屋敷を守るための契約結婚だったのに、気づけば冷徹社長に囲い込まれていました

「夏音! お前、何ぼーっとしてるんだよ?」

 勢いのある声と同時に、ぐいっと顔を覗き込まれて、私ははっと現実に引き戻された。
 土曜の昼間。自宅の庭で、目の前にいたのは小学二年生の松島健太くんだ。

 庭を囲むように建つ屋敷は、瓦屋根や縁側を備えた和風建築でありながら、玄関には洋館を思わせる車寄せがあり、二階には大きなアーチ窓が並ぶ。長い年月を重ねた風格と、どこか異国めいた優雅さをあわせ持つその姿は、一軒の屋敷というより、小さな迎賓館のようにも見えた。手入れの行き届いた庭には松や紅葉、季節の草花が植えられ、子どもたちが走り回っても余るほどの広さがある。

 目の前の健太くんは、汗で前髪を額に張りつかせながら、得意げな顔で手を突き出している。彼は一年生になったころからよくこの家へ遊びに来るようになった子だ。

 その小さな手の中では、じじじ……っと羽を震わせた蝉がまだ元気に暴れている。

「健太くん、『お前』って言っちゃダメって言ったでしょ」

 私が注意すると、健太くんは全然悪びれた様子もなく、むしろ胸を張った。

「ほら、夏音。これやるよ! そこでとった蝉!」
「ありがとう」

 私はそっと受け取る。掌の中で蝉の脚がわしゃわしゃ動いていた。

「えぇー! なんで平気なんだよ! 怖がれよ~! 母さんだったら絶対叫んでるぞ!」
「こっちはこんなの慣れてるんだってば。小さい頃から庭にいっぱいいたし」

 笑いながら答え、私はまだ元気な蝉を庭の木の幹へそっと戻した。蝉はしばらく脚を動かしたあと、まるで何事もなかったみたいに木へしがみついて声を上げだした。

 広い庭では、今日は五人の子どもたちが思い思いに遊んでいる。
 虫取り網を持って走り回る子、パラソルの下で麦茶を飲みながら絵本を読んでいる子、ホースで水遊びを始めようとしている子。蝉の声と子どもたちの笑い声が混ざり合って、屋敷全体が夏そのものの空気に包まれていた。

 私は週末だけ、この屋敷の庭と一室を地域の子どもたちへ開放している。
 最初に始めたのは私の祖父らしい。それを両親が継いで、今は私。

 子どもたちがふらっと立ち寄って、一緒にご飯を食べて、遊んで、夕方になると帰っていく。そんな場所をこれまでずっと当たり前みたいに続けていた。
 多いのは、不登校や家庭で事情を抱えている子。ここがよりどころみたいになっている子ばかりだ。

 だから、両親が亡くなったあとも自然と私が引き継いだ。
 もちろん綺麗事だけじゃない。

 この屋敷は古くて、庭も広い。維持費だけでもかなりかかるし、修繕費だって次から次へ必要になる。固定資産税の通知を見るたびに頭を抱えるし、正直、給料のほとんどがそんな維持費に消えていく。

 私一人がここに住んでいるので、一緒に分かち合う人もいない。
 それでも私は、どうしてもここを手放したくなかった。

 ただの建物じゃない。ここには、血以上の絆が詰まっていると思っていた。私や家族の人生そのものが詰まっている……。そして子どもたちの居場所としても大事な場所。
 だから残したい。

 何をやろうとも、ここだけはずっと大事に残していくつもりだ。
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