“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした ―“好き”を受け取る資格がありません―
第8章 未来設計 ―最初から、ふたり―

第9話

あきくんが特別な人であることは、もう否定できなかった。
ただ、それを“好き”と呼んでいいのかだけが、わからないままだった。

休みの日には相変わらずどちらかが連絡して、一緒にいることだけを繰り返していた。


季節は夏を迎えていた。
あきくんを泣かせてしまったあの季節だと、ぼんやりと思いながら鞄に筆記具やノートを詰めていく。

学校は夏休みに入っても、教員まで夏休みに入れるわけではない。
夏休みは研修の嵐だった。
明日も、体育系大学で器械体操の指導についての研修がある。

朝、あきくんと待ち合わせて研修会場へと向かった。
所属する学校は違うが、同じ研修を受けるように指示されていたことをお互いに知った後、当然のように一緒に行こうという流れになった。

朝の混雑する電車を乗り継ぐ。
なおが持ちやすい位置のつり革を譲られ、そして他の人から守るように、あきくんは立ち位置を工夫してくれていた。
大きな駅に着くたびに人が増えていく。
満員すぎる車内の人に押され、人と人が密着する。
押され続けることで、ほとんど彼に抱き込まれるような形になってしまう。
避けられている自覚をしてから、こんなに近いのは初めてだった。
ふわりと感じた彼の香りは、敢えて気にしないように心掛けた。

ここまでの満員電車は久しぶりだった。


なんとか到着すると、学校に一本到着連絡を入れ、受付で学校名を伝えた後に今日の資料を受け取る。

前半は座学、後半は実習になっている今日の流れの紙を渡され、空いている机に詰めて座るよう指示を受けた。
二人並んで詰めて座ったところで、なおの胸に懐かしさがよぎる。
当たり前に机を並べていた時から、一年も経っていないのに。

この並びが、もう取り返せないものの象徴のように感じた。

講師の説明とスライドを見ながら、手元の資料に補足をどんどん書き込んでいく。

怪我事例に入った時には、会場の先生たちが何とも言えない反応を示していた。

午前中の座学が終わる。
昼食のお弁当とお茶を受け取るために席を立とうとすると、俺が取ってくるよと返事をする間もなく歩き出した。

あきくんは、やっぱりあきくんだ。

お弁当を食べ終わった後、ジャージに着替えて体育館へと移動する。
子どもたちへの指導の具体的な補助のポイントを伝えられながら、次々と先生たち自身も試していく。

最後に、体育の先生たちが多く集まる研修だからか、跳び箱チャレンジが始まった。
どこまで跳べるか、先生たちが笑いながらも試していく。

なおは踏切板を思い切り踏み込んで、軽々と跳んだ。

小柄な彼女が跳ぶ姿は、人目を惹く。

さすがに用意されていた最後の段まで跳び越えられるのは、がっつりとそれに向き合っている先生たちだった。
そんな中に混ざってそれなりの成果を残したなおの姿に、知らない先生たちもすごいねと話しかけてくれた。

あきくんも、さすがと言いながら頷いてくれる。

バスケも久しく一緒にできていなかったので、この久しぶりの距離感に心がぎゅっと握りしめられるようだった。

すべての講義が終わった後、出口で再び学校へと終了報告をする。
あきくんも同じように連絡が終わったようで、スマートフォンを持ったまま頷いた。

先生たちが一斉に外へ出ていくのを見つめながら、あきくんが電車をずらすためにも寄り道をしていく提案をする。
二つ返事で応えながら、二人で並んで歩き出した。

駅の方向と少しずれた場所のカフェに入り、コーヒー片手に座った。

あまり知らない街の景色が、窓の外に広がるのを眺めたあとに、目の前に座るあきくんを見つめる。

ずっと積もっていた思いが、さらに今日膨らんでしまった。


◇

コーヒーを飲みながら、なおが窓の外へと視線を向けるのを、千秋はこっそりと見つめていた。

今日一日で、なおの存在を嫌というほど感じてしまい、引こうとした線が揺らがないように一人で必死だった。

肩までのきれいなストレートの髪。
覗く耳には、さすがにいつものピアスはない。
社会人らしく主張しすぎない化粧は、自然に馴染んでいる。

「あきくん」

静かに呼ばれた声。

「今日、久しぶりの隣で嬉しかった」

「……うん、俺も」

少しだけ速くなる鼓動を、意識しないようにした。

なおの言葉に、深い意味なんてない。
思ったままを乗せているだけなのだから。

嫌われてはいないことはわかっているけれど、それだけ。

苦い気持ちを思い出しながら、それでも自分の気持ちに嘘はつかず、頷いた。

「……あたしね。
 あきくん失う前提で生きるの、無理だった」

淡々と、告げられる言葉。
なおの表情には、照れも、涙も、指先の震えすらない。

(期待するな、そういう意味じゃない)

言葉を継げぬまま、ただなおの顔を見つめる。

「五年後とか、十年後とか考えた時に。
 あきくんがいないのだけは、考えられなかった」

「……それ、は」

なんで、と混乱した。
喜んでいいはずの言葉なのに、一番に感じたのは恐怖だった。

(なんで越えてくるんだ)

(こっちは、必死で線を引いているのに)

また、同じ轍を踏みたくないという思いが、心にストップを掛ける。

それなのに。

(……本当は、引いた線を飛び越えてきて欲しかったなんて)

(なんて、浅ましいんだ)

自己嫌悪で、吐きそうだった。

「傍にいて」

なおの言葉に、勝手に期待してしまう。
選ばれたいという希望なんて……とっくに捨てたはずだった。
そうじゃないと、彼女の隣に立てなかった。

彼女が他の男を選んだとしても、それを受け入れなければならない立ち位置にはいたつもりだった。


「……俺、今まで離れたことあった?」

何とか絞り出したのは、逃げのような言葉だった。


「今までじゃなくて、未来の話。
 ただ、理由もなく一緒にいられる時代は終わったんだって、わかった」

「…………」

告白を飛び越えて、プロポーズのような言葉だと思った。

だが、その言葉には好きも愛しているもない。

なおの本心がわからない。
勝手に勘違いして、お互いに傷つくのが怖かった。

でも、聞かなかったことにもできなくて。


なおの手に、自分の手を重ねた。
久しぶりに、引いた線を取り消した。

――逃げる理由より、受け取る覚悟を選んだ。

置いた手の上に、さらに彼女の手が重ねられて、なおは笑った。

◇


それからも、触れる手は振り払われることはなかった。
休日だけではなくて、早く仕事が終われた日にも少しだけ一緒にいる時間を作った。

なおがあきくんを連れて、保坂家のリビングへと入る。

母が嬉しそうにあきくんへと話しかけた。

「あら、あきくんも一緒だったのね。
 お疲れ様、お仕事大変でしょう?」

なおの母も、なおに合わせてあきくんと彼を呼ぶ。

「お邪魔しています。
 こんな時間にすみません。
 自分の夢でしたから、仕事は楽しいです」

よそ行きの顔で喋るあきくんに、内心なおが笑っていると、リビングの隅で電話をしている父の姿が目に入る。

電話の相手はわからない。

あきくんに気が付いた父が、軽く頭を下げた。

あきくんも、同じように頭を下げる。

「ほら、あきくんも良かったらご飯食べていきなさい。
 お母さんには連絡しておくから!」

「いえ、そんな……」

「いいのいいの、遠慮しないで!」

あきくんは、強引に母に食卓に座らされていた。

ご飯の連絡を親に入れられることが恥ずかしいようで、頬を染めて下を向いていた。
子ども扱いが抜けない母もそれを甘んじて受け入れるしかないあきくんもおかしくて、なおはお腹を抱えて笑った。

「なお」

あきくんの抗議の声に、ぽんと背中を叩いて励ました。


「ごめんね、おかえり二人とも」

電話を終えた父がにこやかに話しかけてくる。

「あきくん、ちょっと久しぶりだね!
 一緒にご飯が食べられてうれしいよ!」

父がぎゅっとあきくんの肩を抱く。
海に対してもそうだが、父は距離が近い。

「ちょっとお父さん、あきくんが困るでしょ!」

言いながら反対からあきくんの腕をぎゅっと握った。

「あらあら……二人で拘束したらかわいそうよ」

母が穏やかに笑いながら、あきくんの前にお皿を置いた。

「本当に、お父さんもなおも、あきくんが好きなんだから」

“好き”という言葉に、どきりとする。

母からみたら、これは“好き”に見えるのか。


今日のメニューはビーフシチューだった。
ごろっとした野菜が特徴の保坂家のそれを、スプーンで掬って食べる。
小ぶりとはいえ、まるまんま入っているじゃがいもと人参がインパクト大。

「相変わらず、食べ応えありますね」

あきくんの言葉に、母がいいでしょと笑う。

父が食事がひと段落したところで、実はね、と話し出した。

「さっき郁人くんから電話があったんだよ。
 三月にこっちに来たいって言っていたのを、前倒しさせて欲しいって」

その言葉に、なおとあきくんは静かに息を飲む。

三月に再度結婚の挨拶に来るつもりだったのだろう人が、前倒ししたいという理由なんて、一つのこと以外はそうそう思いつかない。

「あらあら」

母は困った顔一つせず、笑っていた。

「理由については直接お話させてくださいってことだった。
 とりあえず今週末は何もなかったから、そこを伝えておいたよ」

父も、穏やかに笑って伝えていた。
本人たちがいないところで、いくらでも愚痴ってもいい内容に感じるのに、この二人からはそれがない。

「郁人くんのお母様もご一緒らしいから、何かいいお茶でも買っておかないとだね」

「京都の方が喜ばれるのって何かしら」

あくまでも普通の温度感で話し続ける両親を二人で眺めながら、なんとも言えない気持ちを抱えてなおの部屋へと引っ込んだ。

< 9 / 12 >

この作品をシェア

pagetop