昨日までの片想い

昨日までの腐れ縁(二)

 学期末テスト当日。
 帰りのHR(ホームルーム)が終わり、今日のテストはまあこんなものだろう、と大した感想も抱かないままリュックへ荷物を詰めていく。
 明日は何の科目だっただろうか。
 携帯の写真フォルダから時間割表を探し出し、画面を両手で拡大していたところで声を掛けられる。

「森さん。数学どうだった? この前、不安って言ってたけど」

 顔を上げる。
 そこにいたのは、たぶん今が人生の幸せど真ん中であろう荒井だった。
 もう関わるつもりもなかったので、少しだけ顔が引きつる。それを悟られないよう、私はいつもの笑顔を作った。

「荒井君が教えてくれた場所が出たよ! 助かっちゃった!」
「それは良かった……せっかく頼ってくれたのに、あまり会話できなかったから、実は気にしてて……」
「ううん! 全然大丈夫!」

 彼女の方が大事だっただけでしょ。
 そう思うと、わざわざ愛想よく話していることまで馬鹿らしくなってくる。どうやって会話を終わらせようか。
 そんなことを考えていた時だった。

「荒井君、帰ろ」
「せ、先輩!」

 教室の入口に、二年生の女子生徒が立っていた。
 前に荒井が名前を口にしていたような気もする。でも、興味がなかったので覚えていない。
 荒井は傍から見ても分かるほど、一瞬で嬉しそうな表情をする。

「じゃ、じゃあ森さん。先帰るね」
「うん。またね」

 お前から話しかけてきたんだろ。
 そんな言葉は飲み込み、笑顔のまま二人を見送る。
 荒井と先輩が教室から消える。
 それだけだった。なのに。急に、一人になった気がした。
 周囲にはまだ大勢のクラスメイトがいる。
 笑い声も。
 机を動かす音も。
 誰かを呼ぶ声も。
 教室は騒がしいくらいなのに。
 胸の奥に生まれた落ち着かなさから逃げるように、黒板の上の時計を見る。帰りのHRが終わってから、もう四十分が経っていた。

「やば」

 反射的に荷物を掴み、教室を飛び出す。
 別に、約束なんてしていない。いつも帰る時間が偶然重なるだけ。待ち合わせをしたことなんて、一度もない。
 それでも。
 あいつなら、まだいる気がした。

「おう、遅かったな」

 昇降口へ着くと、予想通りの姿がそこにあった。
 外から冷気が入り込む場所で、一人、壁にもたれている。

 ──よかった。

 そう思うより早く、腹が立った。
 教室まで来ればいいのに。先に帰ればいいのに。どうして、こんな寒いところで待ってるんだ。

「他に一緒に帰る人いないわけ?」
「人のこと言えないだろ、お前」

 私の悪態を、こいつは笑って流す。こう言っても怒らないと分かっている。
 それを分かった上で吐き出す言葉が、少し嫌だった。
 二人で靴を履き替えて外へ出ると、冬の風が身体を襲う。

「さっみーなー。さっさと帰ろうぜ」

 なら、何で待っていたのか。
 聞けば、たぶん答えてくれる。でも、それを聞くのは何となく負けた気がした。
 少し先を歩く、私より大きな背中。そんな背中へ向かって声を掛ける。

「ねぇ、歩くの少し早い」
「あぁ、すまん」

 歩調を緩め、こちらを振り返る。

「……お姫様のために、エスコートしましょうか?」

 わざとらしく片手を差し出してくる。
 腹が立つ。
 いつもなら、その手を叩き落としていたのに。しかし、差し出された手の先が僅かに赤くなっていて。
 その冷え切った指先を見て、苛立ちより罪悪感が勝ってしまう。

「……ごめん」
「おいおい、急になんだよ」

 私が待たせていたから。
 そう考えた瞬間、差し出された手を取る気にはなれなかった。
 代わりに、制服の袖を掴む。

「肉まん、奢ってあげる」
「お、まじで? 寒かったから、めっちゃ嬉しいわ」

 寒かった。
 その言葉が、妙に耳に残り、袖を掴む指へ少しだけ力が入った。

「ほら、行くよ」
「そんな急ぐことある?」
「急いでない」

 学校を出て、歩幅を広げてコンビニへ向かう。その後ろを、いつもの歩調で付いてくる。
 慣れない歩き方のせいで息が少し上がり、冬の冷たい空気の中でも身体が熱くなっていく。

「いや、絶対急いでるだろ」
「急いでないって言ってるでしょ」

 肉まんを一個奢ったところで、何かが帳消しになるわけじゃない。
 そんなことくらい分かっている。それでも、今は早く何か返したかった。
 少し先にコンビニが見えてくる。
 駐車場には、同じ制服を着た生徒が何人かいた。
 その中に、一つの肉まんを二人で分けている男女がいる。
 楽しそうに笑っていた。
 私は足を止める。
 いいな──自然と、そう思った。
 視線をずらせば、友人同士で買ったものを分け合っている女子たち。少し離れたところでは、男子生徒たちが同じペットボトルを回している。
 誰かと何かを分ける。それが、やけに眩しく見えた。

「──い。おい。肉まんとあんまん、どっちがいい?」
「え?」

 いつの間に買ってきたのか。両手には、それぞれ肉まんとあんまん。
 伊達眼鏡の奥から、少し心配そうにこちらを見ている姿を、何故か直視することが出来なくて。

「……あんまん」

 差し出された方を受け取り、そのまま勢いよく齧りつく。
 餡が押し出されるように口の中に飛び込み、そして、熱すぎる餡に声にならない悲鳴を挙げる。

「お、おい。だから気を付けろって」

 呆れた声を出しながら、リュックサックから出したペットボトルを差し出してくれる。

「ほら。飲みかけだけど」

 私は少しだけ迷ってから、それを受け取った。
 当然のように差し出してくれたペットボトルに、私は迷いなく口をつける。
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