経理課・木下紬の恋のバグ
第33話 偽りのデータ
瀬尾と地下室で「数字の同盟」を結んだ、翌日の昼間のことだった。
紬は地下のデータ入力管理室で、アベニールに営業数値を打ち込むフリをしていた。
実際は、瀬尾から秘密裏に転送されてくる暗号化されたシステムログの解析データを、パソコンの画面の端で鋭く凝視していた。
カチ、カチとマウスを鳴らす自分の指先が、緊張で微かに震えているのがわかった。
天井の蛍光灯がブーンと静かに唸る部屋のなか、ディスプレイの光だけが紬の視界を白く染めている。
「……やっぱり、この数字の動きは絶対に不自然だわ。お堅いアベニールのロジックとしては、明らかに矛盾している」
紬は周囲に誰もいないことを何度も確認し、手元に広げた分厚い経理の海外取引財務台帳のページを素早くめくった。
ページをめくる乾いた音が、静まり返った地下室に妙に大きく響き渡る。
画面に映し出されていたのは、瀬尾が室井統括の監視の目を盗んで抽出してくれた、アベニールの最深部にある送金ログのデータだった。
そこには、特定の海外口座へと流れる不審な資金の推移が、一円の狂いもなく詳細に刻まれている。
『瀬尾さん、送金元になっているこの「ペーパーカンパニー」の名称、経理の過去の仕入れ台帳の中に完全に合致するものがあります。それが、アベニールが「コスト最優先」として強制的に推奨してきた、あの海外サプライチェーンの親会社です』
紬は、そこで一旦区切り、瀬尾にチャットで送った。そして、さらにキーボードを叩いた。
『そして、アベニールが購入単価を上げるように予測データを裏で故意に改ざんし、その上乗せされた会社の利益が、室井統括の個人口座へ還流しています』
紬が経理のプロとして「数字のパズル」の最後のピースをカチリとハメて、再びチャットで送ると、五階の自席にいる瀬尾から、すぐに驚きと悔しさを孕んだ返信が届いた。
『なるほど……外部のダミーデータに惑わされましたが、仕入れ原価そのものをシステム上で水増ししていたのですね』
画面に表示された文字を追いながら、紬は小さく息を呑んだ。ディスプレイの青白い光が、彼女の驚愕に満ちた瞳を照らし出している。
『これで完全に繋がりました。アベニールの出した海外ルート100%切り替えは、室井統括の私利私欲のためだけの偽りのデータです』
二人の見つけた決定的な裏送金の証拠が、次々と一本の太い線で結ばれていく。
室井統括が完璧なルールだと盲信させて現場を支配していたAIの正体は、ただの横領の道具に過ぎなかったのだ。
『ですが木下さん、この弾劾データを室井統括の前に突きつけるには、まだ圧倒的にピースが足りません』
画面の向こうで、瀬尾が厳しい表情でキーボードを猛烈に叩いているのが、チャットの文字の速度から伝わってくるようだった。
『室井統括は、この不正がバレた瞬間にアベニールそのものを強制シャットダウンして、すべてのログを完全に消去する緊急消去コードを自らの端末に仕込んでいるはずです。それを発動されたら、僕たちの勝ち目はありません』
「そんな…… せっかくここまで証拠を集めたのに、すべてを一瞬で消されてしまう……」
紬はキーボードを叩く手を止め、冷酷な上層部の罠の前に思わず息を呑んだ。
すると、チャット画面にさらにポツポツと、瀬尾からの緊急の追記メッセージが流れてきた。
『阻止する方法は一つだけあります。室井が気づく前に、アベニールのシステム管理権限を僕たちの手で100%奪い取ることです』
液晶画面の上で明滅する文字を、紬は瞬きも忘れて凝視した。
瀬尾の放つプロとしての強い執念が、文字の羅列から生々しく伝わってくる。
『そのためには、営業部や管理部、現場のすべての端末のログインIDが同時に必要になります。室井一人の管理者権限に対して、全社員のIDを僕の端末へ一斉に集中させることで、アベニールそのものをこちら側で強制的に乗っ取ります』
液晶画面をスクロールする紬の指先が、その作戦の凄まじいスケールに小さく震えた。
『そうすれば、室井の手元にある消去ボタンを完全に無効化(ロック)できます。現場の人間たちの、アベニールへの不満と怒りのエネルギーを、システム上で一箇所に集めるんです。できますか、木下さん』
瀬尾からのメッセージの文字が、液晶画面の上で静かに、しかし熱い闘志を秘めて明滅している。
「……はい! 営業部のみんななら、絶対に力を貸してくれます! 現場の意地を、室井統括に見せてやりましょう!」
紬は地下の誰もいない部屋の中で、誰にも聞こえない低い声で、しかし熱い決意を込めて強く呟いた。
冷たい機械の偽りのデータをすべて剥ぎ取り、人間たちの手でこのオフィスを取り戻すための、本当の反撃。
そのための最初のステップとして、紬は手元にある経理ノートを強く握りしめ、営業部のみんなが待つ三階のオフィスフロアへと、秘密の作戦を胸に抱いて静かに歩みを進めるのだった。
紬は地下のデータ入力管理室で、アベニールに営業数値を打ち込むフリをしていた。
実際は、瀬尾から秘密裏に転送されてくる暗号化されたシステムログの解析データを、パソコンの画面の端で鋭く凝視していた。
カチ、カチとマウスを鳴らす自分の指先が、緊張で微かに震えているのがわかった。
天井の蛍光灯がブーンと静かに唸る部屋のなか、ディスプレイの光だけが紬の視界を白く染めている。
「……やっぱり、この数字の動きは絶対に不自然だわ。お堅いアベニールのロジックとしては、明らかに矛盾している」
紬は周囲に誰もいないことを何度も確認し、手元に広げた分厚い経理の海外取引財務台帳のページを素早くめくった。
ページをめくる乾いた音が、静まり返った地下室に妙に大きく響き渡る。
画面に映し出されていたのは、瀬尾が室井統括の監視の目を盗んで抽出してくれた、アベニールの最深部にある送金ログのデータだった。
そこには、特定の海外口座へと流れる不審な資金の推移が、一円の狂いもなく詳細に刻まれている。
『瀬尾さん、送金元になっているこの「ペーパーカンパニー」の名称、経理の過去の仕入れ台帳の中に完全に合致するものがあります。それが、アベニールが「コスト最優先」として強制的に推奨してきた、あの海外サプライチェーンの親会社です』
紬は、そこで一旦区切り、瀬尾にチャットで送った。そして、さらにキーボードを叩いた。
『そして、アベニールが購入単価を上げるように予測データを裏で故意に改ざんし、その上乗せされた会社の利益が、室井統括の個人口座へ還流しています』
紬が経理のプロとして「数字のパズル」の最後のピースをカチリとハメて、再びチャットで送ると、五階の自席にいる瀬尾から、すぐに驚きと悔しさを孕んだ返信が届いた。
『なるほど……外部のダミーデータに惑わされましたが、仕入れ原価そのものをシステム上で水増ししていたのですね』
画面に表示された文字を追いながら、紬は小さく息を呑んだ。ディスプレイの青白い光が、彼女の驚愕に満ちた瞳を照らし出している。
『これで完全に繋がりました。アベニールの出した海外ルート100%切り替えは、室井統括の私利私欲のためだけの偽りのデータです』
二人の見つけた決定的な裏送金の証拠が、次々と一本の太い線で結ばれていく。
室井統括が完璧なルールだと盲信させて現場を支配していたAIの正体は、ただの横領の道具に過ぎなかったのだ。
『ですが木下さん、この弾劾データを室井統括の前に突きつけるには、まだ圧倒的にピースが足りません』
画面の向こうで、瀬尾が厳しい表情でキーボードを猛烈に叩いているのが、チャットの文字の速度から伝わってくるようだった。
『室井統括は、この不正がバレた瞬間にアベニールそのものを強制シャットダウンして、すべてのログを完全に消去する緊急消去コードを自らの端末に仕込んでいるはずです。それを発動されたら、僕たちの勝ち目はありません』
「そんな…… せっかくここまで証拠を集めたのに、すべてを一瞬で消されてしまう……」
紬はキーボードを叩く手を止め、冷酷な上層部の罠の前に思わず息を呑んだ。
すると、チャット画面にさらにポツポツと、瀬尾からの緊急の追記メッセージが流れてきた。
『阻止する方法は一つだけあります。室井が気づく前に、アベニールのシステム管理権限を僕たちの手で100%奪い取ることです』
液晶画面の上で明滅する文字を、紬は瞬きも忘れて凝視した。
瀬尾の放つプロとしての強い執念が、文字の羅列から生々しく伝わってくる。
『そのためには、営業部や管理部、現場のすべての端末のログインIDが同時に必要になります。室井一人の管理者権限に対して、全社員のIDを僕の端末へ一斉に集中させることで、アベニールそのものをこちら側で強制的に乗っ取ります』
液晶画面をスクロールする紬の指先が、その作戦の凄まじいスケールに小さく震えた。
『そうすれば、室井の手元にある消去ボタンを完全に無効化(ロック)できます。現場の人間たちの、アベニールへの不満と怒りのエネルギーを、システム上で一箇所に集めるんです。できますか、木下さん』
瀬尾からのメッセージの文字が、液晶画面の上で静かに、しかし熱い闘志を秘めて明滅している。
「……はい! 営業部のみんななら、絶対に力を貸してくれます! 現場の意地を、室井統括に見せてやりましょう!」
紬は地下の誰もいない部屋の中で、誰にも聞こえない低い声で、しかし熱い決意を込めて強く呟いた。
冷たい機械の偽りのデータをすべて剥ぎ取り、人間たちの手でこのオフィスを取り戻すための、本当の反撃。
そのための最初のステップとして、紬は手元にある経理ノートを強く握りしめ、営業部のみんなが待つ三階のオフィスフロアへと、秘密の作戦を胸に抱いて静かに歩みを進めるのだった。