S系策士に豹変した元恋人御曹司の独占愛が甘すぎる
つまらなさそうな和季の表情を目の当たりにすると、一瞬だけたじろいでしまう。まさか本当に紗夜の様子を見るためだけに朝から経理課までやってきたのだろうか、と考える。
思いがけない宣言にどう反応すればいいのか困っていると、細長くて骨張った和季の指が紗夜の前にそっと伸びてきた。
しかしその指は素直にネクタイピンを受け取らない。
銀の装飾品ではなく紗夜の手首を掴んだ和季は、そこに力を込めて腕を引きつつ自分も前に出て、互いの距離を一気に縮めてきた。
「紗夜」
深みのある低い声に名前を呼ばれ、思わずびく、と身を固くする。
和季と密かに付き合っていた頃は、交際の事実を周囲に勘づかれないよう細心の注意を払っていたため、社内でプライベートな触れ合いをすることは一切なかった。
それはもちろん、交際関係が終了してからの二年間も同じで、社内で和季に手を握られたことも、これほど傍まで顔を近づけられたこともない。
どきどきと身構える紗夜の顔を覗き込んだ和季が、ふと疑問の声を漏らした。
「この間言ってた、俺の『婚約者』って、なんの話だ?」
「!」
和季の質問に背中がビクリと強張る。まさか数日前に紗夜が口走ったたった一言を和季が今も覚えているとは思わず、全身からぶわりと汗が噴き出てくる。
「そ……そんなこと、言いましたっけ」
いや、言った。
余計な一言を口にしたことは、紗夜自身が一番よく覚えている。