別府の湯けむり、君と50年の未来

その日が来た

 月日は流れ、雪のお腹は日に日に大きくなっていった。

 そして、ついに臨月を迎えた。

 遥斗は相変わらず、雪のことを心配していた。

「雪、無理してない?」

「大丈夫だよ」

「疲れたらすぐ休んで」

「分かってるって」

 二人で笑い合いながら、赤ちゃんが生まれてくる日を楽しみに待っていた。

 病院バッグも、雪が早くから準備していた。

「これで大丈夫」

 バッグの中には、必要なものがきちんと入っている。

 遥斗は何度も確認していた。

「本当に準備できてる?」

「うん。遥斗より私のほうが準備できてるよ」

「……確かに」

 二人で笑った。

 そして――。

 その日は突然やってきた。

 夜。

 雪が立ち上がった瞬間、表情が変わった。

「……遥斗」

「どうした?」

「破水した」

「えっ!?」

 遥斗の顔が一瞬で青ざめた。

「どうしよう……!」

 慌てて立ち上がる。

 けれど、何をすればいいのか分からない。

「病院バッグ……車……いや、病院に連絡……」

「遥斗、落ち着いて」

 雪は冷静だった。

「病院バッグは準備してあるから、それを持ってきて」

「分かった!」

 遥斗は急いでバッグを取りに行った。

「これだよね?」

「うん」

「他に必要なものは?」

「水分取りたいから、お水かお茶を準備して」

「分かった!」

 遥斗は急いで水とお茶を用意する。

 そのとき――。

「……っ」

 雪が顔をしかめた。

「雪?」

「陣痛きた……」

「もう?」

「遥斗、病院に連絡して」

「分かった!」

 遥斗は急いで病院へ電話をかけた。

「もしもし! 妻が破水して、陣痛も始まっていて……」

 病院からいくつか確認され、遥斗は雪の状態を伝える。

「はい……はい。分かりました」

 電話を切る。

「受け入れてくれるって」

「よかった」

 雪はゆっくり息を吐いた。

「じゃあ、車に行こう」

「うん。俺が支える」

 遥斗は雪を支えながら玄関へ向かった。

 病院バッグを持ち、水とお茶も忘れずに車へ運ぶ。

「雪、ゆっくりでいいから」

「ありがとう」

 遥斗は雪を助手席に乗せ、シートベルトを確認する。

「苦しくない?」

「大丈夫」

「本当に?」

「遥斗、前見て運転してね」

「……はい」

 雪は痛みに耐えながら、少し笑った。

 遥斗は運転席に乗り込み、病院へ向けて車を走らせた。

「雪、陣痛どう?」

「……少しずつ強くなってる」

「もうすぐ病院だからな」

「うん」

 信号で車が止まるたびに、遥斗は雪の様子を確認する。

「遥斗、心配しすぎ」

「だって、雪と赤ちゃんが心配なんだ」

「大丈夫。私、ちゃんと頑張るから」

「俺もそばにいるから」

 遥斗はハンドルを握りしめる。

「絶対、無事に病院まで連れて行く」

「うん。信じてる」

 車は別府の街を走っていく。

 窓の外には、いつもの湯煙が見えていた。

 二人が暮らしてきた、大切な別府の街。

 その景色を眺めながら、雪が小さく呟く。

「遥斗……」

「ん?」

「赤ちゃん、もうすぐ会えるね」

「ああ」

 遥斗は涙ぐみながら笑った。

「ずっと待ってたからな」

「うん……」

 また陣痛がやってくる。

「……っ」

「雪!」

「大丈夫……」

 雪は遥斗の手を握った。

「もうすぐ、三人家族だね」

 遥斗も、その手を強く握り返した。

「ああ。もうすぐだ」

 二人を乗せた車は、夜の別府を抜けて病院へ向かっていった。

 五年前に交わした約束。

 長い年月をかけて結ばれた二人。

 そして今――。

 二人の人生に、新しい命が加わろうとしていた。
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