屋敷を守るための契約結婚だったのに、気づけば冷徹社長に囲い込まれていました
そのとき、一人の男性がこちらにやって来た。
「いつもお世話になっております。なかなかご挨拶ができず申し訳ありません……。私、健太の父です」
「いえ、こちらこそいつも健太くんにはお世話になっていて……」
私はその人物の顔に見覚えがあると気づいた。そして記憶と合致すると思わず言葉を失う。
「……え、っと。支部先生?」
テレビや新聞で何度も見た顔だった。
現職の国土交通大臣で、広域再開発計画の先頭に立つ人……。
まさか健太くんの父親だとは思ってもみなかった私は、驚きのあまりしばらく言葉を探す。
「知っていていただけましたか」
支部先生は微笑んでそう言うと、少し離れた場所で友人たちと遊んでいる健太くんへ優しい視線を向ける。
「一年前に離婚して、あの子は母親が引き取りましてね。だから名字は違っているんです。でも、週に一度は会っています」
「そ、そうだったんですか」
思わず健太くんへ視線を向けると、健太くんは少し遠くから父親をどこか誇らしげに見ていて、その様子から二人の関係が良好なのだということが自然と伝わってきた。
「離婚後に不安定だった健太がここを見つけてから気に入ったようで……ずっと通わせてもらっていると聞いていました」
支部先生はそう言いながら庭を見渡し、子どもたちの笑い声や大人たちの穏やかな表情を見て、目を細めた。
「健太くんは明るくて、みんなに声をかけて……すごく人気者なんですよ」
いつもの健太くんについて答える私に対し、支部先生は静かに頷いた。
「実を言いますと、あの子は問題が多くて……小学校に通えていませんでした」
「少しだけだけど聞いています」
だけど、うちにくる子にはそんな子も多い。
「でも、ここに通いだして、学校へも少しずつ……。そんな健太の成長を見ながら、今更ながら夫婦で話す時間も多くなってきたんです」
「それは……本当によかったです」
私が言うと、支部先生は頷いた。
「実は、私はここに通いだしたとき、すごく心配していたんです。どんな場所なのかよく知らなかったものですから。いえ、最初は知ろうともしなかった」
そう言って支部先生は庭へ視線を向けた。
「ですが健太は会ったときにいつもここの話をするんです。あなたの話も。それに今日、直接この場所を見て安心しました。子どもたちが自由に走り回り、地域の人間が自然に顔を合わせる場所というのは、今の時代にはそう多くありません。朝霧会長と社長とも直接話をさせていただきましたが、彼らの言う通りでした」
静かに告げられたその言葉に、私は思わず息を呑んだ。
「え……会長と社長?」
「えぇ、再開発地域についてのご意見をうかがうのに話をさせていただいたんです。彼らも同意見ですが、再開発には再開発の価値があります。しかし、何でも新しくすればいいというものでもありません。地域には残すべきものもあります。ここは残しておいた方がいい場所だと、今日、こうして直接見て確信しました。安心してください」
ずっと守りたかった場所。失いたくなかった場所。
それを認めてもらえたのが嬉しくて、私は思わず目を潤ませながら深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。これからもここも、健太も、よろしくお願いします」
支部先生は柔らかく微笑むと軽く一礼し、そのまま健太くんのもとへ歩いていった。
駆け寄ってきた健太くんが嬉しそうに何かを話し始めると、その表情は大臣でも政治家でもなく、ただの父親の顔へと変わる。
私はその光景を見つめながら、守りたかったものは屋敷だけではなかったのだと改めて思った。