薔薇色って何色?――ロト7で人生をやり直すはずが、敏腕弁護士の執着愛に捕まりました――
奥の扉が開いた。

たったそれだけなのに、なぜか室内の空気が変わった気がした。

出てきたのは、一人の男性。

背が高く、細身ではあるけれど決して華奢ではない。仕立てのいいスーツ越しにも、無駄なく鍛えられた身体だと分かる。

小さな顔に、すっと整った輪郭。切れ長なのに大きく、強い印象を残す目。通った鼻筋に、整った口元。

眉目秀麗。

――イケメン。

そこは間違いない。

ただし、近寄りやすさというものがどこにもない。

静かで冷静、それでいて隙がない。そのすべてが合わさると、整った容姿以上に、どこか冷徹な印象の方が先に立った。

この人が、さっきまで散々言われていた人?

男性は室内を一度見渡し、低く落ち着いた声で言った。

「皆さん、声が大きいです」

ぴたりと三人が黙った。

その反応が、少し可笑しい。

男性はテーブルの上のお茶と、私たちの顔を順番に見た。

「それと、相談の域を超えて座談会のようになっていますが」

ほんのわずかに眉を寄せる。

「あら」

聖子さんが、すぐに口を開いた。

「聞いてたの?」

「聞こえてきたんです」

「それを聞き耳って言うのよ」

「言いません」

「言います」

「聖子さん」

征さんが、呆れたように口を挟む。

「私にも同じことを言ってましたよね」

「だって二人とも同じなんだもの」

「二人とも」

茂樹先生が額へ手を当てた。

「だから、お客さんの前ですよ」

また、少し笑いそうになった。

本当に、この事務所は。

そう思った、その時。

男性の視線が私へ向いた。

目が合う。

ほんの一瞬だけ。

……あれ?

止まった?

本当に、わずかな間だった。

彼の表情が止まったように見えたのに、次の瞬間には何事もなかったかのように元へ戻っている。

「……?」

何だろう。

私の顔に何かついてる?

眼鏡?

髪?

無意識に頬へ触れそうになった時。

「陸斗」

茂樹先生が呼んだ。

「ちょうどよかった」

男性――陸斗さんは、父親へ視線を移した。

「何がです」

「君にお願いしたい相談があるんだ」

「内容は?」

「それは、ご本人から聞いて」

茂樹先生が私を見る。

「奏さん。紹介します」

そして、ほんの少しだけ楽しそうに笑った。

「息子の澤登陸斗。三十四歳。さっき言った通り、少々愛想はありませんが――」

「父さん」

低い声が遮った。

「余計な紹介はいりません」

「ああ、ほら。こういうところなんですよ」

「所長、本人の前で言うんですね」

征さんが呆れる。

陸斗さんは小さく息を吐き、改めて私を見る。

「澤登陸斗です」

低く、淡々とした声。

私は少しだけ背筋を伸ばした。

「神宮寺奏です。よろしくお願いします」

名前を告げた、その瞬間。

また、ほんのわずかに彼の目が揺れたような気がした。

でも、やっぱり何も言わない。

何なの、この人。



そう思った、その時だった。

事務所の入口が勢いよく開いた。

「あっつ〜! もう堪らん!」

明るい女性の声が、事務所中に響き渡る。

全員がそちらを見ると、大きめのバッグを肩に掛けた女性が、片手で顔を扇ぎながら入ってきた。

「六月でこれって何なの? 外回り殺す気? 湿気まで凄いし、ほんっと堪らん!」

「純さん」

その後ろから、もう一人。

こちらは、ずいぶん落ち着いた雰囲気の若い女性だった。

抱えていたファイルを受付へ置きながら、冷静な声で言う。

「ここ、法律事務所ですよ。声を抑えてください」

「分かってるわよ、愛梨。だから帰ってきたんじゃない」

「意味が分かりません」

最初の女性が、そこで私に気づいた。

「あら」

ぴたりと止まる。

「お客さん?」

「そうですよ」

征さんが答えた。

「先に言ってよ」

「入ってきた瞬間に気づいてください」

「暑くて視界に入らなかったのよ」

……凄い人だ。

そして彼女の視線が、陸斗さんへ移った。

目を丸くする。

「……げっ」

陸斗さんの眉が、ほんのわずかに動いた。

「今、“げっ”と言いました?」

「言った」

堂々としている。

「なぜです」

「だって陸斗、出てきてるじゃん」

「ここは私の勤務先ですが」

「知ってるわよ。でも、いつも奥に籠もってるじゃん」

「仕事をしています」

「はいはい、仕事ね」

この人も陸斗さんを全然怖がっていない。

むしろ、遠慮というものが存在しないらしい。

「純さん」

後ろにいた女性が、小さくため息を吐いた。

「お客様の前です」

「愛梨まで聖子さんみたいなこと言わないでよ」

「常識です」

聖子さんが楽しそうに笑った。

「奏さん。せっかくだから、この二人も紹介しておくわね」

最初の女性が、ようやく姿勢を整える。

「友田純。三十四歳。うちのパラリーガル」

「友田純です。よろしく。入って早々うるさくて、ごめんなさいね」

にこっと笑う。

明るい。

いや、明るいというより、熱い。

何だろう、この人。

「自覚はあるんですね」

征さんが言う。

「征、うるさい」

即座に返す。

続いて、その隣にいた女性へ視線が向いた。

「こっちは立花愛梨。二十七歳。パラリーガルをしながら、事務も手伝ってくれてるの」

愛梨さんが丁寧に頭を下げた。

「立花愛梨です。よろしくお願いします」

「神宮寺奏です。よろしくお願いします」

気づけば、さっきまで知らない人ばかりだったはずなのに、ずいぶんと人数が増えている。

穏やかで聞き上手な所長。

世話焼きで遠慮のない事務員。

真面目そうなのに、しっかりこの空気へ巻き込まれている司法書士。

外から帰ってきた瞬間から「暑い」とうるさい、スポーツ部のような勢いのパラリーガル。

その隣で、何事にも動じなさそうな若いパラリーガル。

そして、一人だけ同じ場所にいるのに、明らかに纏っている空気が違う男。

澤登陸斗。

ちらりと彼を見る。

ちょうど同じタイミングで、向こうもこちらを見ていた。

また目が合う。

今度は、陸斗さんの方が先に視線を外した。

「……?」

何なの、この人。



「では」

陸斗さんが近くの椅子を引いた。

たったそれだけで、さっきまでの賑やかな空気が少しだけ仕事のものへ切り替わる。

無駄のない動きで腰を下ろし、手元にメモを置いた。

「正式な相談になったのであれば、改めて内容を伺います」

さっきまでとは違う。

完全に、弁護士の顔だ。

陸斗さんは私を見る。

「神宮寺さん」

「はい」

「最初から話してください」

「…………」

私は口を開きかけて、止まった。

また?

さっき、結構な時間をかけて全部話したんだけど。

思わず茂樹先生を見ると、少し申し訳なさそうに笑っている。

聖子さんは明らかに笑いを堪え、征さんはそっと視線を逸らした。

純さんに至っては、何か面白いものを見つけたみたいな顔をしていて、愛梨さんだけが静かにファイルを開いている。

そして目の前には、何の悪気もなさそうな無表情の敏腕弁護士。

……なるほど。

無愛想。

愛想がない。

難儀。

さっきまで三人が言っていた意味を、私はほんの少しだけ理解した気がした。
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