その青は廻る
 それは、節くれが目立つ指の間に挟まれた煙草の銘柄を、何とか捉えたときだった。僅かな記憶がうっすらと浮かんできて、あと少しで掴めそうなところで、火が消えて、灰だけが残った。

 まるで線香花火の終わりのように、行き場を失った手が頼りなく落ちた。
 躱そうとしたところで、手のひらが頬に触れ、重ねられた唇から、生暖かい感触が伝わってくる。目を閉じられないままで、そこにある顔がぼんやりとしていた。

 拒否するよりも先に、記憶を取り出すことを優先したばかりに、気づけば何度も生暖かい感触が重なっていた。そのうちに、這うように舌先で唇を舐め、歯に軽く触れたあと、僅かな隙間を抜け、口内へ入り込んでくる。

 されるがままの体と、どこかへ飛びそうな意識の中で、記憶の危うい男に、キスをされている。男の顔が離れていくと共に、その事実を「最低な男」として、力強く保存した。

 自分のことなど棚に上げ、初めてを奪われたことへの抗議をしようとした。すると男は「行くぞ」と有無も言わさず、こちらの手首を掴み、ドアを開けて足取りも気に留めずに進んでいく。途中で何度か腕を振ったり、軽く捻ってみたりもしたが、やはり、無駄な抵抗だった。

 そして、一台の車の助手席前へ着くと、ドアが開けられて視線で促される。そのまま乗車すると、男も運転席へ乗り込んだ。ほぼ同時にシートベルトを掛けたところで、互いの顔が近づく。

 思わず顔を引いたこちらに、男は苦笑いを浮かべて言う。

「悪いけど、今じゃない」その言葉に、思わず「じゃあ、さっきのは何だったんですか」と苛立った。それをきっかけに、思いつきの疑問を吐き出す。

「大体、どこ行くんですか、早く帰りたいんですけど」

 先程の抗議よりも先に、新たな抗議を投げていた。なのに、男は答えずに煙草を口にし、静かにエンジンをかけたあと、サイドブレーキを落として車を走らせる。そして一息吐いてから言った。

「だから、今帰ってる」

「誰から聞いたんですか」と返したものの、すぐに思い直し、「いえ、なんでもないです」と加えた。けれど、男は大きな息を鼻から吐き、口を開く。

「なんだっけ、あいつ。髭面の……」そう言いながら、思い出すような仕草で視線を上げ、信号の赤を見つめている。

『それはアンタもや』と心でツッコミを入れ、出てくるであろう名前を取り出したまま、流れに身を任せていた。もはや、提示する気力もない。それなのに、脳内の片隅で、あの呼称を繰り返していた。
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