけだった。

夕暮れの空が、じわじわと色を変えていく。

凛はその空を見上げながら、まだ答えの出ない不安を、静かに抱え続けていた。
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