アクアリウム ~水族館で恋と事件と友情と~
第7羽:ウミガメの砂浜に眠る記憶
騒ぎがようやく一段落したと思った矢先、今度は屋外に設置された人工砂浜エリアから、慌ただしい怒号と足音が聞こえてきた。
「おい、しっかりしろ! どうして上がってこないんだ……!」
俺――将太郎が慌てて駆けつけると、すぐ後ろから華怜、そして璃々、真帆、瑠莉奈の3人も息を切らせて追いついてきた。
人工砂浜の真ん中には、一頭の大きなアオウミガメが這い上がっていた。
だが、その様子は明らかに異様だった。
本来なら静かに前足を使って産卵用の穴を掘るはずなのに、そいつは狂ったように砂を激しく掻きむしり、甲羅を揺すって暴れ回っている。
呼吸も荒く、完全にパニックに陥っていた。
「どうしたんだ、これ……? 体調でも悪いのか?」
俺が戸惑いの声を上げると、白衣を翻した一条先生が険しい顔つきで駆け込んできた。
ウミガメの様子をひと目見るなり、彼女は鋭く息を吸い込む。
「ダメだ、この暴れ方は尋常じゃない。神経系の深刻な病気か、あるいは体内に何らかの異常な疾患がある可能性がある……。一刻も早く麻酔をかけて、詳しい解剖と精密検査を――」 「待ってください」
その声を遮ったのは、隣に立っていた華怜だった。
彼女はいつになく真剣な、透き通るような瞳で一条先生をまっすぐに見据えている。
「解剖や検査なんて必要ないよ。この子は病気なんかじゃない」
「なっ、何を言ってるの華怜! これだけの異常行動よ、見過ごせるわけ――」
「違うの。病気だから暴れてるわけじゃない。この子が怯えて、拒絶しているのは病気なんかじゃないの」
華怜はそう言うと、近くにあったスコップを手に取り、ウミガメが必死に避けようとしていた足元の砂を自らざっくりと掘り起こし始めた。
「……これ」
数回砂を掻き出したあと、華怜がその手で引きずり出したのは、分厚いビニールに包まれた、古びた一台のガラケーだった。
長年土の中に埋もれていたせいで、プラスチックのボディは変色し、画面も無残にひび割れている。
「ウミガメはね、産卵のとき、前足や甲羅で砂の質感や温度、湿度をものすごく繊細に感じ取るの。この子は本能で気づいていたんだ。自分が卵を産もうとしているこの砂の下に、本来あるはずのない不自然な硬い異物――こんなものが埋まっていることに」
華怜の静かで淀みのない説明に、一条先生は言葉を失い、息を呑んだ。
そして、その場に遅れて駆けつけた飼育主任の宮本先輩が、そのボロボロの携帯電話を見るなり、大男の体をガタガタと大きく震わせた。
「……それ……母さんの……っ!」
宮本先輩の絞り出すような、掠れた声が夕暮れの砂浜に響く。
数年前に「突然の失踪」として処理されていた、宮本先輩の亡くなった母親の携帯電話。
水族館の砂の底から掘り起こされたそれは、この水族館が隠し続けてきたさらなる深い闇の扉を、音を立ててこじ開けたのだった。
「母さんの……携帯が、どうしてこんなところから……っ!」
宮本先輩は膝から崩れ落ちそうになりながら、そのボロボロの携帯電話を両手でしっかりと包み込んだ。
大男の目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
その姿を見て、俺たちは誰も言葉を発することができなかった。
あのいつも威圧感があって頼りだった宮本先輩が、こんなにも打ちひしがれている。
「……数年前、母さんが突然いなくなったとき、警察は『失踪扱い』にしたんだ」
宮本先輩は震える声で、絞り出すように語り始めた。
「でも、俺は信じられなかった。母さんはこの水族館の仕事を心から愛していたし、俺を置いて勝手にいなくなるような人じゃなかったから……。だけど、当時の館長や上の人間は『勝手にどこかへ行った』の一点張りで、それ以上探そうともしなかった」
華怜はその宮本先輩の姿をじっと見つめ、静かにしゃがみ込んで言った。
「宮本先輩のお母さんは、どこかへ行ったわけじゃない。……この水族館の裏で行われていた不正や隠蔽を偶然知ってしまったから、当時の経営陣に口封じをされたの。そして、誰にも見つからないように、この人工砂浜の底に……深く埋められたんだ」
「なんだと……!?」
一条先生が青ざめた顔で絶句する。
「母さんの携帯には、当時の不正の証拠や、上の人間とのやり取りが全部残っていたはずだ。だから、あいつらは必死で隠した……。でも、このウミガメが、何年も眠っていた真実を掘り起こしてくれたんだよ」
宮本先輩は携帯を胸に強く抱き締め、そして顔を上げた。
その双眸には、悲しみではなく、抑えきれない怒りと強い決意の光が宿っていた。
「……もう、ごまかさせない。この水族館の暗い過去も、母さんのことも、すべてを明るみに出してやる!」
その力強い宣言に、俺はぎゅっと拳を握りしめた。
「宮本先輩、俺たちも手伝います!」
「そうよ! こんな最低な隠蔽、絶対に許さないんだから!」
璃々、真帆、瑠莉奈の3人も力強く頷き、一条先生も決意を固めたようにメガネの位置を直した。
「……そうだね。私も、この水族館の獣医師として、もう目を背けない。一緒に真実を暴きましょう、健くん」
最強の同期たちと、信頼できる先輩たち。
全員の心が一つになった瞬間だった。
ウミガメが暴いた母の携帯電話という最大の証拠を手に、俺たちは清流清澄アクアリウムの本当の闇を打ち砕くための決戦へと動き出したのだった――!
「よし……! この携帯の内部データさえ復元できれば、あいつらの悪事が記された決定的な証拠になる」
宮本先輩が強い決意を込めて立ち上がると、一条先生がすかさずスマホを取り出した。
「専門のデータ復元業者にすぐ連絡するわ。これだけ古い機種で泥まみれだけど、内部のフラッシュメモリが無事なら解析できるはずよ」
俺たちはその携帯電話を慎重に専用の証拠袋に入れ、一先ず安全な管理室の金庫へと保管することにした。
だが、その動きを、水族館の影に潜む者たちがただ黙って見ているはずがなかった。
「……ねえ、みんな。なんか、さっきから視線を感じない?」
不意に真帆がびくっと肩を震わせ、通路の曲がり角を振り返った。
璃々と瑠莉奈も険しい顔で周囲に目を凝らす。
「たしかに……。さっきから、バックヤードの監視カメラの死角を縫うように、誰かが私たちをつけ狙ってる気配がするわ」
瑠莉奈の言葉に、俺は思わず華怜の前に一歩踏み出した。
「華怜、後ろに下がって……って、おい!」
俺が振り返ると、華怜はすでに周囲の空気やわずかな足音の反響に耳を澄ませ、別の通路の影をじっと見つめていた。
「……隠れても無駄だよ。私たちをずっと見張っていたんでしょ」
華怜の澄んだ、しかし冷徹な声が薄暗いバックヤードに響く。
その直後、通路の奥の影から、冷ややかな笑みを浮かべた一人の男がゆっくりと姿を現した。
それは、これまでの事件の裏でこっそり糸を引いていた、水族館の旧経営陣の残党――かつて裏金や隠蔽工作を牛耳っていた元幹部の一人だった。
「……大したもんだな、ガキのくせに調子に乗りやがって。まさか、あの砂浜からあの遺物まで引っ張り出されるとは予想外だったよ」
男は冷笑を浮かべ、ポケットから不気味な小型のリモコンを取り出した。
「だがね、証拠があろうがなかろうが、この水族館のシステムを握っているのは私たちだ。お前らがこれ以上詮索するなら、この館全体をどうするか……分かるよな?」
脅すような男の言葉に、宮本先輩が怒りで歯ぎしりをする。
「てめえ……! 母さんだけでなく、仲間たちまで脅す気か!」
男が不敵にリモコンのスイッチに指をかけようとしたその瞬間――!
「――そこまでだよ」
鋭い声とともに、一条先生が懐から取り出した小型のタブレットをスワイプした。
「残念だったわね。あなたたちが裏で何を企んでいるか、私たちはもうとっくにデータとして押さえてあるのよ。それに……」
冴子が合図を送ると同時に、璃々と瑠莉奈が素早く裏の配電盤へ走り、館内のメインモニターに一斉に映像を映し出した。
そこには、今まさに男が隠蔽工作を指示している音声や、これまでの不正の記録がリアルタイムで全職員の端末に共有される瞬間が映し出されていた。
「なっ……! なんだと……!?」
男の顔からサァッと血の気が引く。
「私たちの仲間を舐めないでよね」
璃々が胸を張って言い放ち、真帆も力強くうなずく。
そして、俺と華怜が、男の両脇をしっかりと固めるように一歩詰めた。
「もう、逃げ場はないよ」
華怜の静かなトドメの一言に、男は持っていたリモコンを取り落とし、膝から崩れ落ちた。
長い間、清流清澄アクアリウムの底に沈められていた暗い闇と隠蔽の歴史は、最強の同期5人と華怜、そして宮本先輩や一条先生たちの絆によって、完全に打ち砕かれたのだった。
男が警察に引き渡され、水族館に本当の平和が戻ったその日の夜。
閉館後の静まり返ったバックヤードで、一条先生――冴子は、一人でタブレットを叩きながら今日の報告書をまとめていた。
「ふぅ……ようやく、終わったわね」
疲労感と達成感に包まれながらコーヒーをマグカップに注いでいると、背後からガタッと足音が聞こえた。
振り返ると、そこには不器用そうに頭をかきながら立つ宮本先輩――健の姿があった。
「あのさ、冴子ちゃん……。その、なんだ」
健はいつも豪快な大男とは思えないほどもじもじと視線を泳がせ、それから意を決したように真っ直ぐに冴子を見つめた。
「今日の件……本当に、ありがとう。冴子ちゃんが俺の母さんのために一緒に動いてくれなかったら、俺はずっと過去に縛られたままだった。本当に、感謝してもしきれねぇよ」
直向きで、仲間や家族を何よりも大切にする健のまっすぐな瞳。
その男らしい優しさと力強さに触れた瞬間、冴子の胸の奥が、くんと小さな音を立てて跳ねた。
いつもは「一緒に居て楽しい友達」「頼りになる仲間」としか見ていなかったはずなのに、今の健は妙に大きく、そしてやけに心に残り続ける。
「……ばかね。私は獣医師として、水族館の不正を見過ごせなかっただけよ。それに……」 冴子は少しだけ頬を朱に染めながら、背を向けるようにコーヒーを一口飲んだ。
「……あなたのそういう真っ直ぐすぎるところ、危なっかしくて見てられないから、手伝っただけよ。……だから、感謝なんていらないわ」
ツンとした言い方をしながらも、耳たぶがほんのり赤くなっているのを、健は見逃さなかった。
健はフッと優しく息を漏らすと、ぶっきらぼうだが確かな温もりを込めて言った。
「……なあ、冴子ちゃん。これからさ、この水族館をもう一度立て直す相棒としてさ……ずっと俺の隣にいてくんねぇか?」
「っ……なっ、急にな……なによ! この鈍感男!」
冴子は思わずマグカップを落としそうになりながら顔を真っ赤にし、照れ隠しにそっぽを向いた。
だが、その口元には隠しきれない満面の笑みが浮かんでいた。
かつての暗い過去を乗り越え、不器用ながらも結ばれた二人の新しい恋の始まりだった。
そしてその頃、館内の別の通路では——。
「……ちょっと! 将くん、急に引っ張らないでよ!」
「ほら、あそこのクラゲ水槽のライトアップ、今すごく綺麗だから! 早く行かないと見逃すぞ!」
相変わらず絶妙な距離感でキャッキャとじゃれ合っている将太郎と華怜の姿があった。
事件は解決し、水族館の未来は明るい。
二人の甘酸っぱい時間は、これからもずっと続いていく――!