そこにあったはずの愛
第三十六話 結ばれた言葉
人混みから離れ、二人は無言のまま、川沿いの道を歩いていた。
夕暮れの光が、水面に橙色を溶かしている。
さっきまでの喧騒が嘘のように、あたりは静かだった。
歩調は、自然と揃っていた。
言葉は、まだ出てこない。
けれど、その沈黙は、これまでのどの沈黙とも違っていた。
――
ベンチに、並んで腰を下ろす。
玲依は、自分の手のひらを見つめながら、ゆっくりと言葉を探し始めた。
「ねえ」
「あの約束に何の効力もないのに、この三年間」
「私、あなた以外の人には、抱かれなかった」
言いながら、玲依は自分の中で、その事実の意味を、初めてはっきりと捉え直していた。
「けど、それを、あなたはどうやって確認できたの」
「私が本当に、誰とも会ってなかったなんて」
「あなたも、同じだったはず」
「誰も、抱かなかった」
「それを、私はどうやって確認すればよかったの」
問いというより、確信だった。
凛は、黙って頷いた。
「証拠なんて、どこにもなかった」
「なのに、私たち、ずっと守ってた」
「それって」
声が、微かに震える。
「言葉にする前から、もう、繋がってたってことなんじゃないかな」
――
凛は、何も言わずに、玲依の言葉を聞いていた。
その静けさが、玲依に、次の言葉を紡ぐ勇気をくれた。
「私、ずっと、愛されることが怖かった」
初めて口にする、心の奥底の言葉だった。
「小さい頃から、可愛いね、綺麗だねって、ずっと言われてきた」
「けど、それが嬉しかったことなんて、一度もなかった」
「継母の愛情も、ちゃんと分かってたのに、素直に受け取れなかった」
「なんで、こんな私を、こんなに大事にしてくれるんだろうって」
「そればっかり、考えてた」
言葉が、堰を切ったように溢れ出てくる。
これまで誰にも見せたことのない、玲依の一番柔らかい部分だった。
「けど」
玲依は、隣に座る凛の顔を、まっすぐに見た。
「あなたの気持ちだけは」
「受け取りたいって、思えた」
――
夕陽が、二人の輪郭を、橙色に染め上げていく。
「好き」
その一言が、ようやく、玲依の口から、まっすぐにこぼれ落ちた。
曖昧さのない、迷いのない、はっきりとした言葉だった。
三年前から、言葉にできないまま積み重ねてきた想いに、初めて、正しい名前が与えられた瞬間だった。
――
凛の目に、涙が滲んでいた。
「玲依さん」
声が、掠れている。
「俺も」
「ずっと、好きだった」
「たぶん、最初から」
その言葉に、玲依は静かに、けれど確かに、微笑んだ。
三年間の空白が、ようやく、意味を持って埋まっていく感覚があった。
――
その夜、玲依のマンションで、二人は静かに寄り添った。
これまでの三年間、行為の中で、言葉が交わされたことは、一度もなかった。
無言のまま、体だけが求め合う時間。
それが、二人にとっての当たり前だった。
けれど、今夜は違った。
――
壁際に追い詰められるように、玲依の逃げ場が塞がれる。
凛の影が、覆い被さるように重なった。
「玲依さん」
掠れた声で、名前を呼ばれる。
その声だけで、肌が粟立った。
――
指先が、頬の輪郭を、確かめるように這う。
そのまま、うなじへと滑り落ちていく。
触れるか触れないか、ぎりぎりの強さで。
その焦れったさに、玲依の呼吸が、浅く乱れていった。
「凛」
自分から名前を呼んだのは、初めてだった。
呼んだ瞬間、凛の目の奥に、熱が灯るのが分かった。
――
服の上から伝わる体温が、じわりと熱を帯びていく。
強く引き寄せられ、二人の距離が、ほとんどなくなった。
鎖骨に、耳元に、凛の吐息がかかる。
甘く、掠れた息遣い。
「好き」
耳元で囁かれた一言に、玲依の体の奥が、震えた。
「玲依さん、好き」
何度も、繰り返される。
そのたびに、玲依の中で、何かが溶けていくようだった。
――
肌が触れ合う熱が、二人の輪郭を溶かしていく。
逃れられない距離の中で、玲依はただ、その熱に身を委ねた。
「凛」
「好き」
自分の声が、こんなにも震えることを、玲依は初めて知った。
体温だけが、すべてを支配していく。
言葉と、吐息と、触れ合う肌の熱。
そのどれもが、これまでの三年間には、一度もなかったものだった。
――
「玲依さん」
何度も、名前を呼ばれる。
そのたびに、玲依も応えるように、名前を呼び返した。
「凛」
「凛」
二人の声だけが、部屋の静けさの中に、幾度も重なっていった。
体だけで繋がっていたはずの三年間が、初めて、心も伴った、本当の意味での繋がりへと変わっていく。
――
夜が更けても、二人の間に流れる空気は、これまでのどんな夜とも違っていた。
窓の外、月明かりが、静かに部屋を照らしている。
三年前、体だけの約束から始まった関係が、今、初めて、本当の意味で結ばれた。
言葉にできなかった三年間の重みが、ようやく報われた夜だった。
これから先、どんな困難が待ち受けていようとも、この夜の温もりだけは、二人の間に、確かな軌跡として残り続けるはずだった。
人混みから離れ、二人は無言のまま、川沿いの道を歩いていた。
夕暮れの光が、水面に橙色を溶かしている。
さっきまでの喧騒が嘘のように、あたりは静かだった。
歩調は、自然と揃っていた。
言葉は、まだ出てこない。
けれど、その沈黙は、これまでのどの沈黙とも違っていた。
――
ベンチに、並んで腰を下ろす。
玲依は、自分の手のひらを見つめながら、ゆっくりと言葉を探し始めた。
「ねえ」
「あの約束に何の効力もないのに、この三年間」
「私、あなた以外の人には、抱かれなかった」
言いながら、玲依は自分の中で、その事実の意味を、初めてはっきりと捉え直していた。
「けど、それを、あなたはどうやって確認できたの」
「私が本当に、誰とも会ってなかったなんて」
「あなたも、同じだったはず」
「誰も、抱かなかった」
「それを、私はどうやって確認すればよかったの」
問いというより、確信だった。
凛は、黙って頷いた。
「証拠なんて、どこにもなかった」
「なのに、私たち、ずっと守ってた」
「それって」
声が、微かに震える。
「言葉にする前から、もう、繋がってたってことなんじゃないかな」
――
凛は、何も言わずに、玲依の言葉を聞いていた。
その静けさが、玲依に、次の言葉を紡ぐ勇気をくれた。
「私、ずっと、愛されることが怖かった」
初めて口にする、心の奥底の言葉だった。
「小さい頃から、可愛いね、綺麗だねって、ずっと言われてきた」
「けど、それが嬉しかったことなんて、一度もなかった」
「継母の愛情も、ちゃんと分かってたのに、素直に受け取れなかった」
「なんで、こんな私を、こんなに大事にしてくれるんだろうって」
「そればっかり、考えてた」
言葉が、堰を切ったように溢れ出てくる。
これまで誰にも見せたことのない、玲依の一番柔らかい部分だった。
「けど」
玲依は、隣に座る凛の顔を、まっすぐに見た。
「あなたの気持ちだけは」
「受け取りたいって、思えた」
――
夕陽が、二人の輪郭を、橙色に染め上げていく。
「好き」
その一言が、ようやく、玲依の口から、まっすぐにこぼれ落ちた。
曖昧さのない、迷いのない、はっきりとした言葉だった。
三年前から、言葉にできないまま積み重ねてきた想いに、初めて、正しい名前が与えられた瞬間だった。
――
凛の目に、涙が滲んでいた。
「玲依さん」
声が、掠れている。
「俺も」
「ずっと、好きだった」
「たぶん、最初から」
その言葉に、玲依は静かに、けれど確かに、微笑んだ。
三年間の空白が、ようやく、意味を持って埋まっていく感覚があった。
――
その夜、玲依のマンションで、二人は静かに寄り添った。
これまでの三年間、行為の中で、言葉が交わされたことは、一度もなかった。
無言のまま、体だけが求め合う時間。
それが、二人にとっての当たり前だった。
けれど、今夜は違った。
――
壁際に追い詰められるように、玲依の逃げ場が塞がれる。
凛の影が、覆い被さるように重なった。
「玲依さん」
掠れた声で、名前を呼ばれる。
その声だけで、肌が粟立った。
――
指先が、頬の輪郭を、確かめるように這う。
そのまま、うなじへと滑り落ちていく。
触れるか触れないか、ぎりぎりの強さで。
その焦れったさに、玲依の呼吸が、浅く乱れていった。
「凛」
自分から名前を呼んだのは、初めてだった。
呼んだ瞬間、凛の目の奥に、熱が灯るのが分かった。
――
服の上から伝わる体温が、じわりと熱を帯びていく。
強く引き寄せられ、二人の距離が、ほとんどなくなった。
鎖骨に、耳元に、凛の吐息がかかる。
甘く、掠れた息遣い。
「好き」
耳元で囁かれた一言に、玲依の体の奥が、震えた。
「玲依さん、好き」
何度も、繰り返される。
そのたびに、玲依の中で、何かが溶けていくようだった。
――
肌が触れ合う熱が、二人の輪郭を溶かしていく。
逃れられない距離の中で、玲依はただ、その熱に身を委ねた。
「凛」
「好き」
自分の声が、こんなにも震えることを、玲依は初めて知った。
体温だけが、すべてを支配していく。
言葉と、吐息と、触れ合う肌の熱。
そのどれもが、これまでの三年間には、一度もなかったものだった。
――
「玲依さん」
何度も、名前を呼ばれる。
そのたびに、玲依も応えるように、名前を呼び返した。
「凛」
「凛」
二人の声だけが、部屋の静けさの中に、幾度も重なっていった。
体だけで繋がっていたはずの三年間が、初めて、心も伴った、本当の意味での繋がりへと変わっていく。
――
夜が更けても、二人の間に流れる空気は、これまでのどんな夜とも違っていた。
窓の外、月明かりが、静かに部屋を照らしている。
三年前、体だけの約束から始まった関係が、今、初めて、本当の意味で結ばれた。
言葉にできなかった三年間の重みが、ようやく報われた夜だった。
これから先、どんな困難が待ち受けていようとも、この夜の温もりだけは、二人の間に、確かな軌跡として残り続けるはずだった。