その青は廻る
 アパートの正面玄関から出ると、昨日と同じ景色があった。違うのは服装と、こちらに軽く手を上げたことくらいだった。

「今日は打ち合わせだ。けど、あまり気を張らなくていい。ただ、携帯は仕舞っておけ」乗り込んでドアを閉め、シートベルトを掛けていると、指摘するように言った。

「承知しました、すみません……」と答えて、肩をすぼませる。すると、隣から軽く息を吐く音が聞こえた。おそらく溜息に近いものだった。

「業務中はそれでいい。けど、俺といる時は……、普通でいい」

 少し姿勢を正す。その言葉ははっきりと聞こえていた。なのに、どこか片隅のほうで、陽炎のように揺れていた。

 フロントガラスの向こう側には、白い雲、その上に青い空が広がって、鳥たちが飛んでいる。やがて、数羽の雀が電線に止まり、小さな羽を休めていた。
その様子を、ぼんやりと眺めながら、ただ思った。

『あぁ、そうだ。寝てないんだ、わたし……』

 空笑いをしたあとで、どうにか表情を戻していく。ベッドへ潜り込んだあとで、色々と思い返してみたが、なぜか思い浮かぶのは、一つの疑問だった。結局は「上司」でしかないのだけれど、なんて呼べばいいのか分からない。

「あの……」口にした声が小さくて、自分でも聞き取れなかった。

「ん?……、どうした」ふとこちらを向いて、軽く息を整えたあとに、柔らかな声が聞こえた。

「……どう、呼んだら、いい、ですか」そこで、深呼吸をしながら、迷った末に吐き出した。すると隣で、ふと鼻息を漏らして、煙草を取り出す。火を点けたのを、自然と視線で追うと、白い煙を吐き出した。その口元を捉えるよりも先に、視線をサイドミラーへ移す。そこに映る顔は、今朝と同じだった。

「玉城の好きにしたらいい」こちらへ投げるように言うと、「他のやつも同じだ」と続けた。そこで、思い浮かべた二人の名前を、並べてみる。それでも、戸惑ってしまう。

 ただ、呼べばいいだけのことを、ここまで来て、まだ躊躇っている。そう考えると、急に自分が馬鹿馬鹿しく思えた。
< 14 / 35 >

この作品をシェア

pagetop