ベンチから始まる怪談譚

編集長より

 雫は僕のスマホから目を上げた。

「ど、どうかな?」

「……怖い」

「本当? よかった」

 僕は、とりあえず雫が集めてきてくれた話をもとに、一本のホラー小説を書き上げた。
 踏切の話にしようと決めてから、何度も何度も書き直した。
 編集者・雫の意見を取り入れながら。

「雫が『待ってたよ』って台詞を、別の踏切へ誘い出す伏線にしたのには感心したよ。よくそこまで話を膨らませられたね」

「そう? でも、『待ってたよ』って言われたら、他に考えようがなくない?」

「僕には到底思いつかない発想だよ」

 ふふっと雫が笑う。

「私、意外と有能な編集者だったみたいね」

「はい。雫編集長。これからも、どうぞよろしくお願いします」

「よかろう」

 雫はえっへんと胸を張り、腰に手を当てた。

 僕は再びスマホへ視線を落とした。

「よし。Webに投稿した」

「読んでもらえるといいね」

「……うん」

 そう答えたものの、心のどこかでは期待していなかった。

 二年間、書き続けてきた。
 それでも最後まで読んでくれる人はほんの数人。
 大勢の作品に埋もれ、僕の小説が誰かの目に留まることは、ほとんどなかった。

「よーし、どんどんいこう!」

 雫は右手を高く掲げ、勢いよく立ち上がった。

「えっ? まだ書くの?」

「もちろん! なんてったって今は夏だよ。今書かないで、いつ書くの」

 にかっと笑うその笑顔は、じめじめとした夏の空気まで吹き飛ばしてしまいそうなくらい爽やかだった。

「はぁ……」

 僕は小さくため息をつく。

「それでは編集長。次はどんな話にしましょうか」

「うーん、そうだなぁ……」

 雫は目を閉じて腕を組むと、しばらく考え込む。

 やがて何かを思いついたように顔を上げた。

「取材しないとね」

 そう言って、僕をまっすぐ見つめた。

「ははっ」

(そんなに自信満々に言うことなのか?)

 ころころと表情を変える雫を見ていると、思わず笑みがこぼれた。

「うーん」

 僕は大きく伸びを一つすると、「帰るか」
 と立ち上がる。

 また明日から、頭の中は新しい怪談話でいっぱいになるんだろう。

「夏……だな」

 思わず漏れたその一言を風がさらっていく。

 僕は家へと続く坂を登り始めた。

 カナカナカナ……。

 ヒグラシの鳴き声はどこか悲しげに響きわたる。

 振り返ると沈みゆく太陽が、ほんのひとときだけ町をオレンジ色に染めていた。

 
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