S系策士に豹変した元恋人御曹司の独占愛が甘すぎる

 そう、和季は紗夜の部屋の隣に『引っ越して』きたわけではない。

 彼は以前から住んでいたあの立派な超高層マンションを手放したわけではなく、元の家はそのままの状態を維持しつつ紗夜の隣の部屋を賃貸契約することで『二つ目の住まい』を作っただけだったのだ。

(な、なんという無駄なことを……)

 おそらく和季はこの部屋では本当に入浴と就寝をするのみで、なんなら食事すら行っていない。ゆえに調理家電も冷蔵庫も必要がなく、もちろん食洗器や洗濯機も設置していない。

 幸いエアコンは最初から備え付けられているため、気温の変化はしのげる。きっと新しく用意したのはベッドと照明、スーツやタオルをかけておくハンガーぐらいなのだろう。

 もしかしたら紗夜が気づいていなかっただけで、実はこの部屋に帰ってきていない日もたくさんあるのかもしれない。実際は隣にいない和季の存在を勝手に感じ取って密かに緊張していたのだとしたら、これ以上ないほど恥ずかしい話だ。

 予想外の事実に絶句するしかない紗夜に、和季がふっと笑みを零す。

「部屋のこと気にする余裕があるんだな、紗夜は」

 和季のからかうような声に反応してハッと我に返ると、和季が少し困ったような表情で紗夜を見下ろしていた。

「久々で余裕がないのは、俺だけか」

 ぽつりと呟いた和季の骨張った左手が、シーツの上へ投げ出していた紗夜の右手の中へするりと入り込む。

< 135 / 304 >

この作品をシェア

pagetop