そこにあったはずの愛
第六十五話 向き合う勇気がない

スマホが、震えた。

凛は、びくりと、肩を揺らした。

――

画面に表示された名前を見て、心臓が、大きく、跳ねた。

玲依からの、メッセージだった。

――

『今度、いつ話せる?』

――

短い一文だった。

けれど、その言葉が、凛の全身を、一気に、緊張させた。

――

いつ。

その一文字に、凛は、答えられなかった。

――

昨夜からずっと、ぼんやりと、頭の隅にあった恐怖が、今、初めて、明確な期限を持った。

いつか、ではなく、近いうちに、必ず、その瞬間が来る。

――

凛は、画面を見つめたまま、動けなくなった。

――

話し合う。

その言葉の意味を、凛は、あらためて、考えた。

――

玲依と、向き合って、話す。

つまり、隠してきたことを、すべて、話さなければならない、ということだった。

――

生活のために、深夜も、朝も、働き続けていること。

大学の学費も、生活費も、すべて、自分一人で、賄っていること。

まともに眠る時間さえ、削り続けてきたこと。

――

そのすべてを、玲依の前で、言葉にする。

想像するだけで、体の芯が、凍りついた。

――

話した後、玲依は、どんな顔をするだろう。

同情されるのだろうか。

呆れられるのだろうか。

――

あるいは、これまで積み重ねてきた、小さな嘘の数々に、失望されるのだろうか。

――

「大学生」という、体裁の良い自分を演じ続けてきた、その三年間。

その嘘の重さを、玲依の前で、認めなければならない。

――

凛は、スマホを、そっと、ベッドの上に置いた。

返信の文字を、打つことが、できなかった。

――

指が、震えて、動かなかった。

――

何を書けばいいのか、分からなかった。

いつなら大丈夫、と、簡単に答えられるはずの質問に、答えられなかった。

――

その夜、凛は、一睡もできないまま、朝を迎えた。

――

大学に、休講の連絡を入れる。

理由は、適当に、体調不良とした。

――

バイト先にも、しばらく休む旨を、メッセージで伝えた。

これまでなら、絶対にしなかった選択だった。

生活のために、休むことなど、許されなかったはずだった。

――

けれど、今は、何も、考えられなかった。

――

部屋の隅に置かれた、古いボストンバッグに、無意識のうちに、手が伸びていた。

――

着替えを、詰め込んでいく。

なぜ、そんなことをしているのか、凛自身、うまく説明できなかった。

――

ただ、この場所から、離れたかった。

玲依からの連絡が届く、この部屋から。

そして、玲依と向き合わなければならない、この現実から。

――

荷物をまとめながら、凛は、何度も、自分に問いかけた。

――

これで、いいのか。

――

答えは、出なかった。

けれど、手は、止まらなかった。

――

スマホの画面には、まだ、玲依からのメッセージが、表示されたままだった。

『今度、いつ話せる?』

――

その一文を、凛は、もう一度、見つめた。

――

ごめん。

心の中で、そう、呟いた。

言葉にすることさえ、できなかった、謝罪だった。

――

窓の外、朝の光が、静かに、差し込んでいた。

けれど、凛の心には、その明るさすら、届いていなかった。

――

ボストンバッグを、肩に、かけ直す。

その重みが、これから自分がしようとしていることの重さと、重なって感じられた。

――

凛は、最後に、部屋を、一度、見渡した。

――

そして、静かに、玄関のドアを、開けた。
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