屋敷を守るための契約結婚だったのに、気づけば冷徹社長に囲い込まれていました
なぜ突然キスをしてきたのか、その理由がわからず、かといって問いただす勇気もなく、あの夜以降私は清正さんを避けるようになり……時間だけが過ぎていった。
気まずさを抱えたまま一週間がたった土曜日の朝は、窓から差し込む穏やかな陽射しとは裏腹に、私の胸の中だけが重たい雲に覆われたような状態だった。
珍しく予定の入っていない休日だったはずなのに、朝食を終えて食後のお茶を飲んでいた清正さんのスマートフォンが鳴る。
電話の着信を確認した彼は一瞬だけ表情を引き締めると、短く何かを聞き返したあとで静かに立ち上がり、「少し出てくる」とだけ告げて私服のまま屋敷を出て行った。
私はその後ろ姿を見送りながら、結局何も言えないまま閉じられた玄関扉を見つめ続けていた。
休日なのだから私的な用事なのかもしれないし、社長である以前に一人の人間なのだから、私の知らない付き合いや事情があって当然だ。
それなのに……どうしてこんなにも胸がざわつくのだろう。
もしかして玲子さんと会うのだろうか。そう思う自分が情けない。
もし本当にそうでも、私には彼を止める権利なんてないのに。
そうしていると、次は玲子さんの言葉ばかりが鮮明によみがえってきて、思わず唇をきつく結んだ。
――『結婚した? ただ離婚すればいいだけでしょ。清正さんの血筋に合うのは私なの! あなたみたいな人間じゃない!』
そうだ……結婚したからといって、それが永遠に続くとは限らない。
契約結婚なのだから、離婚すれば終わりだ。私だってそう思っていたじゃないか。
もし私がいなくなったとしても、清正さんはまた誰かと結婚できる。そして、その相手が玲子さんなら、会社にとっても都合がいい。
血筋だってそうだ。
私には何もない。朝霧家の血も、九条家の血だって……。
両親が亡くなり、この屋敷を私へ残すという遺言が明らかになったときの出来事を思い出しながら、私は窓の外へ視線を向ける。
あの日も玲子さんは激しく反対していた。
『どうして夏音が。この家の血の入ってない子が……!』
そう叫んで取り乱していた姿は、今でもはっきり覚えている。
だから私は思ったのだ。両親が私に残してくれたこの家を大切に守ろう、と。
自分のものだと主張するのではなく、いつか玲子さんが訪れたときにも恥ずかしくないように管理し続けよう、と。
ここは私だけの家ではなく、みんなの思い出が詰まった場所なのだから。
けれど玲子さんは、一度もこの屋敷へ足を運ばなかった。
私はそれを気遣いだと思っていた。あるいは忙しいからだと。
けれど違ったのだろう。彼女はあの頃からずっと怒っていたのだ。
血の繋がらない私がこの場所にいることを。
本来自分が得られるはずだったものを私が持っていることを。
そして、その怒りは今も消えていない。むしろ年月を重ねるごとに強くなっていたのかもしれない。
そして清正さんのこと……。血筋。家柄。立場。会社。将来。
どれを取っても、私より玲子さんのほうが、清正さんにふさわしい。
私から見てもそう思う。
そんなのは最初からわかっていたはずなのに、清正さんと過ごす時間が幸せだったから、都合よく忘れようとしていただけなのかもしれない。
私はソファへ腰を下ろしながら膝の上で指をぎゅっと握り締めた。静まり返った屋敷の中で小さく息を吐く。
もし本当に清正さんが玲子さんを選ぶと言ったら、私は笑顔で祝福できるだろうか。
会社のためだから。そのほうが正しいから……。そう思って送り出せるだろうか。
答えは考えるまでもなかった。
胸が苦しくて、息が詰まりそうで、想像しただけで涙が出るだけだった。