アクアリウム ~水族館で恋と事件と友情と~
第4羽:チンアナゴは静かに潜る
青く妖しい光が満ちる清流清澄アクアリウムの館内では、年に1度の特別なイベント「ナイトアクアリウム」が開催されていた。
昼間とは打って変わってムーディーでロマンチックな雰囲気に包まれた通路を、華怜、将太郎、璃々、真帆、瑠莉奈の5人は巡回と見回りのために並んで歩いていた。
「うわ、なんか今日のアクアリウム、すっごいロマンチックじゃない? 恋人同士が来るには最高のスポットだよね~」
璃々が目を輝かせながら周囲を見回す。
真帆も「そうだね、なんだかいつもと雰囲気が違ってドキドキしちゃう……」と頬を染めている。
その隣で、将太郎がちらりと横にいる華怜に視線を送り、「な、だな……!」となんだか落ち着かない様子でモジモジしていた。
そんな和やかなムードを切り裂くように、瑠莉奈が前方の柱の陰を指さしてピタッと足を止めた。
「ちょっと、あんなところで何やってるのよ……」
瑠莉奈の視線の先には、大きな水槽の脇にある薄暗いベンチがあった。
そこには、すっかり雰囲気に呑まれた様子の高校生カップルが座っており――なんと、周囲の目もはばからず、熱の入った濃厚な大人のキスを交わしていた。
「ひゃっ……!? ま、真っ昼間……じゃなくて、夜だけど、すごい……!」
真帆が両手で顔を覆い、指の隙間からオロオロと覗き見する。
璃々は「おっとっと~、これは青春真っ盛りってやつね!」とニヤニヤ顔。
将太郎は「うっわ、まじかよ……! あんなところでイチャイチャすんなよな……」と気まずそうに顔をそむげ、赤面しながら華怜からそっと距離を取ろうとする。
だが、当の華怜はというと、きょとんとした顔でそのカップルをじっと見つめていた。 「……ねえ。あのカップル、キスしてるのは全然いいけど……って、結構迷惑になるかもだけど。そのすぐ後ろのガラス水槽、すごくない?」
華怜のその一言に、全員がハッとカップルの背後にある水槽へ視線を移した。
そこにいたのは、砂から上半身をニョキニョキと出しているチンアナゴたちだった。
「え……? チンアナゴが、どうしたの?」と将太郎が首をかしげる。
しかし、瑠莉奈と璃々もすぐにその異変に気づいて息を呑んだ。
「……あれ? チンアナゴって、普段は人間が近づいたり物音がしたりすると、一斉に砂の中に引っ込むはずじゃ……」
「そうよ! しかも、あんなに大人数で……って、なんか様子がおかしくない!?」
カップルの熱い熱気や、ナイトアクアリウムの雰囲気のせいではない。
目の前の水槽で、何十匹ものチンアナゴたちが一斉に体をくねらせ、ピクピクと痙攣するように激しく暴れていたのだ。
砂から完全に身体を乗り出し、頭を激しく打ち付け合うように絡み合っている。
「ち、ちょっと待って……! チンアナゴって、こんなに狂ったように暴れる生き物だっけ……!?」
真帆が青ざめながら声を震わせる。
その異常な光景を、華怜は冷徹で鋭い瞳で見つめ、静かに呟いた。
「カップルのせいじゃない。……あの水槽の床の下から、何か強烈な低周波か振動が伝わってきているんだ。生物がパニックを起こすほどの何かが、この床の下で起きてる……!」
ロマンチックなナイトアクアリウムの空気が、一瞬で凍りついた。
甘いデートスポットの裏側で、またしても新たな事件の足音が、静かに、しかし確実に忍び寄っていたのだった。
いつもなら砂からひょっこりと顔を出してゆらゆらと揺れているはずのチンアナゴたちの水槽は、奇妙なほどに閑散としていた。
中を覗き込んだ真帆は、バケツを持ったまま青ざめて固まっている。
「うそ……一匹も、顔を出してない……!」
水槽の底に敷き詰められた白い砂の奥深くまで、チンアナゴたちはすっぽりと潜り込んでしまったまま、いくらエサを落としても一向に姿を現す気配がない。
「みんな、どうしちゃったの……? 病気なのかな、それともお腹が空いてないわけじゃないよね……?」
真帆が半泣きになりながら慌てふためいていると、その背後にすっと華怜が歩み寄り、静かに水槽のガラスに手を当てた。
「ううん。病気じゃないよ」
華怜の落ち着いた声に、真帆はハッとして振り返る。
「華怜ちゃん、どうして分かるの? だって、エサをあげても全然出てこないんだよ……!」
華怜は水槽のガラス面からわずかに指を離し、水底の砂をじっと見つめながら説明を始めた。
「チンアナゴは、とっても臆病な生き物なの。それに、彼らは地面から伝わるごく微小な振動や、人間には聞こえない低い周波数の音にとてつもなく敏感なんだよ。普段は平気でも、自分たちの生存を脅かすような異常な揺れが近くで続くと、パニックを起こしてこうして砂の奥深くに隠れっきりになってしまうの」
「微小な振動……?」
璃々と将太郎もいつの間にか駆けつけ、首をかしげる。
「それって、この館の中で何か大きな工事とか機械が動いてるってこと?」
その言葉に、華怜はスッと目を細めた。
「うん。地上や水槽のすぐ近くじゃない。もっと下……この建物の、普段は誰も立ち入らないような『地下通路』のほうから、ずっと一定の小さな振動が伝わってきているんだよ」
華怜のその鋭い指摘を聞いた瑠莉奈が、ハッと何かを思い出したように声を上げた。
「地下通路……! そういえば、この水族館の一番下、古い構造のメンテナンス用地下通路があったわね。普段は立ち入り禁止になってるはずだけど……」
真帆が不安そうに胸の前で手を組む。
「じゃあ、そこで何かが起きているの……?」
「行ってみよう」
華怜は迷うことなく歩き出し、将太郎や璃々、真帆、瑠莉奈の4人もすぐ後ろに続いた。
ひんやりと湿った空気が漂う、普段は使われない職員用の階段を下り、5人は「清流清澄アクアリウム」の最下層である地下通路へと足を踏み入れる。
奥へ進むにつれて、足の裏から微かに、しかし確かに「ジリジリ、ガリガリ……」と地底を這うような不気味な振動が伝わってきた。
「……ねえ、みんな、聞こえる? この音……」
将太郎が足を止め、耳を澄ませる。
通路の突き当たり、普段は固く閉ざされているはずの古い防火扉が、ほんの少しだけ開いていた。
そこから、隠しきれない機械のうなり声と、硬いものを削るような異音が漏れ聞こえてくる。
5人が息を殺してそっと扉の隙間から中を覗き込むと――その光景に、全員が絶句した。
広めの地下倉庫のようなスペースの中心で、水族館の作業着を着た見知らぬ男たちが、巨大で物々しい電動の掘削機を使って、分厚いコンクリートの床にドリルを突き立てていたのだ。
その脇には、古びた鉄製の頑丈な「防犯金庫」がゴロリと転がっている。
「……あれって、この水族館の金庫だわ!」
瑠莉奈が小さく息を呑み、声を殺して驚愕する。
掘削作業をしている男の一人が、汗を拭いながら仲間に向かって大声で吐き捨てるように言った。
「おい、急げよ! 上の連中にバレる前に、この地下の隠し金庫ごとブチ抜いて、中に隠してある裏金のデータを回収するんだ! ここなら誰も来ない安全な場所だぜ!」
「地下の隠し金庫……裏金のデータ……!」
その言葉を聞いた瞬間、将太郎は怒りで拳をギュッと握りしめた。
水族館の黒い噂――その核心である「裏金」が、まさにこの地下通路の金庫に隠されており、それを組織の人間がコソコソと持ち出そうとしている現場を、奇しくもチンアナゴの敏感なセンサーが暴き出したのだった。
逃げ場のない地下の秘密基地で、悪巧みをする男たちを前に、最強の同期5人は静かに臨戦態勢に入る――。
地下での一件が無事に解決し、緊張が解けた足取りで地上へと戻ってきた華怜と将太郎。
静けさを取り戻した館内の通路を並んで歩いていると、ふと、前方の薄暗い休憩スペースから何やらただならぬ雰囲気が漂ってきた。
「……あれ?」
足を止めた将太郎の視線の先には、またしてもあの高校生カップルがいた。
しかも先夜を上回るほどの熱の入りようで、すっかり周囲の景色が見えなくなっているのか、またしても濃厚な大人のキスを繰り広げている真っ最中だった。
「うわっ……! またあの二人だよ!」
将太郎は反射的に顔を真っ赤にし、バッと両手で目を覆ってその場で固まった。
隣にいた華怜も、きょとんとした丸い目で見つめたあと、スッと真顔で視線を逸らす。
気まずい……。
あまりにも気まずい空気が二人の間に流れた。
「な、なんかさっさと別の場所に行こう……!」
将太郎が慌てて踵を返し、足早に立ち去ろうとしたその時だった。
床に落ちていた小さなゴミに足を引っ掛けたのか、将太郎が「っと!」と大きくバランスを崩した。
「わっ……!」
支えようと手を伸ばした華怜ごと、将太郎の体がバランスを失って派手に床へ倒れ込む。 ドサッという音とともに、気がつけば――なんと華怜が上になり、下敷きになった将太郎を両手で押し倒すような、あまりにも密着したスレスレの体制になっていた。
「え……っ!?」
一瞬にして顔と顔の距離が数センチになり、将太郎は心臓が口から飛び出るほどの衝撃で目を見開いた。
華怜も、まさか自分がこんな体勢になっているとは思っていなかったらしく、透き通るような瞳をパチパチと瞬かせたあと、みるみるうちに耳の先まで真っ赤に染めていく。
「なっ、ななな……!?」
言葉にならない声を漏らし、顔を真っ赤にしてフリーズする将太郎と、あまりの近さにどうしていいか分からず固まる華怜。
――その一部始終を、少し離れた物陰からバッチリ目撃してしまった璃々、真帆、瑠莉奈の3人。
「きゃーーっ! 見た!? 今の見た!?」
璃々が両手をパタパタと振り回しながら、興奮のあまりその場で飛び跳ねる。
真帆も頬を両手で押さえ、「あ、あんなの……ドラマみたい……! あれって、完全に両思いってことよね!?」と目をキラキラさせて大盛り上がり。
これまでクールだった瑠莉奈まで、「ふふっ、あそこまでいったらもう言い逃れできないわね」と、珍しく意地悪くニヤリと笑っていた。
同期たちの盛大な冷やかしの視線が突き刺さる中、真っ赤になった二人が慌てて飛び起きようとわちゃわちゃしている。
――その平和で甘酸っぱい光景から、ほんの少し離れた屋外プールエリア。
誰もいないはずの観覧席に向かって、なぜか巨大なセイウチが一頭、ただ一人の来客者を見据えて、低く威嚇するような、しかしどこか切迫した鳴き声をいつまでも上げ続けていたのだった。