“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした ―“好き”を受け取る資格がありません―

第10話

「……ねぇ、あきくん」

扉を閉めて、話すことは一つだった。

「……うん」

あきくんも、どこか目を泳がせながら頷く。

「……あたし、伯母になるのかな」

「いや、まだ決まったわけでは……」

言いながらも、それしかないだろうなという空気が流れる。

ベッドを背もたれ代わりにラグに座ると、あきくんも並んで座った。

「……ゆめさんって、まだ大学院だったよな」

「うん、修士課程。
 きっと博士課程までいくつもりだろうから、まだ卒業まで数年あるね」

だよなぁ、というあきくんの呟きは独り言のようだった。

「……相手も、まだ学生なんだよな?」

「博士課程三年って言っていたから、そうだね。
 年齢は結構上だと思うけど……今頃論文で忙しいんじゃない?」

「……そんなときに、大丈夫なのかって。
 余計なお世話かもしれないけど……思う」

あきくんの言葉に同意しながら、なおも深々と頷いた。

「あたしもそう思う」

「……おじさんたち、すごいよなぁ。
 本気で、もう受け入れてる」

「ね。
 ちょっと自分の親ながら、びびった」

二人で顔を見合わせて微笑んだ。
思ったよりもその位置が近くて、少しだけなおの心が跳ねる。

「……人生って、どこでどう動くかわからないよな。
 その相手の人だって、なおの話からすると計画的に人生設計しそうな人に思えるし。
 そんな人の人生でも、そういう動き方ってするんだな」

考え込むようなその様子を、なおはじっと見つめた。

「……逃げるの、バカらしいよな」

「……?」

あきくんの自嘲するような笑みが、心を乱す。

「なおに向き合うのが怖くて、逃げてた。
 自分の心を見ないふりして、封印した。
 お前が追えば逃げるのわかっていたから、逃げられたくなかった」

手首を掴まれる。
痛くはないけれど、弱くはない力だった。

「その臆病さが、余計にお前に変な逃げ道を作ったって……今はわかるから」

「逃げ道って……」

何を差しているか、わからないわけではない。

「……あきくんに、嫌われたと思ってた」

思い当たるところが無くはないのか、あきくんの瞳が揺れる。

「……嫌いになんて、なれない。
 むしろ、好きすぎてどうにかなりそうなの必死で押さえてた」

真剣な表情と言葉に、息が苦しくなる。
自分には、この人にここまで思われる資格なんてないのに。

「……冬真の言う通り、近付き過ぎるとまた間違うかもしれない。
 でも、素直に引けるほど、この気持ちは簡単じゃない。
 ……嫌だったんだよ、俺がいなくても平気そうにしてるなお見るの」

「……平気じゃ、ないよ……」

なおに言えたのは、それだけだった。
そんななおの様子に、あきくんが小さく苦笑する気配がした。

「また、追ったら逃げる?
 それでもいい、追いかける覚悟はした」

「……逃げないよ」

「どうだか」

くすりと笑う彼の表情は、昔を思い出させた。

「……高校の時にできなかった愛し方、させて」

ぎゅっと抱きしめられた。

背中に回された手が、少しだけ震えている。


「……愛されるような人間じゃないよ、あたし」

「俺が愛する人を決めるのは、なおじゃない。
 俺が、決める」

恐る恐る、なおもあきくんの服につかまる。

懐かしい温もりが、した。

「……でも、好きかどうかなんて……わからない」

なおの小声に、あきくんが「うん」と頷いた。

「そもそも……“好き”が、よくわからない」

なおの言葉に、あきくんが少し考えながら言葉を紡ぐ。

「概念だからね、好きって。
 一人ひとり定義が違うと思う」

静かに話す彼の声に、じっと耳を傾けた。

「……俺の好きは、隣にいたいと思うことかな。
 その流れで、触れたいと思うし、嫌いなやつには触れたくもないから、触れさせてくれるイコール相手も好きだと思った。
 疑ってもいなかった」

「そりゃあ……嫌い、ではないよ。
 あきくんのこと嫌だと思ったことは、一度もない。
 思い出しても嫌な思いしたとかは、少しもないよ」

「……そっか」

「……ただ、それが特別な好きかは、わからない。
 他の人……綾(りょう)くんにだって、嫌だとはちっとも思わなかった」

「……うん」

ぎゅっと、あきくんの抱きしめる力が少しだけ強くなる。

「……あやとも、五年後十年後も傍にいたい?」

「……ううん、綾くんには、綾くんの未来を、お医者さんになる夢を叶えて欲しい」

あきくんの鼓動が聞こえてくる。
力強くて、ちょっと速い。

「……俺には、いて欲しいんだよな?」

「……うん。
 隣に座って、笑っていて欲しい。
 一緒にご飯食べたり、勉強したり、遊んだり。
 ちょっとしたことを共有していたい」

なおがその言葉を言った瞬間、耳元で大きなため息が落ちた。

「……それって、十分“特別”……だよな?」

なおの目が、少し大きく開かれる。

「……そこまで人生設計に組み込むなんて、正直重たい。
 ……“特別な好き”じゃなきゃ、成り立たねぇよ」

「……そっか」

なおも、あきくんの背中に腕を回した。
ぎゅっと抱きしめ合うこの距離は、高校以来だった。

「……なんか、あきくんのその声のトーン。
 出来の悪い生徒に教えるみたいだね」

「違うか……?」

「違わない……かも?」

温かい、彼の体温。
心が、じんわりと解けていく。
この温もりが、本当はもう一度欲しかったんだ。


耳元で、ぐっと息を詰めるような声がした。

驚いて、少し離れて彼を見る。


「好き」

小さな言葉に、くすりと笑ってなおは言った。

「なにが」


「なお」

あきくんの目から、涙が一筋零れ落ちた。

彼の涙は、相変わらずきれいだった。


◇

平日の夜、御茶ノ水駅の改札の傍で、彼が来るのをじっと待っていた。

しばらくすると、綾が肩に重たそうなトートバッグを掛けた姿で走り寄ってくる。
その姿は相変わらず、子犬のようだった。

「なおさん、お久しぶりです」

丁寧な挨拶と優しい笑顔。
綾も、あの後も変わらないでいてくれた。

だからこそ、しっかり話をしないといけない。


「……立ち話もなんですし、お店でも行きませんか?」


綾の言葉に頷き、後ろをついて歩く。
近くのカフェに入ると、温かい紅茶を二つ注文した。

紅茶にミルクと砂糖を落とし、くるくるとかき混ぜる。
ミルクがきれいな円を描いて溶けていった。

「……綾くん」

「なおさん」

なおが話し出そうとしたタイミングで、綾がストップを掛けるように呼ぶ。

「……僕は、今から大体何を言われるのかはわかっています。
 それでも、先に言わせてくれませんか?」

なおは静かに頷く。

「……もう二度と、あなたに簡単に触れないと約束します。
 その上で……。
 あなたの隣に、いたいです」

彼の言葉は、真剣だった。
だから、痛かった。

「……ごめんね、曖昧なままにして。
 ちゃんと考えた。
 その上で、未来を考えた時。
 隣にいて欲しい人が他にいた」

「……はい。
 そうです、よね」

静かに、綾の目から、涙が零れた。

最後は、やっぱりあの時のあきくんと、同じ顔をさせてしまった。

――もう二度と、誰にもこの顔はさせない。


◇


週末、ゆめが郁人とその母を連れて、実家に戻ってきた。
その様子をあきくんと二人で、なおの部屋から見守った。

「……なんか、聞き耳立てているみたいで嫌なんだけど」

「しっ! 聞こえない!」

「……つか、まじかよ……。
 この家……そんな壁薄いのかよ……」

あきくんの呟きは無視して、床に耳を付ける。

郁人の声はあまり大きくないから、聞き取りにくい。

「……やっぱり、授かり婚っぽいね」

「……だろうね」

あきくんが静かに頷く。

「というか、俺には全然聞こえないけど、よく聞こえるな」

「ふふん、任せて!
 伊達に耳は鍛えていないから」

「……なんの自慢だよ」

ははっ、とあきくんが笑う。
その表情は彼らしいな、と思った。

「……ゆめも、結婚、そして母になるのかぁ……」

ぽん、と頭を撫でられる。
言葉にしなくても、その微笑みが大丈夫と伝えていた。

「……きっと、そのうちまなも母になるんだよ」

「まあ、そうかもな」

鞄を探ってポーチを取り出す。
一度鞄をひっくり返して以来、落としたとしても直接見られないように工夫した。

「何それ?」

ポーチから取り出した紙製の包みを、不思議そうに彼が見つめる。
包みの中を開いて、飲み忘れ防止のためにカレンダーのように数字が振られているシートを見せる。
そこまで見て、初めて彼はそれが何か気が付いたようだった。

「これのお陰で、あたしは随分と楽に生活ができるようになったよ」

「……そうなんだ。
 体調は、問題ないのか?」

彼が心配してくれるのは、体調のことが主なようだった。

「薬使う前は、正直しんどいことが多かった。
 けど、お母さんが気付いてくれて、病院に受診してからは平気。
 高校の時からだから、身体にも慣れているし、今は問題ないよ」

「なおに不都合がないなら、良かった」

安心したように笑う彼。

「あたしが自分から話したのは、あきくんが初めて」

「そっか」

「……綾くんには、知られちゃったけどね」

あきくんの目が少しだけ大きく開かれる。
その様子を見ながら、なおは笑った。

「前に、薬落としちゃって。見られてバレた。
 綾くんも、身体のこと心配してくれたのと……あと、あきくんはどういう認識かって聞かれたかな」

「……それは、なんていうか……いろんな意図に読めるな」

複雑そうな顔をするあきくんに、なおが笑う。

「綾くんのことだから、そんなに難しい意味はないと思うよ?」

「……さあな。お前の言うことは、当てにならない」

「ひどっ!」

あきくんの肩を軽く叩きながら笑い合った。
笑いが収まってきたところで、まじめなトーンでなおが言う。

「……まぁ、だから。
 薬がないと生活がままならない自分が、普通に女の幸せを望んでいいのかわかんないって思ってた。
 妊娠を望むときには、相談してって言われているくらいだし。
 相手に何か返してあげられるかわかんないから、好きって言われるのがしんどかった」

「……今も?」

「……そこに期待されているのなら、そうかな」

正直に答えたなおの言葉に、返ってきたのは苦笑だった。

「やっぱりなおだわ。
 ……五年後、十年後も一緒にいたいって、普通に考えたらプロポーズだけど。
 お前の言葉は、裏の意味がなくて、そのまんまなんだよな」

あきくんの言葉に、なおはきょとんとする。

「……あれって、プロポーズなんだ」

「……普通はな。
 約束もなしに、五年十年は縛らないだろ」

なおが考え込んでいるのを見ながら、あきくんが言葉を続ける。

「……まぁ、俺は別に求めない。
 元々……傍にいられるだけでいいって思っていたくらいだし。
 結婚も、子どもも……。
 ……お前が隣にいるんなら、それでいい」

そういうあきくんの目は、少しだけ揺れてる。
自分を納得させるための言葉に聞こえた。

「……うそばっか」

「……なんだよ」

なおがいたずらっぽく笑うと、少しいじけたような顔をする。


「……ねぇ、今のあたしたちの関係って何?」

にっこり笑ったなおの姿に。
あきくんはしばらく何も、答えられなかった。
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