屋敷を守るための契約結婚だったのに、気づけば冷徹社長に囲い込まれていました
「お名前なんていうの? 私は夏音っていうの。ここの娘だよ」
返事をしない俺を前にしても気まずそうな顔ひとつ見せず、夏音は好奇心いっぱいの瞳で俺の顔を覗き込んでくる。
俺は無視を決め込んだ。普通なら無視されれば諦めるだろう。
だが彼女は違った。
「ねえ、あなたのお名前は?」
無視して視線も逸らす俺に、彼女は気にもせずに続ける。
「教えてくれないの? 教えてよ。呼べないじゃん。『ねぇ、あなた』ってずっと呼ぶの? 夫婦みたいになるけどいい?」
「……清正」
ようやく口を開くと、なぜか夏音はぱっと顔を輝かせた。
「きょーくん?」
完全に間違っている。
「いや……」
「きょーくん、行こう!」
まるで友達になれたみたいに嬉しそうな声を出す夏音に戸惑っていると、彼女は何のためらいもなく俺へ手を差し出した。
「え……」
突然の出来事に反応できなかった。
手を取るべきか迷っている間に、夏音の方が先に俺の手を掴んだ。
小さな手だった。
けれど、驚くほど温かく、俺は知らない感覚で少し怖くなった。
「やめろよっ」
気づけば反射的にその手を振り払っていた。
ぱしりと乾いた音が響き、俺自身が一番驚いて目を見開く。
しまった。泣かれるかもしれない。怒りだすかもしれない。
そう身構えた俺とは反対に、夏音は一瞬きょとんとした顔をしたあと、ふわりと微笑んだ。
「そっか。じゃあ手は繋がないや」
怒りでも責める言葉でもない。
ただ当たり前みたいにそう言った彼女に居心地の悪さを感じ、俺は視線を逸らしたまま歩き出した。
これ以上関わる気はなかった。
そう思っていたのに……。