屋敷を守るための契約結婚だったのに、気づけば冷徹社長に囲い込まれていました
「私、原口部長が社長に異動させられたと聞いて、ずっと、すごく……社長に腹が立ってました」
「あぁ、皆そう思ってくれているようだね。私も異動するときは多少腹も立っていたしな。でも、今だから言えるけど、それは誤解もあるよ」
原口部長は短く笑ったあと、しばらく視線を落とす。
その様子に、私は何となく踏み込んではいけない話題なのかもしれないと感じて口を閉ざした。しかし彼は続けた。
「昔の私は、仕事を中心にして生きていて、家族と向き合うことから逃げていたんだ。妻が喘息のひどい子どもの対応に悩み続けていたのに……。それでついに離婚を突きつけられて、それでも仕事をとろうとしていたんだ」
言葉を選ぶように話す彼に、私はただ黙って耳を傾ける。
「異動が決まったときは正直納得していなかったよ。どうして俺がって。だが、今はあれでよかったと思っている」
その言葉に私は少し驚いて顔を上げた。部長は本当に晴れやかな顔をしていた。
「環境が変わって、家族との時間が増えて、子どもとの時間が増えて。子どもも今の環境が合っていたのか喘息は少しずつ改善してきて、笑顔が増えて、妻の笑顔も増えた。それを見るとやっぱりこれでよかったんだって思って……。自分の生き方も見つめ直す機会ができた」
「そういうものなんですか……」
「あぁ。人間、一度は痛い目を見ないと気づけないこともあるもんだ。最初は本当にどん底な気分だったけどな」
だからこんなに表情が違うのだろうか。元々真面目な部長だと思っていたが、今の方が穏やかで明るく感じる。
「それは良かったです」
「あぁ。本当にそう思う」
その返事には少しも迷いがなく、それが心からの言葉なのだとわかった。