その青は廻る
一人になった個室の中で、暫く椅子を眺めてから、おもむろに腰を上げる。足の向くままに、椅子に座ると、体ごと持っていかれそうになった。咄嗟に肘掛けを掴んで、ふと息を吐いてから、静かに座り直す。
ゆっくり腰を預けて、深呼吸をすると、微かに煙草の匂いがした。椅子は丁度いい大きさで、しっかりと体を支えてくれている。けれど、足の先が届かなくて、僅かに浮いていた。
よく見ると、木で誂えた肘掛は使い古されていて、色が褪せている。そこから、軽く手を伸ばせば、機材に触れられそうだった。
少し体の向きを変えれば、テーブルに届く。少し歩けば、ソファーに座れる。狭い個室だけれど、仕事の動線が出来ていた。
そこで、ふと上を仰いでみると、何の変哲もない天井がある。色は暗くてよく見えないけれど、目を凝らせば空さえ見えそうな気がした。
再び体を前へ向けて、ブース内を眺める。大きなピアノと長椅子、ぽつんと立ったマイクスタンド。ピアノの上にはメトロノームが置かれていた。
今にも誰かが来て、歌い出しそうなのに、なぜかメトロノームの音が脳裏で鳴っていた。
ただ、呼吸をして、瞬きをする。繰り返す間に、眠りに落ちていた……。
それはまるで、映画のフィルムを見ているようだった。
ひどい雨の中で、小さな長靴を汚したこと。少し背伸びして、ペディキュアを覚えたこと。波打ち際で、はしゃぎすぎて、足を取られた瞬間だった。
はっと目を開けると、そこは何も変わっていなかった。なのに、やけに額が熱くて、喉も乾いていた。
嫌な予感がして、額を触ってみたけれど、思ったより熱くなかった。胸を撫で下ろして、背伸びをしたところで、大きなあくびが出た。そのまま、体の向きを変えたところで、視線がぶつかった。
これは、さすがにまずいと、慌てて姿勢を正して、気合いを入れる。肘掛に力を入れて立ち上がろうとした時だった。
「そのままでいい、急に立ち上がるな」と、とても低い声で言い、こちらを向かずに、テーブルの上へ視線を落としている。
一枚の楽譜を前に、音符や記号を記していた。節くれが目立つ指に、軽く握られた万年筆。左手の指に挟まれた煙草から、白い煙が緩やかな線を描いていた。
怒っている気配はないし、忙しそうな雰囲気もない。声を掛けようか、暫く迷ったけれど、そのまま、彼を眺めていた。
ゆっくり腰を預けて、深呼吸をすると、微かに煙草の匂いがした。椅子は丁度いい大きさで、しっかりと体を支えてくれている。けれど、足の先が届かなくて、僅かに浮いていた。
よく見ると、木で誂えた肘掛は使い古されていて、色が褪せている。そこから、軽く手を伸ばせば、機材に触れられそうだった。
少し体の向きを変えれば、テーブルに届く。少し歩けば、ソファーに座れる。狭い個室だけれど、仕事の動線が出来ていた。
そこで、ふと上を仰いでみると、何の変哲もない天井がある。色は暗くてよく見えないけれど、目を凝らせば空さえ見えそうな気がした。
再び体を前へ向けて、ブース内を眺める。大きなピアノと長椅子、ぽつんと立ったマイクスタンド。ピアノの上にはメトロノームが置かれていた。
今にも誰かが来て、歌い出しそうなのに、なぜかメトロノームの音が脳裏で鳴っていた。
ただ、呼吸をして、瞬きをする。繰り返す間に、眠りに落ちていた……。
それはまるで、映画のフィルムを見ているようだった。
ひどい雨の中で、小さな長靴を汚したこと。少し背伸びして、ペディキュアを覚えたこと。波打ち際で、はしゃぎすぎて、足を取られた瞬間だった。
はっと目を開けると、そこは何も変わっていなかった。なのに、やけに額が熱くて、喉も乾いていた。
嫌な予感がして、額を触ってみたけれど、思ったより熱くなかった。胸を撫で下ろして、背伸びをしたところで、大きなあくびが出た。そのまま、体の向きを変えたところで、視線がぶつかった。
これは、さすがにまずいと、慌てて姿勢を正して、気合いを入れる。肘掛に力を入れて立ち上がろうとした時だった。
「そのままでいい、急に立ち上がるな」と、とても低い声で言い、こちらを向かずに、テーブルの上へ視線を落としている。
一枚の楽譜を前に、音符や記号を記していた。節くれが目立つ指に、軽く握られた万年筆。左手の指に挟まれた煙草から、白い煙が緩やかな線を描いていた。
怒っている気配はないし、忙しそうな雰囲気もない。声を掛けようか、暫く迷ったけれど、そのまま、彼を眺めていた。