そこにあったはずの愛
第四十五話 不釣り合いな幸福
眠る前、電車の窓に映る自分の顔を、凛はぼんやりと眺めていた。
疲れている、と自分でも思う。
けれど、その疲れよりも先に、心の中を占めているのは、別の感情だった。
――
今日も、会えた。
玲依の匂いが、まだ、どこかに残っている気がした。
――
三年前、初めて玲依と出会ったときのことを、凛は、今でも鮮明に覚えている。
隙のない、完璧な女性だった。
自分とは、住む世界が違う人だと、直感的に理解した。
――
それでも、あの夜、自分から声をかけたときのことを、凛はまだ覚えている。
「ねえ」
「抱かせてよ」
自分でも、驚くほど自然に、その言葉が口から出た。
体だけの関係でいい。
それだけでも、そばにいられるなら。
――
そう自分に言い聞かせて、始まった関係だった。
――
けれど、本当は。
最初から、ずっと苦しかった。
――
玲依が、自分以外の誰かと会っているかもしれない。
そう思うたびに、凛の胸は、鈍く痛んだ。
嫉妬する権利さえないのだと、自分に言い聞かせながら。
――
三年間、その痛みを、誰にも見せずに抱えてきた。
軽い口調で笑ってみせることが、唯一の、自分を守る方法だった。
――
そして今。
ようやく、その苦しさに、終わりが来た。
玲依が、自分だけを見てくれている。
名前を呼んでくれる。
手を、繋いでくれる。
――
信じられないくらいの、幸福だった。
――
けれど。
その幸福の隣に、もう一つ、別の感情が、静かに芽生えていた。
――
自分は、本当に、玲依の隣に立つ資格があるのだろうか。
――
大学のキャンパスで見かける、玲依の世界にいそうな人たち。
洗練された身なり、余裕のある佇まい。
自分には、そのどれもがなかった。
――
玲依が纏う、社長秘書としての空気。
きちんとした身なり、隙のない立ち振る舞い。
その隣に、絵の具だらけのエプロンを着た自分が立つ姿を、凛は、時々、想像してしまう。
――
不釣り合いだ。
誰に言われるまでもなく、凛自身が、一番よく分かっていた。
――
けれど、玲依は、そんなことを気にする素振りを、一切見せなかった。
むしろ、凛のTシャツを渡され、それを着てくれと言われるたびに、玲依は、ただ嬉しそうに笑うだけだった。
――
その笑顔を見るたびに、凛は、自分の中の不安を、無理やり押し込めていた。
今は、まだ、いい。
今は、ただ、この幸福を、味わっていたい。
――
電車が、最寄りの駅に着く。
凛は、重い体を引きずるようにして、ホームに降り立った。
――
けれど、頭の中には、まだ、玲依の笑顔が残っていた。
その笑顔を守るためなら、この程度の疲れなど、大したことではないと、凛は、そう思っていた。
――
自分にできることは、まだ少ない。
玲依に何かを与えられる自分では、まだない。
それでも。
――
凛は、夜道を歩きながら、小さく呟いた。
「もう少しだけ」
もう少しだけ、この幸せに、甘えていたい。
――
いつか、その代償を払う日が来るとしても。
今はまだ、その未来を、見ないふりをしていたかった。
眠る前、電車の窓に映る自分の顔を、凛はぼんやりと眺めていた。
疲れている、と自分でも思う。
けれど、その疲れよりも先に、心の中を占めているのは、別の感情だった。
――
今日も、会えた。
玲依の匂いが、まだ、どこかに残っている気がした。
――
三年前、初めて玲依と出会ったときのことを、凛は、今でも鮮明に覚えている。
隙のない、完璧な女性だった。
自分とは、住む世界が違う人だと、直感的に理解した。
――
それでも、あの夜、自分から声をかけたときのことを、凛はまだ覚えている。
「ねえ」
「抱かせてよ」
自分でも、驚くほど自然に、その言葉が口から出た。
体だけの関係でいい。
それだけでも、そばにいられるなら。
――
そう自分に言い聞かせて、始まった関係だった。
――
けれど、本当は。
最初から、ずっと苦しかった。
――
玲依が、自分以外の誰かと会っているかもしれない。
そう思うたびに、凛の胸は、鈍く痛んだ。
嫉妬する権利さえないのだと、自分に言い聞かせながら。
――
三年間、その痛みを、誰にも見せずに抱えてきた。
軽い口調で笑ってみせることが、唯一の、自分を守る方法だった。
――
そして今。
ようやく、その苦しさに、終わりが来た。
玲依が、自分だけを見てくれている。
名前を呼んでくれる。
手を、繋いでくれる。
――
信じられないくらいの、幸福だった。
――
けれど。
その幸福の隣に、もう一つ、別の感情が、静かに芽生えていた。
――
自分は、本当に、玲依の隣に立つ資格があるのだろうか。
――
大学のキャンパスで見かける、玲依の世界にいそうな人たち。
洗練された身なり、余裕のある佇まい。
自分には、そのどれもがなかった。
――
玲依が纏う、社長秘書としての空気。
きちんとした身なり、隙のない立ち振る舞い。
その隣に、絵の具だらけのエプロンを着た自分が立つ姿を、凛は、時々、想像してしまう。
――
不釣り合いだ。
誰に言われるまでもなく、凛自身が、一番よく分かっていた。
――
けれど、玲依は、そんなことを気にする素振りを、一切見せなかった。
むしろ、凛のTシャツを渡され、それを着てくれと言われるたびに、玲依は、ただ嬉しそうに笑うだけだった。
――
その笑顔を見るたびに、凛は、自分の中の不安を、無理やり押し込めていた。
今は、まだ、いい。
今は、ただ、この幸福を、味わっていたい。
――
電車が、最寄りの駅に着く。
凛は、重い体を引きずるようにして、ホームに降り立った。
――
けれど、頭の中には、まだ、玲依の笑顔が残っていた。
その笑顔を守るためなら、この程度の疲れなど、大したことではないと、凛は、そう思っていた。
――
自分にできることは、まだ少ない。
玲依に何かを与えられる自分では、まだない。
それでも。
――
凛は、夜道を歩きながら、小さく呟いた。
「もう少しだけ」
もう少しだけ、この幸せに、甘えていたい。
――
いつか、その代償を払う日が来るとしても。
今はまだ、その未来を、見ないふりをしていたかった。