そこにあったはずの愛
第八十話 唯一、知っている人

あの日から、結依は、時間があれば大学に足を運んでいた。

凛の姿を見かけては、遠くから、こっそり眺める。

それだけで満足していたわけではなかった。

結依が、本当に知りたかったのは、彼のことだった。

彼女がいる、というのは、本当なのだろうか。

その疑問が、頭の中から離れなかった。

思い切って、凛と同じ学科の学生に、声をかけてみたことがあった。

「あの、赤羽さんの彼女さんって、どんな人ですか」

尋ねられた男子学生は、少し考え込むような顔をした。

「赤羽の彼女?」

「この大学の子じゃ、ないと思うよ」

別の女子学生にも、聞いてみた。

「さあ。いるの、彼女?」

「見たことないけど」

誰に聞いても、同じような曖昧な答えばかりだった。

具体的に、彼女の姿を見たことがある、という人が、一人もいなかった。

結依は、その事実に、少しずつ希望を見出し始めていた。

もしかしたら、あれは、体よく断るための口実だったのではないか。

そう考えると、胸の奥に、小さな灯りが灯るような気がした。

――

その日も、結依は、講義棟の前で、凛の姿を探していた。

「あなた」

不意に声をかけられた。

振り返ると、見知らぬ女子学生が立っていた。

落ち着いた雰囲気の、大人びた印象の人だった。

「赤羽くんのこと、聞いて回ってるんだってね」

その一言に、結依の心臓が跳ねた。

「え、あの」

「大江です。同じ学科の」

麻由香は、そう名乗った。

「話、聞かせてもらっても、いい?」

結依は、頷くしかなかった。

二人は、近くのベンチに並んで腰を下ろした。

「あなた、赤羽くんに、彼女はいないって、思ってるでしょ」

麻由香の言葉に、結依は図星を突かれ、言葉に詰まった。

「みんな、知らないみたいだったから」

「知らないのは、当然だよ」

麻由香は、静かにそう言った。

「あの子、大学で、深く付き合う友達、あんまり作らなかったから」

「バイトとか、忙しくて。彼女とも、外で会うことは、ほとんどなかったんじゃないかな」

その説明に、結依の中の小さな希望が、揺らぎ始めた。

「けど、麻由香さんは、知ってるんですか」

麻由香は、少し間を置いてから頷いた。

「うん。私だけは、知ってる」

「どんな、人なんですか」

結依は、思わず身を乗り出した。

「とても綺麗な、年上の女性」

麻由香は、遠くを見るような目で、そう答えた。

「聡明で、隙のない人」

その言葉に、結依は、会ったこともない、その人の姿を、頭の中で、思い描いた。

「二人の関係、すごく深いよ」

麻由香は続けた。

「私が見てきた中でも、あんなに、お互いだけを見てる二人、他に知らない」

その言葉一つ一つが、結依の胸に、静かに突き刺さっていった。

「だから」

麻由香は、結依をまっすぐに見つめた。

「きっと、あなたの入る隙は、ないと思う」

その一言に、結依の目に、涙がじわりと滲んだ。

麻由香の表情に、一瞬、複雑な色が浮かんだ。

それが何なのか、結依には分からなかった。

けれど、その目には、単なる忠告以上の何かがあるように見えた。

「ごめんね、はっきり言って」

麻由香が、静かにそう付け加えた。

「けど、無駄に、傷ついてほしくなかったから」

結依は、涙を拭いながら、小さく頷いた。

「教えてくれて、ありがとうございます」

麻由香は、それ以上、何も言わなかった。

ただ、結依の肩に、そっと手を置いた。

「若いんだから、他に、いい出会い、きっとあるよ」

その言葉に、結依は、また頷いた。

けれど、心の奥底には、まだ簡単には消えない、小さな未練が残っていた。

――

夕暮れの中、結依は一人、大学のキャンパスを後にした。

これで、諦めるべきなのだろう。

頭では、そう分かっていた。

けれど、胸の奥の、このそわそわとした気持ちは、まだ完全には消えていなかった。
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