そこにあったはずの愛
第九十七話 妹の存在

実家から戻った玲依は、玄関の鍵を閉めた後も、しばらく、その場に立ち尽くしていた。

今日、あれだけの想いを、家族に打ち明けてきた。

けれど、まだ、伝えるべき相手が、一人、残っている。

靴を脱ぎながら、玲依は、小さく、息を整えた。

リビングでは、凛が、ソファに座って、スマホを見ていた。

玲依の気配に気づき、顔を上げる。

「おかえり」

いつも通りの、柔らかい声だった。

けれど、玲依の表情を見て、凛は、すぐに、何かを察したようだった。

「……どうしたの、その顔」

「今日、実家で」

玲依は、言葉を選びながら、そう切り出した。

「色々、あった」

凛は、スマホを、テーブルに置いた。

その所作だけで、玲依の話を、きちんと聞く姿勢を、示してくれていた。

玲依は、その隣に、腰を下ろした。

しばらく、二人の間に、沈黙が流れた。

何から話せばいいのか、玲依自身、まだ、整理がついていなかった。

――

「ちゃんと、話したいことがあるの」

ようやく、玲依は、そう口にした。

「聞くよ」

凛の声は、静かだった。

急かすことも、先回りすることもなく、ただ、玲依の言葉を、待っていてくれる。

その姿勢だけで、玲依は、少し、救われる思いがした。

「まず」

玲依は、深く、息を吸った。

「私、妹がいるの」

その一言に、凛が、僅かに、目を見開いた。

「妹?」

「うん」

玲依は、頷いた。

「結依っていう。高校三年生」

凛は、しばらく、何かを考えるような、間を置いた。

「初めて、聞いた」

その声には、驚きというより、戸惑いに近い響きがあった。

「これまで、家族のこと、あまり、話してこなかったから」

玲依は、そう続けた。

「妹がいることも、話す機会が、なかった」

凛は、その言葉に、小さく頷いた。

けれど、その表情には、まだ、何か、腑に落ちない様子が、残っていた。

「その子が、どうしたの」

凛が、そう尋ねる。

玲依は、一瞬、言葉に詰まった。

これから、話すことの重さを、あらためて、感じていた。

「あなた」

玲依は、慎重に、言葉を選んだ。

「結依に、会ったこと、あるはずなの」

その一言に、凛の表情が、固まった。

「え」

「大学で」

玲依は、続けた。

「オープンキャンパスの時。それから、キャンパスで、声をかけられた時も」

――

凛の顔から、みるみる、血の気が引いていくのが分かった。

しばらく、言葉が出てこないようだった。

玲依は、その様子を、じっと、見つめていた。

凛の頭の中で、あの日の記憶が、蘇っているのが、表情から、はっきりと、伝わってきた。

「……待って」

やがて、凛が、絞り出すように、そう言った。

「あの子」

その声が、震えていた。

「連絡先、聞いてきた子」

「大学まで、俺のこと、調べに来た子」

凛は、記憶を辿るように、一つ一つ、言葉にしていった。

「彼女がいるって、言った時。すごく、悔しそうな顔してた、あの子」

その表情を、思い出しているのだろう。

凛の目が、遠くを、見ているようだった。

「あの子が」

凛は、ゆっくりと、顔を上げ、玲依を見た。

「玲依さんの、妹」

玲依は、静かに、頷いた。

――

長い、沈黙が、リビングに、落ちた。

凛は、頭を抱えるように、俯いた。

「なんで」

くぐもった声が、漏れる。

「なんで、そんな、偶然」

玲依は、何も、言わずに、その様子を、見守っていた。

凛の混乱を、急かすことなく、ただ、寄り添うように。

しばらくして、凛が、ようやく、顔を上げた。

その目には、複雑な感情が、幾重にも、重なっているようだった。

「あの子、今、どうしてるの」

凛が、そう尋ねた。

その問いに、責めるような色は、なかった。

ただ、純粋な、心配だけが、滲んでいた。

「大丈夫」

玲依は、静かに、答えた。

「もう、吹っ切れたって。本人が、そう言ってた」

その言葉に、凛は、少し、安堵したように、息を吐いた。

「そっか」

「けど」

凛は、まだ、どこか、落ち着かない様子だった。

「俺、あの時、もっと、ちゃんと、話すべきだったのかな」

「玲依さんの、妹だって、知ってたら」

「知りようが、なかったよ」

玲依は、すぐに、そう答えた。

「あなたは、何も、悪くない」

その言葉に、凛は、少しだけ、表情を緩めた。

けれど、まだ、完全には、消化しきれていないようだった。

玲依は、その、動揺の残る横顔を、じっと、見つめていた。

これから、まだ、もっと、重い話を、しなければならない。

異母姉妹のこと。

これまで、ずっと、一人で、抱えてきた、家族への、複雑な想い。

けれど、今、この瞬間、まず、伝えるべきだったのは、この、妹という存在との、思いがけない繋がりだった。

――

「ごめんね」

玲依が、ふと、そう、呟いた。

「変な、巡り合わせに、巻き込んで」

「ううん」

凛は、首を振った。

「玲依さんが、謝ることじゃ、ない」

その声には、先ほどまでの動揺とは、違う、確かな、温かさがあった。

「ただ」

凛は、続けた。

「びっくりした。世界、狭いなって」

その言葉に、玲依は、少し、笑った。

張り詰めていた、空気が、僅かに、緩んだ。

けれど、玲依の胸の中には、まだ、伝えるべきことが、残っていた。

窓の外、夜が、静かに、更けていく。

二人の対話は、まだ、これから、続いていく。
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