あなたをみてる
付き合い始めてから、初めての休日。
奏とゆかりは、駅前で待ち合わせをしていた。
「お待たせ」
声に振り返ると、ゆかりが小走りで近づいてくる。
「いや、俺も今来たところ」
「ほんと?」
「ほんと」
本当は、二十分も前からいた。
初めてのデートだからと気合いを入れすぎたなんて、恥ずかしくて言えるわけがない。
「じゃ、行こっか」
「うん」
並んで歩き始める。
今までだって、二人で話したことは何度もある。
ゆかりの相談を聞いたこともある。
夜まで一緒にいたことだってある。
なのに今日は、何かが違った。
――ゆかりは、俺の彼女なんだ。
そう思っただけで、隣を歩くことすら妙に緊張する。
「奏くん」
「ん?」
「さっきから静かじゃない?」
「そう?」
「緊張してる?」
図星だった。
「……ちょっとだけ」
ゆかりが吹き出した。
「何それ。かわいい」
「男にかわいいって言うなよ」
「だって、かわいいんだもん」
楽しそうに笑うゆかりを見ていると、俺まで笑ってしまう。
こんな時間が、ずっと続けばいい。
その日は買い物をして、昼を食べて、ゲームセンターにも寄った。
特別なことなんて何もしていない。
それでも奏にとっては、何をしていても楽しかった。
夕方。
駅へ戻る途中、ゆかりが足を止めた。
「今日、楽しかった」
「俺も」
「奏くんと付き合ってよかったかも」
「……かも?」
「ふふっ」
「そこは言い切れよ」
「じゃあ、付き合ってよかった」
ゆかりが笑う。
奏は少し迷ってから、その手を握った。
ゆかりは驚いたように奏を見る。
「……嫌だった?」
「ううん」
握った手を、ゆかりが握り返す。
それだけで胸がいっぱいになった。
駅の近くまで来たところで、二人は立ち止まった。
「じゃあ、またバイトでね」
「うん」
離れようとしたゆかりを、奏が呼び止める。
「ゆかり」
「ん?」
目が合った。
奏はゆっくり顔を近づける。
ゆかりも逃げなかった。
唇が重なる。
ほんの短いキス。
離れると、ゆかりが少しだけ笑った。
「……それだけ?」
「え?」
「なんでもない」
「何だよ、それ」
また、ゆかりが笑う。
「じゃあね、奏くん」
「おう。またな」
遠ざかっていく後ろ姿を、奏はしばらく見送っていた。

数日後。
コンビニのレジに立つ真司は、品出しをしている奏とゆかりを見ていた。
「奏くん、それ取って」
「これ?」
「違う。その隣」
「こっち?」
「そう、それ」
「最初からそう言えよ」
「分かると思ったんだもん」
二人が笑う。
それだけのことだった。
けれど、真司の手が止まった。
以前なら、ゆかりがあんな顔を見せる相手は自分だった。
そう思った瞬間、胸の奥がざらついた。
「店長?」
客の声で我に返る。
「あ、すみません」
真司は慌ててレジへ向き直った。
それでも視界の端には、奏の隣で笑うゆかりがいた。
その日の夜。
ゆかりのスマートフォンが震えた。
―会いたい―
真司からだった。
画面を見つめる。
少し前までなら、その一言だけで心が動いていた。
ゆかりはしばらく考えてから返信した。
―今日は無理―
すぐに既読がつく。
―少しだけでも―
―無理―
短く返して、スマートフォンを伏せる。
その後も何度か震えたが、ゆかりは画面を見なかった。

さらに数日後。
結局、ゆかりは真司と会っていた。
いつものホテル。
部屋に入るなり、真司はゆかりを抱き寄せた。
「ちょっと、真司」
「何だよ」
「どうしたの?」
返事の代わりに、真司がキスをする。
長く続いた関係だった。
触れ方も、距離の詰め方も、お互いによく知っている。
言葉にしなくても分かることが、この二人にはいくつもあった。
それなのに今日は、どこか違う。
真司はいつもより離れようとしなかった。
「……真司?」
「ん?」
「なんか変」
「何が?」
「分からないけど」
真司は答えず、テーブルの上に置かれていた小さな箱を手に取った。
中から出てきたのは、おもちゃの手錠だった。
ゆかりが呆れたように笑う。
「何それ」
「嫌?」
ゆかりは真司を見つめた。
「……別に?やってみたい」
遊び半分のはずだった。
けれど、真司の目は笑っていなかった。
手錠はベッドの端を通して、ゆかりの手首に繋がれた。
「なんか、いつもと違って、面白い」
真司は、ゆかりの言葉に返事をせず、ブラウスのボタンを外していく。
フリルの付いたブラジャーが丸見えになった。
ゆっくり丸裸にされていくゆかりに真司は。
「ゆかり、ここ、好きだよな?ここも感じるんだよなここも、ここも」
「あん!ダメ!そこ、ダメ!」
ゆかりは、嫌がっても、真司は一向にやめず、ゆかりの敏感な所を何度も何度も責め続けた。
「許して真司。もぉ、だめぇ」
その言葉を待っていたかのように、真司はゆかりを抱いた。
しばらくして手錠が外されても、真司はゆかりを抱いたまま離そうとしなかった。
「……奏と別れろよ」
ゆかりの表情が止まった。
「またそれ?」
「本気で言ってる」
「私も本気で付き合ってるよ」
「だから別れろって言ってんだよ」
ゆかりは真司の胸を押して、少し距離を取った。
「自分は?」
「え?」
「かの子さんとは、いつ別れんの?」
真司が黙る。
「ほら」
「それは……」
「私には奏くんと別れろって言うくせに、自分は別れないの?」
「そういうことじゃない」
「何が違うの?」
答えが出てこない。
ゆかりは真司の顔をじっと見た。
そして、小さく笑った。
「もしかして真司、奏くんと付き合い始めたから、急に私のこと惜しくなったん?」
「違う」
返事だけは早かった。
「ふぅん」
「前から好きだったよ」
「だったら、なんで今まで待たせたの?」
真司は何も言えなかった。
ゆかりはベッドから降りた。
床に落ちていた服を拾い、ゆっくり身につけていく。
「もう帰るのか?」
「うん」
「もう少しいろよ」
「今日は帰る」
「ゆかり」
真司が腕を掴む。
ゆかりが振り返った。
「……何?」
その目を見て、真司は手を離した。
「また連絡する」
「うん」
以前なら。
次はいつ会えるのか。 本当にかの子と別れるのか。
ゆかりのほうから聞いていた。
今日は、何も聞かなかった。

ホテルを出てしばらくすると、スマートフォンが震えた。
奏からだった。
―今日はバイトお疲れ。今度またどっか行こうな―
ゆかりは足を止めた。
画面を見つめる。
少しして、指を動かした。
―うん。また行こ―
送信。
すぐに既読がついた。
―約束な―
ゆかりはその文字をしばらく見つめていた。
やがてスマートフォンをバッグへしまう。
そして何事もなかったように、夜の街を歩き出した。








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