S系策士に豹変した元恋人御曹司の独占愛が甘すぎる
なにが起こっているのか、なにが本当なのか、紗夜にはまったくわからない。
和季への気持ちをようやく自覚して、だからこそ彼の言葉を信じたいと思っているはずなのに、急に足場が砕けてがらがらと崩れていくような、言葉では表現できない心許なさを覚えてしまう。
ゆっくりと踵を返して、たった今入ったばかりのオフィスから外の廊下へ出る。
「あれ? 深田先輩、お昼これからっすか?」
経理部を出てすぐのところで、社外へランチに行っていたと思わしき峰木とすれ違う。
だが紗夜には峰木の声がやけに遠く聞こえて、そのせいか彼の質問にどう答えていいのかもわからなくて、「ううん……」と上の空で返事をすることしかできなかった。
通り過ぎた峰木が「先輩?」と首を傾げる声をぼんやりと聞きながら、エレベーターではなくオープンラウンジの裏側――フロアの奥にある階段エリアへ歩みを進める。
扉を押し開けて視線を上げると、生暖かい空気が籠る階段の上をじっと見つめる。
そうだ。人から、しかも紗夜とはまったく親しくない相手の立ち話を耳にしただけなのに、それをそのまま鵜呑みにして決めつけてはいけない。
和季は『俺は紗夜に嘘をつかない』と言ってくれた。だから『信じられないか?』と聞かれた紗夜も、首を横に振って『信じる』と示したのだ。
あの言葉が嘘じゃないと思うのなら、婚約者なんていない、と言う和季を信じるなら――彼を信じたいと思うのなら、和季に直接聞けばいい。
この目でちゃんと、確かめたらいい。
そう考えた紗夜は扉からそっと手を離し、上階へ向かって階段を歩み始めた。