君が思い出になる前に
第54話 変わったのは、私たち
木曜日の朝。
目を覚ました葵は、カーテンを開けた。
昨日までより少しだけ、空が高く見えた。
土曜日まで、あと二日。
そう思ってから、葵は小さく笑う。
まるで遠足を楽しみにしている子どもみたいだった。
けれど、そんな自分が嫌ではなかった。
朝食を済ませ、家を出る。
駅へ向かう途中、スマートフォンが震えた。
悠真からだった。
『土曜日、天気よさそうだよ』
葵は歩きながら返信する。
『本当?』
『うん。晴れるみたい』
『よかった』
それだけのやり取り。
でも、その短い会話が嬉しかった。
以前なら、ここからもっと話を続けようとしていた。
今日の予定は?
仕事はどう?
昨日は何してた?
そんな質問を重ねていた。
今は、相手の言葉をそのまま受け取れる。
会話が途切れても、不安にならない。
それが、以前の自分との大きな違いだった。
会社では、午前中から打ち合わせが続いた。
新しい企画のプレゼンを終えたところで、上司が言った。
「高橋さん、最近ちょっと変わったね」
「またですか?」
葵が笑うと、上司も笑った。
「前は何でも自分で抱えようとしてたけど、最近は人に任せるようになった」
「……そうかもしれません」
「いい変化だと思うよ」
その言葉に、葵は少しだけ考えた。
仕事ができる人になりたかった。
誰からも頼られる人になりたかった。
失敗しない人になりたかった。
そのためなら、いくらでも頑張れると思っていた。
けれど、頑張ることと無理をすることは違う。
そのことに気づくまで、ずいぶん時間がかかった。
昼休み。
葵は一人で近くの公園へ行った。
ベンチに座り、コンビニで買ったサンドイッチを食べる。
木々の間から、青い空が見える。
ふと、悠真のことを思い出した。
四年前。
二人でこの近くを歩いたことがあった。
そのときも、こんな晴れた日だった。
悠真は何でもない話をしていた。
葵は笑っていた。
それだけだった。
でも、そんな時間が今になって大切な思い出になっている。
葵は空を見上げた。
「思い出って、不思議だな」
過去に戻りたいわけではない。
ただ、そこにあった時間を大切だと思える。
それだけで十分なのかもしれない。
仕事を終えた夜。
葵は帰宅すると、土曜日に持っていくものを確認した。
財布。
スマートフォン。
ハンカチ。
飲み物。
日焼け止め。
必要なものを鞄に入れていく。
その途中で、昔の写真が一枚目に入った。
悠真と初めて海へ行ったときの写真だった。
まだ付き合い始めたばかりで、二人とも少し緊張している。
葵は写真を見ながら笑った。
あの頃の自分たちは、ずっと一緒にいると思っていた。
四年後も。
十年後も。
その先も。
けれど、人生は思った通りには進まない。
だからといって、あの頃の約束が嘘だったわけではない。
あのときは、本当にそう思っていた。
それだけでいい。
葵は写真を閉じた。
スマートフォンが震える。
悠真からだった。
『土曜日、駅で待ち合わせでいい?』
『うん』
『十時ね』
『了解』
そこで終わる。
けれど、葵は少し考えてから、もう一度メッセージを送った。
『悠真』
『ん?』
『最近、少し変わったと思わない?』
しばらく返信がなかった。
やがて、
『変わったと思う』
と届いた。
葵は胸の奥が少しだけざわつく。
『悪い意味?』
『違う』
すぐに続きが届いた。
『前より、葵が葵らしくなった気がする』
葵は画面を見つめた。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。
自分らしく。
その言葉を、最近何度も考えていた。
仕事ができる自分。
恋人に愛される自分。
誰かに必要とされる自分。
そういうものを全部取り払ったら、自分には何が残るのだろう。
以前は、それが怖かった。
今は少し違う。
何もないところからでも、自分で選んでいけばいい。
そう思える。
『悠真も変わったよ』
葵は返信した。
『そうかな』
『うん。前より、自分のこと話すようになった』
少し間が空いた。
『葵が聞いてくれるようになったからじゃない?』
その言葉を見て、葵は胸が痛んだ。
でも、それは悲しさだけではなかった。
もっと早く聞けばよかった。
もっと早く、悠真の話を聞いていれば。
そう思う。
けれど、過去には戻れない。
だからこそ、今は聞ける。
土曜日に会ったら、ちゃんと話そう。
仕事のこと。
家族のこと。
最近考えていること。
これからのこと。
まだ決まっていない未来のことも。
葵はスマートフォンを伏せた。
窓の外には、静かな夜が広がっている。
土曜日まで、あと一日。
明日を終えれば、海へ行ける。
楽しみだった。
悠真に会えることも。
海を見ることも。
そして何より、
今の自分たちが、どんな話をするのか。
葵はまだ知らない。
けれど、以前とは違う。
もう「昔の二人」に戻りたいとは思わなかった。
ただ、
「今の二人」
として、もう一度向き合ってみたい。
それだけだった。
目を覚ました葵は、カーテンを開けた。
昨日までより少しだけ、空が高く見えた。
土曜日まで、あと二日。
そう思ってから、葵は小さく笑う。
まるで遠足を楽しみにしている子どもみたいだった。
けれど、そんな自分が嫌ではなかった。
朝食を済ませ、家を出る。
駅へ向かう途中、スマートフォンが震えた。
悠真からだった。
『土曜日、天気よさそうだよ』
葵は歩きながら返信する。
『本当?』
『うん。晴れるみたい』
『よかった』
それだけのやり取り。
でも、その短い会話が嬉しかった。
以前なら、ここからもっと話を続けようとしていた。
今日の予定は?
仕事はどう?
昨日は何してた?
そんな質問を重ねていた。
今は、相手の言葉をそのまま受け取れる。
会話が途切れても、不安にならない。
それが、以前の自分との大きな違いだった。
会社では、午前中から打ち合わせが続いた。
新しい企画のプレゼンを終えたところで、上司が言った。
「高橋さん、最近ちょっと変わったね」
「またですか?」
葵が笑うと、上司も笑った。
「前は何でも自分で抱えようとしてたけど、最近は人に任せるようになった」
「……そうかもしれません」
「いい変化だと思うよ」
その言葉に、葵は少しだけ考えた。
仕事ができる人になりたかった。
誰からも頼られる人になりたかった。
失敗しない人になりたかった。
そのためなら、いくらでも頑張れると思っていた。
けれど、頑張ることと無理をすることは違う。
そのことに気づくまで、ずいぶん時間がかかった。
昼休み。
葵は一人で近くの公園へ行った。
ベンチに座り、コンビニで買ったサンドイッチを食べる。
木々の間から、青い空が見える。
ふと、悠真のことを思い出した。
四年前。
二人でこの近くを歩いたことがあった。
そのときも、こんな晴れた日だった。
悠真は何でもない話をしていた。
葵は笑っていた。
それだけだった。
でも、そんな時間が今になって大切な思い出になっている。
葵は空を見上げた。
「思い出って、不思議だな」
過去に戻りたいわけではない。
ただ、そこにあった時間を大切だと思える。
それだけで十分なのかもしれない。
仕事を終えた夜。
葵は帰宅すると、土曜日に持っていくものを確認した。
財布。
スマートフォン。
ハンカチ。
飲み物。
日焼け止め。
必要なものを鞄に入れていく。
その途中で、昔の写真が一枚目に入った。
悠真と初めて海へ行ったときの写真だった。
まだ付き合い始めたばかりで、二人とも少し緊張している。
葵は写真を見ながら笑った。
あの頃の自分たちは、ずっと一緒にいると思っていた。
四年後も。
十年後も。
その先も。
けれど、人生は思った通りには進まない。
だからといって、あの頃の約束が嘘だったわけではない。
あのときは、本当にそう思っていた。
それだけでいい。
葵は写真を閉じた。
スマートフォンが震える。
悠真からだった。
『土曜日、駅で待ち合わせでいい?』
『うん』
『十時ね』
『了解』
そこで終わる。
けれど、葵は少し考えてから、もう一度メッセージを送った。
『悠真』
『ん?』
『最近、少し変わったと思わない?』
しばらく返信がなかった。
やがて、
『変わったと思う』
と届いた。
葵は胸の奥が少しだけざわつく。
『悪い意味?』
『違う』
すぐに続きが届いた。
『前より、葵が葵らしくなった気がする』
葵は画面を見つめた。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちていく。
自分らしく。
その言葉を、最近何度も考えていた。
仕事ができる自分。
恋人に愛される自分。
誰かに必要とされる自分。
そういうものを全部取り払ったら、自分には何が残るのだろう。
以前は、それが怖かった。
今は少し違う。
何もないところからでも、自分で選んでいけばいい。
そう思える。
『悠真も変わったよ』
葵は返信した。
『そうかな』
『うん。前より、自分のこと話すようになった』
少し間が空いた。
『葵が聞いてくれるようになったからじゃない?』
その言葉を見て、葵は胸が痛んだ。
でも、それは悲しさだけではなかった。
もっと早く聞けばよかった。
もっと早く、悠真の話を聞いていれば。
そう思う。
けれど、過去には戻れない。
だからこそ、今は聞ける。
土曜日に会ったら、ちゃんと話そう。
仕事のこと。
家族のこと。
最近考えていること。
これからのこと。
まだ決まっていない未来のことも。
葵はスマートフォンを伏せた。
窓の外には、静かな夜が広がっている。
土曜日まで、あと一日。
明日を終えれば、海へ行ける。
楽しみだった。
悠真に会えることも。
海を見ることも。
そして何より、
今の自分たちが、どんな話をするのか。
葵はまだ知らない。
けれど、以前とは違う。
もう「昔の二人」に戻りたいとは思わなかった。
ただ、
「今の二人」
として、もう一度向き合ってみたい。
それだけだった。