経理課・木下紬の恋のバグ
第37話 勝利宣言
瀬尾がアベニールの最深部から室井の横領のデータを引き出した瞬間、紬は迷うことなく自分のスマートフォンを握りしめ、営業部のトップである鬼塚部長の個人携帯へと直撃の連絡を入れた。
『鬼塚部長、木下です! 瀬尾主任と一緒に、室井統括がアベニールを悪用して海外口座へ巨額の裏金を流していた決定的な証拠を掴みました! 今から瀬尾主任が、役員会のメインサーバーへ全ての弾劾データを一括送信します!』
受話器の向こうで、鬼塚部長が地鳴りのような熱い声を上げた。
「よし……! すぐに社長に連絡する。それとコンプライアンスの責任者を叩き起こして五階へ向かわせる。きみたちはそこを動くな!」
鬼塚部長が即座に経営トップ陣へ緊急の連絡を回した結果、本社ビルの上層部にはおそろしいほどの速さで激震が走った。
夜の十一時を過ぎているにもかかわらず、その決定的な横領の証拠に衝撃を受けた社長やコンプライアンス担当の役員たちが顔を真っ青にして五階のフロアへと次々に駆けつけた。
そして、その場で室井恭一郎に対する緊急の内部ヒアリングを開始したのだ。
アベニールという完璧な計算機を自分の私利私欲のために汚し、現場の誇りを不当に踏みにじり続けた男の、あまりにも無惨な失脚の瞬間だった。
すべての言い逃れを封じられ、夜を徹した厳しい追及の末にがっくりと肩を落とす室井の姿を、紬と瀬尾はガラス張りの開発室の中から、ただ無言で見つめていた。
室井の身柄は、翌朝早く、社員が出社してくる前に地下駐車場へと密かに手配された警察の車両によって、世間に知られないよう極秘裏に連行されていくという。
「……終わりましたね、木下さん。システムを悪用していた最悪のバグは、これで完全にデバッグされました」
瀬尾はそう静かに告げると、自身の黒縁メガネを外し、深く長い大きなため息をつきながら椅子の背もたれに体を預けた。
ディスプレイの光が消えた彼の顔には、連日の徹夜の疲弊が色濃く残っていたが、その表情はあの日深夜にサプリメントをくれた時のように、どこまでも穏やかで優しかった。
「はい。瀬尾さん、本当にありがとうございました。あなたが力を貸してくれなければ、会社は破滅していました」
紬が心からの感謝を伝えると、瀬尾は外したメガネを拭きながら、照れくさそうにフイッと視線を斜め下へと背けた。
「勘違いしないでください。僕はただ、エンジニアとしてアベニールを正しい仕様に戻しただけです。……でも、まぁ、今回の最大の功労者は、為替や関税のデータを見抜いたあなたですよ、紬さん」
瀬尾が初めて自分の名前をフランクに呼んでくれたことに、紬は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
二人は互いのプロとしての仕事を称え合うように小さく笑い合うと、瀬尾は「僕は残務処理をしてから帰ります」と言って、再び優しくキーボードに手を置いた。
*
それから一晩が明け、初夏の気持ちの良い朝の光が、三階のオフィスフロアへ爽やかに差し込んでいた。
出社した紬がパソコンを立ち上げると、全社チャットの画面に、室井の更迭に伴う「長谷川律の本社営業部への即時復帰」という、役員会からの正式な人事辞令が誇らしくポップアップされた。
それとほぼ同時に、営業部の奥では鬼塚部長が受話器を握りしめ、誰よりも早く九州の物流センターにいる長谷川の携帯へと直接連絡する声が響いていた。
力強い声で「長谷川、役員会からの正式な辞令が出た。本日付を以て本社営業部への復帰を命ずる。すぐに戻ってこい!」と公式な本社復帰の命令を伝えていた。
鬼塚部長からの公式な連絡を受け、九州の倉庫で大喜びした長谷川は、すぐさま弾む心で紬の個人スマートフォンへと直接、電話をかけてきた。
ポケットの中でスマートフォンのバイブレーションがブブブッ!と激しく震え、画面に長谷川の名前が大きく浮かび上がった瞬間、紬は高鳴る胸の鼓動を抑えきれず、大急ぎで通話ボタンをタップした。
「――もしもし、紬ちゃん!? 今、鬼塚部長から正式に本社復帰の連絡をいただいたよ! 本当に、本当に俺、戻れるんだな……!」
スピーカーの向こうから響いてきた長谷川の声は、いつもの太陽のように明るく、あまりの嬉しさと興奮で激しく裏返っていた。
「はい! 本当に、本当におめでとうございます、長谷川さん! すべてのバグは消去されました。役員会の公式な辞令も、今こちらの画面に誇らしく出ています!」
紬が現場の勝利の喜びを満面の笑みで受話器に向かって叫ぶと、長谷川は電話の向こうで「やったぁぁぁ!」と子供のように大声を上げて再び歓喜した。
広大な物流センターのコンクリートに、彼の足音が嬉しそうに響いているのが伝わってくるようだった。
「ありがとう、紬ちゃん……! 俺を信じて、あの地下室で一ヶ月も耐えて、最後まで一緒に戦ってくれて、本当にありがとう。今すぐ荷物をまとめて、明日の飛行機でそっちへ飛ぶから。……約束通り、絶対に君の隣に行くからさ」
長谷川の低く熱い、確固たる誓いの声が、紬の耳の奥に優しく、深く響き渡った。
手の中のスマートフォンをぎゅっと胸元に抱きしめながら、紬は窓の外の青空を見上げ、最高の笑顔を浮かべていた。冷たい機械の嵐は完全に去った。
明日、愛しいあの人が戻ってくる。私たちは私たちの手で、こののどかなオフィスと、人間の誇りを守り抜いたのだ。
『鬼塚部長、木下です! 瀬尾主任と一緒に、室井統括がアベニールを悪用して海外口座へ巨額の裏金を流していた決定的な証拠を掴みました! 今から瀬尾主任が、役員会のメインサーバーへ全ての弾劾データを一括送信します!』
受話器の向こうで、鬼塚部長が地鳴りのような熱い声を上げた。
「よし……! すぐに社長に連絡する。それとコンプライアンスの責任者を叩き起こして五階へ向かわせる。きみたちはそこを動くな!」
鬼塚部長が即座に経営トップ陣へ緊急の連絡を回した結果、本社ビルの上層部にはおそろしいほどの速さで激震が走った。
夜の十一時を過ぎているにもかかわらず、その決定的な横領の証拠に衝撃を受けた社長やコンプライアンス担当の役員たちが顔を真っ青にして五階のフロアへと次々に駆けつけた。
そして、その場で室井恭一郎に対する緊急の内部ヒアリングを開始したのだ。
アベニールという完璧な計算機を自分の私利私欲のために汚し、現場の誇りを不当に踏みにじり続けた男の、あまりにも無惨な失脚の瞬間だった。
すべての言い逃れを封じられ、夜を徹した厳しい追及の末にがっくりと肩を落とす室井の姿を、紬と瀬尾はガラス張りの開発室の中から、ただ無言で見つめていた。
室井の身柄は、翌朝早く、社員が出社してくる前に地下駐車場へと密かに手配された警察の車両によって、世間に知られないよう極秘裏に連行されていくという。
「……終わりましたね、木下さん。システムを悪用していた最悪のバグは、これで完全にデバッグされました」
瀬尾はそう静かに告げると、自身の黒縁メガネを外し、深く長い大きなため息をつきながら椅子の背もたれに体を預けた。
ディスプレイの光が消えた彼の顔には、連日の徹夜の疲弊が色濃く残っていたが、その表情はあの日深夜にサプリメントをくれた時のように、どこまでも穏やかで優しかった。
「はい。瀬尾さん、本当にありがとうございました。あなたが力を貸してくれなければ、会社は破滅していました」
紬が心からの感謝を伝えると、瀬尾は外したメガネを拭きながら、照れくさそうにフイッと視線を斜め下へと背けた。
「勘違いしないでください。僕はただ、エンジニアとしてアベニールを正しい仕様に戻しただけです。……でも、まぁ、今回の最大の功労者は、為替や関税のデータを見抜いたあなたですよ、紬さん」
瀬尾が初めて自分の名前をフランクに呼んでくれたことに、紬は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
二人は互いのプロとしての仕事を称え合うように小さく笑い合うと、瀬尾は「僕は残務処理をしてから帰ります」と言って、再び優しくキーボードに手を置いた。
*
それから一晩が明け、初夏の気持ちの良い朝の光が、三階のオフィスフロアへ爽やかに差し込んでいた。
出社した紬がパソコンを立ち上げると、全社チャットの画面に、室井の更迭に伴う「長谷川律の本社営業部への即時復帰」という、役員会からの正式な人事辞令が誇らしくポップアップされた。
それとほぼ同時に、営業部の奥では鬼塚部長が受話器を握りしめ、誰よりも早く九州の物流センターにいる長谷川の携帯へと直接連絡する声が響いていた。
力強い声で「長谷川、役員会からの正式な辞令が出た。本日付を以て本社営業部への復帰を命ずる。すぐに戻ってこい!」と公式な本社復帰の命令を伝えていた。
鬼塚部長からの公式な連絡を受け、九州の倉庫で大喜びした長谷川は、すぐさま弾む心で紬の個人スマートフォンへと直接、電話をかけてきた。
ポケットの中でスマートフォンのバイブレーションがブブブッ!と激しく震え、画面に長谷川の名前が大きく浮かび上がった瞬間、紬は高鳴る胸の鼓動を抑えきれず、大急ぎで通話ボタンをタップした。
「――もしもし、紬ちゃん!? 今、鬼塚部長から正式に本社復帰の連絡をいただいたよ! 本当に、本当に俺、戻れるんだな……!」
スピーカーの向こうから響いてきた長谷川の声は、いつもの太陽のように明るく、あまりの嬉しさと興奮で激しく裏返っていた。
「はい! 本当に、本当におめでとうございます、長谷川さん! すべてのバグは消去されました。役員会の公式な辞令も、今こちらの画面に誇らしく出ています!」
紬が現場の勝利の喜びを満面の笑みで受話器に向かって叫ぶと、長谷川は電話の向こうで「やったぁぁぁ!」と子供のように大声を上げて再び歓喜した。
広大な物流センターのコンクリートに、彼の足音が嬉しそうに響いているのが伝わってくるようだった。
「ありがとう、紬ちゃん……! 俺を信じて、あの地下室で一ヶ月も耐えて、最後まで一緒に戦ってくれて、本当にありがとう。今すぐ荷物をまとめて、明日の飛行機でそっちへ飛ぶから。……約束通り、絶対に君の隣に行くからさ」
長谷川の低く熱い、確固たる誓いの声が、紬の耳の奥に優しく、深く響き渡った。
手の中のスマートフォンをぎゅっと胸元に抱きしめながら、紬は窓の外の青空を見上げ、最高の笑顔を浮かべていた。冷たい機械の嵐は完全に去った。
明日、愛しいあの人が戻ってくる。私たちは私たちの手で、こののどかなオフィスと、人間の誇りを守り抜いたのだ。