“ハズレ枠”の私を愛してくれたのは、あなたでした ―“好き”を受け取る資格がありません―
第5章 黙認という誤解 ―それは許可ではなかった―
第5話
綾とよく話すようになったのは、大学四年になる直前の春。
バスケのメンバーとして、あきくんの弟である冬真が、受験も終わったしと気晴らしに誘って連れてきたのが綾だった。
冬真も綾も、池袋の方にある優秀な中高一貫校の生徒だった。
その立地と立ち位置が、高校が八王子で、普段の遊び場が町田という比較的落ち着いた場所を選んだなおからすると輝いて見えた。
「なおさん!」
そんな彼がまっすぐに信頼の表情を向けてくれるのが、少しだけ心地よかった。
彼が無事に医学部に合格し、大学一年生となっても、バスケ仲間として顔を出してくることに変わりは無かった。
年下で、空気を読むのが上手くて。
それなのに必要以上に踏み込んでこない。
軽い男の子では、決してなかった。
あきくんも、弟の親友として懐いてくる彼に、後輩の中でも特によく目を掛けていた。
ただ、なおに対しては“あやはまだ大学一年生だから”と言うことはあった。
過保護なその言葉にあきくんらしいと笑いつつも、なおにも守護者としての信頼を渡してくれたような気がした。
――少なくとも、そのときはそう思った。
あきくんが、自分に向けた警告だったと知ったのは、手遅れになった後だった。
綾と何度か遊ぶうちに、彼の動き方が自分に似ていることに気がついた。
高身長のメンバーからボールを奪うためにする工夫。
小柄さを活かして、相手が守りにくい位置に潜り込む、技術的戦法。
細かいドリブルや、相手の死角を狙う動き。
自分と同じ武器で戦う彼になおが入れ込むのは、ある意味当然だった。
その日も思いきり遊んだあと、汗を拭いてカラカラに乾いた喉を潤そうとトートバッグに手を掛けた、その時だった。
きちんと持ち手をつかめずに、ベンチから落とした鞄はものの見事にひっくり返った。
「大丈夫ですか?」
「ご、ごめん、ありがとう!」
財布やタオルなど、様々なものが散らばるのを、慌てて拾い集める。
近くにいた綾も慌てて一緒に拾ってくれた。
拾ったスマートフォンの画面に傷がないことを確認して、ほっと一息ついたところで、「なおさん、これ」と小さな声で渡される。
手の中のものを見たときに、一瞬固まってしまった。
紙製の、台紙に入った薬のシート。
中を開くと、飲み忘れないように日付の記入欄があり、カレンダーのような作りになっている。
慌ててそれを受け取ると、綾が少しだけ気を遣う声を掛ける。
外側にすでに薬の名前が書いてあったからか、開けなくてもそれが何であるか、把握された気がした。
保険適応品のそれを見て、なおの抱える身体の事情をおおよそ理解したのだろう。
「あまり冷たいものを飲み過ぎないで、身体冷やさないようにしてくださいね」とだけ、笑顔と共に伝えられた。
その姿は、まるでお医者さんのように適切な距離だった。
みんながいつものファミレスに移動しようと言ったときに、綾が隣に並んで、トーンの落とされた声で話し掛けてきた。
「なおさん」
「……どうしたの?」
なおの声も、つられて小さな声になる。
「……さっきの、件。
千秋先輩は、このことをどういう認識なんですか」
「え? あきくん?」
唐突に出てきたあきくんの話題に、なおの声が少しだけ大きくなる。
前を歩いていたあきくんが、ちらりとこちらを振り返るのが見えた。
慌ててなおは声のトーンを再び落とす。
「……あきくんは、知らないよ。
体調のこと、言いにくいし。
けど、あたしを変な扱いしたことは一度もないよ」
「……わかりました」
ふわりと、綾が笑う。
その笑顔は、年相応でかわいいと思った。
◇
大学四年の六月。
教育実習期間が始まって、少しした頃の事だった。
なおの実習先とあきくんの実習先は当然ながら違った。
期間も受け入れ先の学校の違いもあり、みんなが少しずつずれていて、それでもその間も授業はあるというハードスケジュールだった。
教員免許取得のための授業はそれなりに多く、なおはあきくんのためにもと思いながら必死でノートを取っていた。
授業が二コマで終わったところで、退屈しのぎに都心の方に出てみようかな、なんて思った。
一人で行動する寂しさを、どこかで紛らわせたかったのかもしれない。
メッセージアプリを開いて、綾に時間はあるかと確認した。
三コマが終わった後なら大丈夫という返事を見て、なおの行動は決まった。
◇
学校のトイレで、軽くメイクを直す。
鏡に映る自分は、いつもより少しだけ笑顔が曇って見えた。
なんとなくそれが嫌で、メイクに明るいピンクを足した。
耳たぶを静かに飾る黒いピアスに触れる。
実習中はさすがに外さないといけないから、これを今着けているのは自分だけ。
お揃いじゃなくなったそれが、寂しい。
迷いを振り切るように、唇にリップを塗る。
満足のいく出来になったところで、駅へと向かって歩き出した。
御茶ノ水駅に着いてのんびりと待っていると、なおを見つけた綾が駆け足で寄ってくる。
その様子が、賢い犬のようで微笑ましかった。
「お待たせしてすみません。
どこに行くとか希望はありますか?」
綾はなおの周りを軽く見ながら声を掛けてくる。
「どうかした?」
その様子に少しだけ首を捻りながら尋ねる。
「いえ……本当に、誰もいないんだなって思って。
千秋先輩と一緒じゃないなおさん見るのが、少し新鮮だったのもあります」
「……そんな、一緒にいるかな」
「そうですね、あくまで僕視点では、ですけど」
なおの言葉に、少しだけ考えるそぶりを見せて綾が答えた。
「まぁ、希望がないならその辺り歩きます?
秋葉原とか、面白い店多いですよ」
「いいね、あまり行く事無いから楽しみ!」
綾と一緒に、アニメショップなど、普段入ることがない店に入る。
こういうのが好きなのは、実はゆめだ。
ゆめが好きな男性キャラのアクリルキーホルダーを見つけて、思わず手に取ってしまった。
クール系に見えて熱いキャラなのよ!と力説していた彼女の言葉を思い出す。
「なおさん、彼が好きなんですか?」
手にしたキーホルダーを覗き込みながら綾が言う。
「いや、作品は見たことなくて、よく知らない。
けど、妹が好きなキャラ」
「へぇ……。
その作品、普通に面白いですよ」
「綾くん、意外とこういうサブカルに興味あるんだね」
なおが感心したように言うと、少し照れた表情で綾が笑った。
「結構好きです。
だけど、勉強の時間確保のために去年は新規開拓せず我慢していました。
……オタクって、引きました?」
「ううん、引かないよ。
今こういう文化見直されてる気もするし。
綾くんも、別に誰にも迷惑かけていないんだし良くないかな」
なおの言葉に、にこりと笑う。
その笑顔には少しも曇りがなくて、どこかなおを落ち着かなくさせた。
その後、他にもいくつかのアニメショップを覗いた。
ゆめに誘われて一度だけプレイしたことのある乙女ゲームのキャラを見つけて、そのグッズを手に取る。
明るくて太陽のような笑顔に、思わず笑う。
「なおさん、そのゲームしたことあるんですか?」
少し意外そうに聞いてきた綾に、頷きを返す。
「ゆめに面白いから!って言われて。
恋愛に積極的で“好き”にまっすぐなのに惹かれた」
何故ここまでまっすぐなんだろうと、プレイしながらずっと思っていた。
このゲームの中では、気が付いたらお気に入りだ。
「……なるほど。
なおさんの好み、アップデートしておきますね」
にこりとどこか意味深に笑う綾に、なおもわからないまま笑い返した。
歩き疲れた頃に、休みませんかと提案されて、少し離れた場所にあったカフェでお茶をした。
「綾くんのこと、あたしあまり知らなかったんだなーって思ったよ」
綾にお勧めされた漫画の入った袋を持ちながら、なおが話す。
その言葉に、少しだけ恥ずかしそうに綾が笑う。
「何系がいいって言ってくれたら、すぐに合わせたお勧め教えますよ」
「言ってることゆめみたいだから!」
二人で笑い合ってコーヒーの味を楽しんだ後、店を出る。
その頃には、夕方の空はあかね色というよりも重たい不気味な色を湛えていた。
「少し、雲行きが怪しいですね」
「ほんとだ。
まぁ、駅に戻るまで持ってくれたらいいよ」
その期待は、あっさりと裏切られることになる。
バスケのメンバーとして、あきくんの弟である冬真が、受験も終わったしと気晴らしに誘って連れてきたのが綾だった。
冬真も綾も、池袋の方にある優秀な中高一貫校の生徒だった。
その立地と立ち位置が、高校が八王子で、普段の遊び場が町田という比較的落ち着いた場所を選んだなおからすると輝いて見えた。
「なおさん!」
そんな彼がまっすぐに信頼の表情を向けてくれるのが、少しだけ心地よかった。
彼が無事に医学部に合格し、大学一年生となっても、バスケ仲間として顔を出してくることに変わりは無かった。
年下で、空気を読むのが上手くて。
それなのに必要以上に踏み込んでこない。
軽い男の子では、決してなかった。
あきくんも、弟の親友として懐いてくる彼に、後輩の中でも特によく目を掛けていた。
ただ、なおに対しては“あやはまだ大学一年生だから”と言うことはあった。
過保護なその言葉にあきくんらしいと笑いつつも、なおにも守護者としての信頼を渡してくれたような気がした。
――少なくとも、そのときはそう思った。
あきくんが、自分に向けた警告だったと知ったのは、手遅れになった後だった。
綾と何度か遊ぶうちに、彼の動き方が自分に似ていることに気がついた。
高身長のメンバーからボールを奪うためにする工夫。
小柄さを活かして、相手が守りにくい位置に潜り込む、技術的戦法。
細かいドリブルや、相手の死角を狙う動き。
自分と同じ武器で戦う彼になおが入れ込むのは、ある意味当然だった。
その日も思いきり遊んだあと、汗を拭いてカラカラに乾いた喉を潤そうとトートバッグに手を掛けた、その時だった。
きちんと持ち手をつかめずに、ベンチから落とした鞄はものの見事にひっくり返った。
「大丈夫ですか?」
「ご、ごめん、ありがとう!」
財布やタオルなど、様々なものが散らばるのを、慌てて拾い集める。
近くにいた綾も慌てて一緒に拾ってくれた。
拾ったスマートフォンの画面に傷がないことを確認して、ほっと一息ついたところで、「なおさん、これ」と小さな声で渡される。
手の中のものを見たときに、一瞬固まってしまった。
紙製の、台紙に入った薬のシート。
中を開くと、飲み忘れないように日付の記入欄があり、カレンダーのような作りになっている。
慌ててそれを受け取ると、綾が少しだけ気を遣う声を掛ける。
外側にすでに薬の名前が書いてあったからか、開けなくてもそれが何であるか、把握された気がした。
保険適応品のそれを見て、なおの抱える身体の事情をおおよそ理解したのだろう。
「あまり冷たいものを飲み過ぎないで、身体冷やさないようにしてくださいね」とだけ、笑顔と共に伝えられた。
その姿は、まるでお医者さんのように適切な距離だった。
みんながいつものファミレスに移動しようと言ったときに、綾が隣に並んで、トーンの落とされた声で話し掛けてきた。
「なおさん」
「……どうしたの?」
なおの声も、つられて小さな声になる。
「……さっきの、件。
千秋先輩は、このことをどういう認識なんですか」
「え? あきくん?」
唐突に出てきたあきくんの話題に、なおの声が少しだけ大きくなる。
前を歩いていたあきくんが、ちらりとこちらを振り返るのが見えた。
慌ててなおは声のトーンを再び落とす。
「……あきくんは、知らないよ。
体調のこと、言いにくいし。
けど、あたしを変な扱いしたことは一度もないよ」
「……わかりました」
ふわりと、綾が笑う。
その笑顔は、年相応でかわいいと思った。
◇
大学四年の六月。
教育実習期間が始まって、少しした頃の事だった。
なおの実習先とあきくんの実習先は当然ながら違った。
期間も受け入れ先の学校の違いもあり、みんなが少しずつずれていて、それでもその間も授業はあるというハードスケジュールだった。
教員免許取得のための授業はそれなりに多く、なおはあきくんのためにもと思いながら必死でノートを取っていた。
授業が二コマで終わったところで、退屈しのぎに都心の方に出てみようかな、なんて思った。
一人で行動する寂しさを、どこかで紛らわせたかったのかもしれない。
メッセージアプリを開いて、綾に時間はあるかと確認した。
三コマが終わった後なら大丈夫という返事を見て、なおの行動は決まった。
◇
学校のトイレで、軽くメイクを直す。
鏡に映る自分は、いつもより少しだけ笑顔が曇って見えた。
なんとなくそれが嫌で、メイクに明るいピンクを足した。
耳たぶを静かに飾る黒いピアスに触れる。
実習中はさすがに外さないといけないから、これを今着けているのは自分だけ。
お揃いじゃなくなったそれが、寂しい。
迷いを振り切るように、唇にリップを塗る。
満足のいく出来になったところで、駅へと向かって歩き出した。
御茶ノ水駅に着いてのんびりと待っていると、なおを見つけた綾が駆け足で寄ってくる。
その様子が、賢い犬のようで微笑ましかった。
「お待たせしてすみません。
どこに行くとか希望はありますか?」
綾はなおの周りを軽く見ながら声を掛けてくる。
「どうかした?」
その様子に少しだけ首を捻りながら尋ねる。
「いえ……本当に、誰もいないんだなって思って。
千秋先輩と一緒じゃないなおさん見るのが、少し新鮮だったのもあります」
「……そんな、一緒にいるかな」
「そうですね、あくまで僕視点では、ですけど」
なおの言葉に、少しだけ考えるそぶりを見せて綾が答えた。
「まぁ、希望がないならその辺り歩きます?
秋葉原とか、面白い店多いですよ」
「いいね、あまり行く事無いから楽しみ!」
綾と一緒に、アニメショップなど、普段入ることがない店に入る。
こういうのが好きなのは、実はゆめだ。
ゆめが好きな男性キャラのアクリルキーホルダーを見つけて、思わず手に取ってしまった。
クール系に見えて熱いキャラなのよ!と力説していた彼女の言葉を思い出す。
「なおさん、彼が好きなんですか?」
手にしたキーホルダーを覗き込みながら綾が言う。
「いや、作品は見たことなくて、よく知らない。
けど、妹が好きなキャラ」
「へぇ……。
その作品、普通に面白いですよ」
「綾くん、意外とこういうサブカルに興味あるんだね」
なおが感心したように言うと、少し照れた表情で綾が笑った。
「結構好きです。
だけど、勉強の時間確保のために去年は新規開拓せず我慢していました。
……オタクって、引きました?」
「ううん、引かないよ。
今こういう文化見直されてる気もするし。
綾くんも、別に誰にも迷惑かけていないんだし良くないかな」
なおの言葉に、にこりと笑う。
その笑顔には少しも曇りがなくて、どこかなおを落ち着かなくさせた。
その後、他にもいくつかのアニメショップを覗いた。
ゆめに誘われて一度だけプレイしたことのある乙女ゲームのキャラを見つけて、そのグッズを手に取る。
明るくて太陽のような笑顔に、思わず笑う。
「なおさん、そのゲームしたことあるんですか?」
少し意外そうに聞いてきた綾に、頷きを返す。
「ゆめに面白いから!って言われて。
恋愛に積極的で“好き”にまっすぐなのに惹かれた」
何故ここまでまっすぐなんだろうと、プレイしながらずっと思っていた。
このゲームの中では、気が付いたらお気に入りだ。
「……なるほど。
なおさんの好み、アップデートしておきますね」
にこりとどこか意味深に笑う綾に、なおもわからないまま笑い返した。
歩き疲れた頃に、休みませんかと提案されて、少し離れた場所にあったカフェでお茶をした。
「綾くんのこと、あたしあまり知らなかったんだなーって思ったよ」
綾にお勧めされた漫画の入った袋を持ちながら、なおが話す。
その言葉に、少しだけ恥ずかしそうに綾が笑う。
「何系がいいって言ってくれたら、すぐに合わせたお勧め教えますよ」
「言ってることゆめみたいだから!」
二人で笑い合ってコーヒーの味を楽しんだ後、店を出る。
その頃には、夕方の空はあかね色というよりも重たい不気味な色を湛えていた。
「少し、雲行きが怪しいですね」
「ほんとだ。
まぁ、駅に戻るまで持ってくれたらいいよ」
その期待は、あっさりと裏切られることになる。