そこにあったはずの愛
第七十四話 凛さえいれば

しばらく、二人とも何も言わなかった。

繋いだ手のひらの温もりだけが、静かに部屋を満たしていた。

やがて、凛が、小さく口を開いた。

「これから、どうなるんだろう」

その声には、まだ拭いきれない不安が滲んでいた。

「玲依さんの隣に、俺、ちゃんといられるのかな」

玲依は、その言葉を静かに受け止めた。

そして、ゆっくりと話し始めた。

「初めて、あなたに会った日のこと、覚えてる?」

凛が、少し驚いたように、玲依を見た。

「あの、古いカフェ」

「うん」

「私、あの日、一目で、あなたに惹かれてた」

凛の目が、大きく見開かれた。

「え……」

「悟られないように、してたけど。それから、毎日みたいに、あの店に通った」

玲依は、当時を思い出すように、目を細めた。

「コーヒー、そんなに好きじゃなかったのに」

その告白に、凛は言葉を失っていた。

「知らなかった」

「言わなかったから」

玲依は、小さく笑った。

けれど、その笑みには、どこか苦さも混じっていた。

――

「あの頃の私」

玲依は、言葉を選びながら続けた。

「本当に、荒れてた」

「誰でもいいから、抱かれたかった。心が、ずっと乾いてて」

凛は、黙って、その言葉に耳を傾けていた。

「一人でいるのが、怖かった。だから、誰でもいいから、隣に誰かがいてほしかった」

「そんな時に、あなたが、抱かせてよって、言ってきた」

「あれ」

凛が、掠れた声で、そう言った。

「不躾に、声かけて。ごめん」

「ううん」

玲依は、静かに首を振った。

「あの一言が、きっかけだった」

「本当は、あなたに、一目惚れしてたのに。それを、認める勇気が、なかった」

「だから、あの条件を、出した」

「体だけでいい、って」

「私以外の女を、抱かないって約束するなら、って」

「あれは」

玲依は、深く息を吸った。

「あなたを、独り占めしたかった。けど、それを、素直に好きだって、言えなかった」

「あの条件で、繋がっていることが、あの荒れた生活に、終止符を打つ方法だった」

「あなたのおかげで、私は、あの堕落した日々から抜け出せたの」

凛は、その告白を、じっと聞いていた。

目に、また涙が滲んでいた。

「知らなかった」

「全然、俺のことなんて、興味ないのかと思ってた」

「違う」

玲依は、まっすぐに凛を見つめた。

「最初から、あなただった」

「三年前も、今も、これから先も」

――

玲依は、凛の手を、強く握った。

「仕事も、立場も、関係ない」

「凛さえいれば、私は、どこでも生きていける」

「どんな仕事だって、できる」

「あなたが、いてくれさえすれば、それでいい」

その言葉が、静かな部屋に確かに響いた。

凛の目から、堰を切ったように、涙が溢れ出した。

「玲依さん」

声が震えていた。

言葉にならないまま、凛は、堪えきれず、玲依に強く抱きついた。

玲依は、その体を、しっかりと抱きしめ返した。

三年間積み重ねてきた、すべてのすれ違いが、この瞬間、静かに溶けていった。

「もう、離さない」

玲依が、耳元でそう囁いた。

「うん」

凛が、震える声で応えた。

「俺も、もう、離れない」

――

窓の外、夕暮れの光が、少しずつ夜の色へと変わっていく。

その柔らかな薄闇の中で、二人は、いつまでも抱き合っていた。

これまでのどんな瞬間よりも深く、確かな絆で結ばれながら。
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