経理課・木下紬の恋のバグ
第35話 アベニール乗っ取り計画
昼間の三階オフィスで、佐藤や藤沢先輩、臨時の予算会議で大河内部長を上手く遠ざけてくれたみんなの協力によって、極秘裏に回収した数十人分のログインIDとパスワードのメモ。
そして、現場の長である鬼塚部長から「営業部全員の命、預けるよ」と託された、最高管理者用の重みのあるICカード。
それらの現場の生身の人間たちの強い意志と誇りがびっしりと詰まった経理ノートを、強く胸に抱きしめていた。
一度地下のデータ入力管理室へと戻り、残業の申請制限が切れてフロアから人が完全にいなくなるタイミングを、じっと息を潜めて待ち続けていた。
一般の社員たちがすべて退社し、オフィスの大半の電気が一斉に消えて、メインサーバーの定期ログ更新が始まる時間。
それこそが、瀬尾主任とチャットの秘密のチャンネルで事前に綿密に打ち合わせていた「夜の十時」だった。
時計の針がその時刻をちょうど指した瞬間、紬はデスクの上にブランケットをそっと置き、ノートを両手で強く握りしめて、誰もいない静まり返ったエレベーターへと飛び乗って五階の役員フロアへと急いだ。
スーッ……と風切り音を立てて静かに金属製のドアが開くと、フロアの照明はすべて落とされ、深い闇と不気味な静寂に包まれていた。
紬は足音を殺しながら、フロアの奥で唯一青白い光を放っている、ガラス張りの「DX改革推進本部」の開発室の部屋へと急いだ。
「瀬尾さん、お待たせしました。三階の営業部、管理課、そして経理課の全員分のIDとパスワードです」
紬が開発室の部屋へ滑り込み、ノートを開いて大量の付箋や手書きのメモを瀬尾のデスクへ一気に広げると、大きなデスクトップパソコンの前に座っていた瀬尾は、黒縁メガネの奥の一重の瞳を鋭く光らせた。
「……見事です、木下さん。これだけの数の権限が同時に集まれば、アベニールの最深部へアクセスするためのシステム上の圧倒的な多数決を、ここで強制的に発動できます」
瀬尾はそう淡々と告げると、白い綺麗な指先をキーボードの上にしなやかに構え、プロ用の真っ黒な開発画面へとログインした。
カタカタカタ! カタカタカタ!と、静まり返った五階の部屋の中に、彼の迷いのない超高速のタイピング音がまるで激しい銃撃戦のように響き渡り始める。
瀬尾は紬が持ち込んだ数十人分ものログイン情報を、自身の管理者端末へ次々と手際よくプログラムの変数として読み込ませていった。
ディスプレイの青白い光に照らされた彼の横顔には、いつも通りの冷淡さのなかに、システムエンジニアとしての強烈な誇りと凄まじい執念が満ちていた。
「これよりアベニールのメインサーバーのコントロール権を、室井統括から力ずくで奪い取るオーバーライド(強制上書き)計画をスタートします。木下さん、鬼塚部長のICカードをそっとそのカードリーダーにスロットインしてください」
紬は「はい!」と短く強く頷くと、緊張で震える指先で鬼塚部長のカードを卓上の機械へと真っ直ぐに差し込んだ。
ピッと鋭い電子音が部屋に響いた瞬間、画面の中央に、解析の進行状況を示す大きなプログレスバーが浮かび上がった。
集まった社員たちのIDが次々と連動し、室井一人が持っていたアベニールの最高権限を、下からの圧倒的な人間の数で包囲し、ジワジワと緑色の波で塗りつぶしていく。
パーセンテージの数字がおそろしい速度で上昇していくのを、二人は生唾を呑みながら見つめていた。
「よし……。あと一息で室井の端末の緊急消去ボタンを完全に無効化(ロック)できます。アベニールの全権限が、僕たちの手へと移ります」
瀬尾がエンターキーへ指をかけた、まさにその時だった。バタン!と、開発室の重い扉が、夜の静寂を切り裂く不気味な音を立てて乱暴に押し開けられた。
「――夜遅くに、私の許可なくメインシステムを触って、一体何をしているのかね」
暗闇のなかから響いたその声は、心臓が瞬時に凍りつくほどに冷酷で、慇懃無礼なまでの圧倒的な威圧感に満ちていた。
紬がハッと息を呑んで振り返ると、そこにはスマートな眼鏡の奥の切れ長の瞳を恐ろしく細めた、DX改革推進本部のトップ・室井恭一郎が、冷たい影を背後に引き連れて開発室の入り口に立っていた。
そして、現場の長である鬼塚部長から「営業部全員の命、預けるよ」と託された、最高管理者用の重みのあるICカード。
それらの現場の生身の人間たちの強い意志と誇りがびっしりと詰まった経理ノートを、強く胸に抱きしめていた。
一度地下のデータ入力管理室へと戻り、残業の申請制限が切れてフロアから人が完全にいなくなるタイミングを、じっと息を潜めて待ち続けていた。
一般の社員たちがすべて退社し、オフィスの大半の電気が一斉に消えて、メインサーバーの定期ログ更新が始まる時間。
それこそが、瀬尾主任とチャットの秘密のチャンネルで事前に綿密に打ち合わせていた「夜の十時」だった。
時計の針がその時刻をちょうど指した瞬間、紬はデスクの上にブランケットをそっと置き、ノートを両手で強く握りしめて、誰もいない静まり返ったエレベーターへと飛び乗って五階の役員フロアへと急いだ。
スーッ……と風切り音を立てて静かに金属製のドアが開くと、フロアの照明はすべて落とされ、深い闇と不気味な静寂に包まれていた。
紬は足音を殺しながら、フロアの奥で唯一青白い光を放っている、ガラス張りの「DX改革推進本部」の開発室の部屋へと急いだ。
「瀬尾さん、お待たせしました。三階の営業部、管理課、そして経理課の全員分のIDとパスワードです」
紬が開発室の部屋へ滑り込み、ノートを開いて大量の付箋や手書きのメモを瀬尾のデスクへ一気に広げると、大きなデスクトップパソコンの前に座っていた瀬尾は、黒縁メガネの奥の一重の瞳を鋭く光らせた。
「……見事です、木下さん。これだけの数の権限が同時に集まれば、アベニールの最深部へアクセスするためのシステム上の圧倒的な多数決を、ここで強制的に発動できます」
瀬尾はそう淡々と告げると、白い綺麗な指先をキーボードの上にしなやかに構え、プロ用の真っ黒な開発画面へとログインした。
カタカタカタ! カタカタカタ!と、静まり返った五階の部屋の中に、彼の迷いのない超高速のタイピング音がまるで激しい銃撃戦のように響き渡り始める。
瀬尾は紬が持ち込んだ数十人分ものログイン情報を、自身の管理者端末へ次々と手際よくプログラムの変数として読み込ませていった。
ディスプレイの青白い光に照らされた彼の横顔には、いつも通りの冷淡さのなかに、システムエンジニアとしての強烈な誇りと凄まじい執念が満ちていた。
「これよりアベニールのメインサーバーのコントロール権を、室井統括から力ずくで奪い取るオーバーライド(強制上書き)計画をスタートします。木下さん、鬼塚部長のICカードをそっとそのカードリーダーにスロットインしてください」
紬は「はい!」と短く強く頷くと、緊張で震える指先で鬼塚部長のカードを卓上の機械へと真っ直ぐに差し込んだ。
ピッと鋭い電子音が部屋に響いた瞬間、画面の中央に、解析の進行状況を示す大きなプログレスバーが浮かび上がった。
集まった社員たちのIDが次々と連動し、室井一人が持っていたアベニールの最高権限を、下からの圧倒的な人間の数で包囲し、ジワジワと緑色の波で塗りつぶしていく。
パーセンテージの数字がおそろしい速度で上昇していくのを、二人は生唾を呑みながら見つめていた。
「よし……。あと一息で室井の端末の緊急消去ボタンを完全に無効化(ロック)できます。アベニールの全権限が、僕たちの手へと移ります」
瀬尾がエンターキーへ指をかけた、まさにその時だった。バタン!と、開発室の重い扉が、夜の静寂を切り裂く不気味な音を立てて乱暴に押し開けられた。
「――夜遅くに、私の許可なくメインシステムを触って、一体何をしているのかね」
暗闇のなかから響いたその声は、心臓が瞬時に凍りつくほどに冷酷で、慇懃無礼なまでの圧倒的な威圧感に満ちていた。
紬がハッと息を呑んで振り返ると、そこにはスマートな眼鏡の奥の切れ長の瞳を恐ろしく細めた、DX改革推進本部のトップ・室井恭一郎が、冷たい影を背後に引き連れて開発室の入り口に立っていた。