そこにあったはずの愛
第七十三話 凛だから、好き
静かな沈黙の中、玲依は、ゆっくりと口を開いた。
「私、仕事、辞めたの」
凛が、涙の滲んだ目を、大きく見開いた。
「え……」
「社長秘書、辞めた」
玲依は、言葉を選びながら続けた。
「あなたに、会わせてもらうために」
凛の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「何度、来ても、おばあさんに、追い返されて。それでも、諦めたくなかった」
玲依は、静かに続けた。
「仕事をしながらじゃ、何度も通うことも、あなたに向き合うことも、中途半端になると思った」
「だから、迷わなかった」
「そんな」
凛の声が震えていた。
「あんな、良い仕事だったのに」
「三年も、頑張ってきたのに」
「良い仕事だったよ」
玲依は、小さく頷いた。
「けど、あなたより、大切なものなんて、なかった」
その言葉に、凛は、また目を伏せた。
「けど、それは」
言葉が詰まる。
「玲依さんが好きなのは、ちゃんとした、大学生の俺だから」
「本当の俺を知ったら」
「違う」
玲依は、はっきりと、その言葉を遮った。
凛が、驚いたように顔を上げる。
「私が好きなのは、大学生の凛でも、立派な凛でもない」
玲依は、まっすぐに凛の目を見つめた。
「凛だから、好きなの」
その一言が、静かな部屋に確かに響いた。
――
「身なりとか、生活とか、そんなもの、一度も判断材料になったこと、なかった」
玲依は続けた。
「あなたが、どんな生活をしていても、私は、あなたを選んだと思う」
凛の目から、また涙が溢れ出した。
けれど、その涙は、先ほどまでとは違う質のものに見えた。
「なんで、そんなふうに、思えるの」
凛が、掠れた声で、そう聞いた。
「普通、幻滅するでしょ」
「隠されてたって、知ったら」
「幻滅なんて、しない」
玲依は、静かに、けれど確かな声で答えた。
「あなたが、私のために、必死に頑張ってくれてたんだって、分かったから」
「それが、悲しかったんじゃなくて」
「もっと早く、知りたかったって、思っただけ」
「一緒に、抱えたかった」
その言葉に、凛は、堪えきれず、嗚咽を漏らした。
「ごめん」
「ごめん、なさい」
「もう、謝らなくていい」
玲依は、そう言いながら、手を伸ばした。
凛の手に、そっと触れる。
凛の指先が、震えながら、玲依の手を握り返してきた。
温かかった。
これまで何度も重ねてきたはずの手のひらが、今夜は、これまでのどんな時よりも、確かな重みを持って感じられた。
――
「これから」
玲依が、静かに、そう切り出した。
「二人で、ちゃんと話していこう」
「隠すことも、我慢することも、なしで」
凛は、涙を拭いながら、小さく頷いた。
「うん」
その一言に、玲依は微かに微笑んだ。
まだ、伝えきれていない想いは、他にも、たくさんあった。
けれど、今、この瞬間、二人の間に流れる空気は、これまでのどんな時よりも穏やかだった。
窓の外、夕暮れの光が、部屋を静かに橙色に染めていた。
その光の中で、二人は、手を繋いだまま、しばらく動かなかった。
言葉にできない想いを、ただ、その温もりだけで確かめ合うように。
静かな沈黙の中、玲依は、ゆっくりと口を開いた。
「私、仕事、辞めたの」
凛が、涙の滲んだ目を、大きく見開いた。
「え……」
「社長秘書、辞めた」
玲依は、言葉を選びながら続けた。
「あなたに、会わせてもらうために」
凛の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
「何度、来ても、おばあさんに、追い返されて。それでも、諦めたくなかった」
玲依は、静かに続けた。
「仕事をしながらじゃ、何度も通うことも、あなたに向き合うことも、中途半端になると思った」
「だから、迷わなかった」
「そんな」
凛の声が震えていた。
「あんな、良い仕事だったのに」
「三年も、頑張ってきたのに」
「良い仕事だったよ」
玲依は、小さく頷いた。
「けど、あなたより、大切なものなんて、なかった」
その言葉に、凛は、また目を伏せた。
「けど、それは」
言葉が詰まる。
「玲依さんが好きなのは、ちゃんとした、大学生の俺だから」
「本当の俺を知ったら」
「違う」
玲依は、はっきりと、その言葉を遮った。
凛が、驚いたように顔を上げる。
「私が好きなのは、大学生の凛でも、立派な凛でもない」
玲依は、まっすぐに凛の目を見つめた。
「凛だから、好きなの」
その一言が、静かな部屋に確かに響いた。
――
「身なりとか、生活とか、そんなもの、一度も判断材料になったこと、なかった」
玲依は続けた。
「あなたが、どんな生活をしていても、私は、あなたを選んだと思う」
凛の目から、また涙が溢れ出した。
けれど、その涙は、先ほどまでとは違う質のものに見えた。
「なんで、そんなふうに、思えるの」
凛が、掠れた声で、そう聞いた。
「普通、幻滅するでしょ」
「隠されてたって、知ったら」
「幻滅なんて、しない」
玲依は、静かに、けれど確かな声で答えた。
「あなたが、私のために、必死に頑張ってくれてたんだって、分かったから」
「それが、悲しかったんじゃなくて」
「もっと早く、知りたかったって、思っただけ」
「一緒に、抱えたかった」
その言葉に、凛は、堪えきれず、嗚咽を漏らした。
「ごめん」
「ごめん、なさい」
「もう、謝らなくていい」
玲依は、そう言いながら、手を伸ばした。
凛の手に、そっと触れる。
凛の指先が、震えながら、玲依の手を握り返してきた。
温かかった。
これまで何度も重ねてきたはずの手のひらが、今夜は、これまでのどんな時よりも、確かな重みを持って感じられた。
――
「これから」
玲依が、静かに、そう切り出した。
「二人で、ちゃんと話していこう」
「隠すことも、我慢することも、なしで」
凛は、涙を拭いながら、小さく頷いた。
「うん」
その一言に、玲依は微かに微笑んだ。
まだ、伝えきれていない想いは、他にも、たくさんあった。
けれど、今、この瞬間、二人の間に流れる空気は、これまでのどんな時よりも穏やかだった。
窓の外、夕暮れの光が、部屋を静かに橙色に染めていた。
その光の中で、二人は、手を繋いだまま、しばらく動かなかった。
言葉にできない想いを、ただ、その温もりだけで確かめ合うように。