冷徹営業トップは私の限界オタクでした~恋人編~

恋人編 第8話「欲しいものは、あなたとの時間です。」

春めいた日差しが、窓際の席へ差し込んでいた。

休日の午後。
カフェで向かい合う陽菜子は、運ばれてきたケーキに嬉しそうに目を細めた。

「美味しそう。」

神崎はその表情を見てから、ようやく自分のコーヒーに手を伸ばした。

陽菜子の誕生日が、近づいている。

付き合ってから初めて迎える、彼女の誕生日だった。

二月には、手料理を作ってもらった。
ケーキも、プレゼントも、来年の約束ももらった。

思い出すだけで、今でも胸のあたりがおかしくなる。

だから、自分も喜ばせたい。

そう思って調べ始めたはずなのに、気づけば候補ばかりが増えていた。

夜景の見えるレストラン。
花束。
アクセサリー。
少し足を延ばして、旅行という選択肢もある。

けれど、写真や紹介文をいくら眺めても、それを受け取る陽菜子の顔をうまく思い描けなかった。

「紅夜くん?」

顔を上げると、陽菜子がフォークを持ったまま首をかしげていた。

「何か考え事?」

「……すみません。」

「仕事?」

「いえ。陽菜子さんの誕生日のことを。」

言ってから、もう少しさりげなく聞くつもりだったことを思い出した。

陽菜子が目を丸くする。

「まだ少し先だよ?」

「準備をしておきたくて。」

「そんなに大変なこと、しなくていいからね。」

そう言われることは分かっていた。
けれど、簡単に頷くこともできない。

「何か、欲しいものはありませんか。」

「欲しいもの?」

陽菜子は少し考えてから、困ったように笑った。

「こうやって聞かれると、思いつかないな。」

「行きたい場所でも。食べたいものでも構いません。」

「うーん……。」

その顔を、神崎は真剣に見つめた。

彼女が望むなら、できることは何でもしたい。
だが、その気持ちばかりが先に立って、肝心の望みが分からなくなる。

陽菜子はフォークを置いた。

「紅夜くんは、誕生日、楽しかった?」

「はい。」

今度は迷わず答えられた。

「すごく。」

陽菜子が嬉しそうに笑う。
それだけで、また言葉が足りなくなる。

「じゃあ、私も同じのがいいな。」

「同じ、ですか。」

「うん。紅夜くんのご飯を食べて、ケーキを半分こして、ゆっくり一緒にいたい。」

「……それで、いいんですか。」

言った瞬間、陽菜子が少し眉を下げた。

「紅夜くんは、私が作ったご飯だけじゃ、物足りなかった?」

「そんなことはありません。」

思わず声に力が入った。

「今までで、一番……。」

そこまで口にして、止まる。

陽菜子は急かさず待っていた。
神崎はカップから手を離し、静かに続きを口にした。

「一番、嬉しい誕生日でした。」

「私も、そういう日にしてほしい。」

胸の中で、何かがゆっくりほどけた。

自分がもらった喜びと、彼女が欲しいものを、別々に考えていたのかもしれない。

「……分かりました。」

「でも、ケーキは選びたいかも。一緒に買いに行かない?」

「はい。」

「ご飯は、紅夜くんにお任せします。」

「苦手なもの以外なら、何でも?」

「うん。楽しみにしてる。」

神崎は頷きながら、頭の中で献立を考え始めた。

その横で、陽菜子がケーキをひと口食べる。
唇の端についたクリームを指摘すると、彼女は慌てて紙ナプキンを取った。

「取れた?」

「……はい。」

可愛い。

言葉にしそうになって、コーヒーと一緒に飲み込む。
誕生日の相談中に何度も言えば、きっとまた照れさせてしまう。

もっとも、飲み込んだところで、顔には出ていたらしい。

「紅夜くん、何でそんな顔してるの?」

「どんな顔ですか。」

「すごく、嬉しそうな顔。」

否定はできなかった。

*

帰り道、雑貨店の前で陽菜子が足を止めた。

ショーウィンドーには、色違いのマグカップが並んでいる。
白と、深い青だった。

「これ、可愛いね。」

「見ていきますか。」

「ううん。家にまだ使えるのがあるし。」

そう言って歩き出しかけた陽菜子が、もう一度だけ振り返った。

「でも、いつかお揃いにするのもいいね。」

神崎の足が止まる。

陽菜子の部屋で、それぞれ違うカップを使ってお茶を飲むことも。
自分の部屋で、彼女のために食器を一つ多く出すことも。
いつの間にか、当たり前になり始めていた。

その先に、二つ並んだカップがある。

「……はい。」

返事が遅れたせいか、陽菜子が顔を覗き込んできた。

「紅夜くん?」

「すみません。今、少し……先のことを考えていました。」

「先?」

どこまで伝えていいのか、まだ自分でも分からなかった。

神崎は代わりに、隣にある手を取った。

「まずは、誕生日を楽しみにしていてください。」

陽菜子が笑って、その手を握り返す。

「うん。」

帰宅してから、神崎はスマートフォンに残していた候補を見直した。

いくつもの店名が並ぶメモを閉じ、新しいページを開く。

陽菜子の好きな料理。
一緒に選ぶケーキ。
それから、色違いのマグカップ。

三つ書き終えても、すぐには画面を閉じられなかった。

いつか。

今日、彼女が何気なく口にしたその言葉が、ずっと胸に残っていた。
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