S系策士に豹変した元恋人御曹司の独占愛が甘すぎる
二人は歩きながらも和季の話題を続けていたが、やがて紗夜の耳にもその声が完全に届かなくなる。
代わりに響いたのは、困ったように紗夜を見つめる増井の心配そうな声だった。
「深田さん、大丈夫?」
「! え……」
増井に声をかけられ、紗夜もハッと我に返る。
いつの間にか止まっていた呼吸を取り戻したように一呼吸置くと、眉尻を下げて不安そうな表情を向けてくる増井にどうにか笑顔を浮かべてみせた。
「あ……はい、平気です……」
一応は取り繕って笑ってみせるが、本当は全然大丈夫な気がしない。血圧が一気に下がって貧血を起こしかけているみたいに、視界が薄暗くなってなんだか頭がフラフラする。
とりあえず席に戻って、呼吸と思考を落ち着けなければ。――そう考えているはずなのに、頭の中ではどんよりと沈んだ思考ばかりが渦を巻いている。
(そっか……やっぱり、婚約者……いたんだ)
用を足しに行った増井とは逆の方向へ進んで経理部のオフィスに入り、自分の席へ戻る。頭が上手く回らないまま、お弁当箱が入ったランチバッグをデスクの上へ置く。
しかし席には座らず、その場に立ち尽くしてただ呆然としてしまう。
先ほどの女性社員が口にした『『明里常務の婚約者です』って名乗ってた』との一言と、和季がきっぱりと宣言した『俺には婚約者なんていない』という台詞と、紗夜が二年前に見たとある女性の姿がごちゃ混ぜになって、頭の中でぐるぐると混ざり合っている。