薔薇色って何色?――ロト7で人生をやり直すはずが、敏腕弁護士の執着愛に捕まりました――
でも、そこから先はなぜか二人とも随分話した。
十六年前のこと。
図書館のこと。
陸斗さんが本当にダイエットした話。
「最初はかなりきつかったです」
「でしょうね」
「奏に言われましたから」
「十二歳の子どもの言うこと、そこまで真に受けます?」
「俺には重要でした」
そんな話をして、笑って。
家族の濃さについて。
私の田舎暮らし計画について。
「全部が終わったら、田舎へ逃げようと思ってました」
「無理でしょう」
「何で即答なんですか!」
「俺も行きます」
「ほら!」
また笑った。
そして最初に思っていたより、随分お酒も進んでいた。
ただ、意識がなくなるほど飲んだわけじゃない。
緊張が解けて、普段なら言わないようなことまで少しずつ口から出るようになっただけ。
「陸斗さん」
「はい」
「私、多分……怖いんですよ」
「何がですか?」
グラスを見つめながら、私は少し考えた。
「幸せになるのが」
自分で言って、妙だと思った。
でも、それが一番近い。
「今まで、何か良いことがあると、そのあと全部なくなったから」
両親。
会社。
友人。
恋人。
信じていたもの。
手にしたと思えば、気づいた時にはなくなっていた。
だから、何も望まなければ失わなくて済むと思った。
田舎で誰にも深く関わらず、静かに生きる。それなら、もう二度と大切なものを失わなくて済む。
「だから結婚って言われても……」
言葉に詰まる。
すると、陸斗さんは少しの間を置いてから言った。
「だったら、一人で怖がらないでください」
顔を上げる。
「なくならないと約束します、と言っても。奏は信じないでしょう」
「……たぶん」
「だから、約束だけではなく、これから証明します」
真っ直ぐな目。
十六年前、私が『目も嘘つかなそう』と言った目。
本当に、変わっていない。
「俺は逃げません」
その一言が、胸の奥へ静かに入ってきた。
「奏が逃げても追いかけます」
「そこは追いかけなくていいです」
「無理です」
「ですよね」
思わず笑った。
でも、目の奥が少しだけ熱かった。
「……本当に私でいいんですか?」
気づけば、そんなことを聞いていた。
陸斗さんは、一秒も迷わなかった。
「奏がいい」
あまりにも早い。
それがおかしくて。
でも、嬉しくて。
私は左手をテーブルの上へ置いた。
「じゃあ、陸斗さん」
「はい」
「私を本当に幸せにするっていうなら――ちゃんと証明してください」
少しだけ笑って、その目を真っ直ぐ見つめる。
「一生かけて」
「分かりました」
その返事も早かった。
そして、いつの間に用意していたのか、陸斗さんが小さなケースを取り出した。
「……持ってたんですか」
「もちろん」
「断られる気、本当になかったんですね」
「ありませんでした」
「すごいですね、その自信」
でも私は笑いながら、差し出された指輪を見た。
そして、しばらく迷ったあと。
自分から左手を伸ばした。
「……お願いします」
それが、私の返事だった。
◇
そこまでは、かなり鮮明に覚えている。
問題は、その先だった。
レストランを出て、エレベーターへ乗った。私は指輪を何度も見ていて、陸斗さんがそんな私を見て笑っていた。
それから部屋へ行った。
そこも覚えている。
『今日はこのまま帰った方がいいですね』
陸斗さんが、そう言った。
確かに言った。
なのに私は、陸斗さんの腕を掴んだ。
『帰らないで』
――そう言った。
たぶん。
いや、言った。
そこから先は、記憶が少しずつ飛び飛びだった。
◇
目が覚めた時、朝だった。
「…………」
ぼんやりと天井を見る。
知らない。
ここ、どこ。
見慣れない装飾。大きな窓。薄いカーテンの隙間から、柔らかな朝日が差し込んでいる。
どう見ても、私の部屋じゃない。
「……ホテル?」
掠れた声で呟き、ゆっくり横を向いた。
「…………」
人がいる。
しかも、見覚えがある。
というか、ありすぎる。
「……陸斗、さん?」
寝ている。
私の隣で、ものすごく普通に。
一瞬、頭が止まった。
次の瞬間。
「ええええええええっ――!」
叫びそうになった口を、両手で必死に押さえる。
待って。
何で?
何で陸斗さんがここにいるの!?
いや、昨日一緒に食事した。
そこは覚えてる。
ホテルの最上階のレストラン。
プロポーズ。
指輪。
話。
お酒。
エレベーター。
ホテルの部屋。
……部屋。
「…………」
そこから記憶が極端に怪しい。
恐る恐るもう一度隣を見る。
そして、気づいた。
「…………裸?」
少なくとも、上半身。
裸。
「…………」
待って。
待って。
待って待って待って。
じゃあ、私は?
恐る恐る自分の身体へ視線を落とす。
「…………マジかぁ」
思わず小声が漏れた。
頭の中で警報が鳴り始める。
何があった。
昨日、何をした。
どこまで飲んだ。
どこから記憶が飛んでいる。
必死に思い出そうとすると、断片だけが妙に鮮明に浮かんでくる。
陸斗さんが笑っていた。
私が腕を掴んだ。
『帰らないで』
近い顔。
触れた手。
キス。
「いやいやいやいや!」
私は頭に浮かんだ記憶を、両手で追い払った。
違う。
待って。
それ以上、今、思い出さなくていい。
お願いだから。
脳。
余計な仕事しないで。
ぶんぶんと手を振っていた、その時。
「ふっ……」
隣から、小さな笑い声が聞こえた。
「…………」
ゆっくり振り向く。
陸斗さんが起きていた。
枕へ頭を預けたまま、目を細めて私を見ている。
笑ってる。
完全に。
「……いつから起きてたんですか」
「少し前から」
「少し前っていつですか!」
「奏が一人で頭を抱えて、何かを振り払っていた辺りから」
「最悪!」
見られてた!
私は布団を引き上げ、そのまま顔まで隠そうとした。
その瞬間、左手が目に入った。
「…………ん?」
左手。
薬指。
そこに何かが光っている。
私はゆっくり手を持ち上げた。
指輪。
ある。
左の薬指に。
「…………待って」
陸斗さんを見る。
もう一度、指輪を見る。
また陸斗さんを見る。
「待って待って待って待って!」
今度は我慢出来なかった。
「何これええええええええっ!」
朝の静かなホテルの一室へ、私の声が響いた。
隣で陸斗さんが笑う。
「朝から元気ですね、奏」
「元気とかそういう問題じゃないです!」
私は左手を突き出した。
「これ! 何ですか!」
「指輪です」
「見れば分かります!」
「婚約指輪ですね」
「それも分かります!」
いや。
待って。
そこは思い出せる。
私、受け取った。
自分で、ちゃんと。
でも朝になって改めて見ると、現実感がまるでない。
「ちょっと待ってください。私、本当に受け取ったんですよね?」
「はい」
「ちゃんと返事しました?」
「しました」
「酔った勢いじゃなく?」
「その時点では、かなり普通でしたよ」
「…………」
ああ。
そうだった。
『……お願いします』
言った。
私。
言ったわ。
そこを思い出しただけでも、顔が熱くなる。
だけど、問題はその先。
私はちらりと隣を見る。
裸。
何度見ても、裸。
恐る恐る聞いた。
「……あの」
「はい」
「昨日……私たち……」
そこまで言った瞬間、陸斗さんの表情が少しだけ変わった。
「何も覚えていないんですか?」
「断片的には……」
「どこまでです?」
「それ聞きます?」
「重要です」
「何でですか!」
陸斗さんは少し考えてから、落ち着いた声で言った。
「少なくとも、奏が嫌がることは何もしていません」
「…………」
私は固まった。
「その言い方」
「はい」
「何かあった言い方ですよね?」
「ありましたね」
「待ってえええええええ!」
私は頭を抱えた。
「じゃあ何で“少なくとも”って言ったんですか!」
「事実だからです」
「もっと別の言い方あるでしょう!」
陸斗さんは少し笑う。
「俺は一度、帰ろうとしました」
「…………」
嫌な記憶が戻ってきた。
『帰らないで』
「それで」
「待って」
「はい」
「そこから先、ゆっくりお願いします」
「分かりました」
陸斗さんは、ものすごく真面目な顔で続ける。
「奏が俺を引き止めました。そのあとも、何度か確認しました」
その言葉で、少しずつ記憶が戻ってきた。
近い顔。
触れた手。
『本当に、私でいいんですか?』
『奏がいい』
それから。
『嫌なら止めます』
そう。
陸斗さんは、ちゃんと聞いた。
その記憶だけは、はっきり戻ってきた。
そして私は、自分の意思で首を振った。
「…………」
待って。
全部、自分でちゃんと分かってた。
「……最悪」
思わず呟く。
「何がです?」
「私がです」
「俺は嬉しかったですけど」
「言わなくていいです!」
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
私は布団へ顔を埋めた。
でも、まだ一つ気になることがある。
「じゃあ」
顔だけ出す。
「何で裸なんですか」
「シャツに酒をこぼされたので」
「誰に?」
「奏に」
「…………」
私か。
「そのあと、着替える前に――」
「もういいです!」
「聞いたのは奏でしょう」
「質問以上のことまで答えなくていいんです!」
朝から情報量が多すぎる。
十六年前のこと。
図書館のこと。
陸斗さんが本当にダイエットした話。
「最初はかなりきつかったです」
「でしょうね」
「奏に言われましたから」
「十二歳の子どもの言うこと、そこまで真に受けます?」
「俺には重要でした」
そんな話をして、笑って。
家族の濃さについて。
私の田舎暮らし計画について。
「全部が終わったら、田舎へ逃げようと思ってました」
「無理でしょう」
「何で即答なんですか!」
「俺も行きます」
「ほら!」
また笑った。
そして最初に思っていたより、随分お酒も進んでいた。
ただ、意識がなくなるほど飲んだわけじゃない。
緊張が解けて、普段なら言わないようなことまで少しずつ口から出るようになっただけ。
「陸斗さん」
「はい」
「私、多分……怖いんですよ」
「何がですか?」
グラスを見つめながら、私は少し考えた。
「幸せになるのが」
自分で言って、妙だと思った。
でも、それが一番近い。
「今まで、何か良いことがあると、そのあと全部なくなったから」
両親。
会社。
友人。
恋人。
信じていたもの。
手にしたと思えば、気づいた時にはなくなっていた。
だから、何も望まなければ失わなくて済むと思った。
田舎で誰にも深く関わらず、静かに生きる。それなら、もう二度と大切なものを失わなくて済む。
「だから結婚って言われても……」
言葉に詰まる。
すると、陸斗さんは少しの間を置いてから言った。
「だったら、一人で怖がらないでください」
顔を上げる。
「なくならないと約束します、と言っても。奏は信じないでしょう」
「……たぶん」
「だから、約束だけではなく、これから証明します」
真っ直ぐな目。
十六年前、私が『目も嘘つかなそう』と言った目。
本当に、変わっていない。
「俺は逃げません」
その一言が、胸の奥へ静かに入ってきた。
「奏が逃げても追いかけます」
「そこは追いかけなくていいです」
「無理です」
「ですよね」
思わず笑った。
でも、目の奥が少しだけ熱かった。
「……本当に私でいいんですか?」
気づけば、そんなことを聞いていた。
陸斗さんは、一秒も迷わなかった。
「奏がいい」
あまりにも早い。
それがおかしくて。
でも、嬉しくて。
私は左手をテーブルの上へ置いた。
「じゃあ、陸斗さん」
「はい」
「私を本当に幸せにするっていうなら――ちゃんと証明してください」
少しだけ笑って、その目を真っ直ぐ見つめる。
「一生かけて」
「分かりました」
その返事も早かった。
そして、いつの間に用意していたのか、陸斗さんが小さなケースを取り出した。
「……持ってたんですか」
「もちろん」
「断られる気、本当になかったんですね」
「ありませんでした」
「すごいですね、その自信」
でも私は笑いながら、差し出された指輪を見た。
そして、しばらく迷ったあと。
自分から左手を伸ばした。
「……お願いします」
それが、私の返事だった。
◇
そこまでは、かなり鮮明に覚えている。
問題は、その先だった。
レストランを出て、エレベーターへ乗った。私は指輪を何度も見ていて、陸斗さんがそんな私を見て笑っていた。
それから部屋へ行った。
そこも覚えている。
『今日はこのまま帰った方がいいですね』
陸斗さんが、そう言った。
確かに言った。
なのに私は、陸斗さんの腕を掴んだ。
『帰らないで』
――そう言った。
たぶん。
いや、言った。
そこから先は、記憶が少しずつ飛び飛びだった。
◇
目が覚めた時、朝だった。
「…………」
ぼんやりと天井を見る。
知らない。
ここ、どこ。
見慣れない装飾。大きな窓。薄いカーテンの隙間から、柔らかな朝日が差し込んでいる。
どう見ても、私の部屋じゃない。
「……ホテル?」
掠れた声で呟き、ゆっくり横を向いた。
「…………」
人がいる。
しかも、見覚えがある。
というか、ありすぎる。
「……陸斗、さん?」
寝ている。
私の隣で、ものすごく普通に。
一瞬、頭が止まった。
次の瞬間。
「ええええええええっ――!」
叫びそうになった口を、両手で必死に押さえる。
待って。
何で?
何で陸斗さんがここにいるの!?
いや、昨日一緒に食事した。
そこは覚えてる。
ホテルの最上階のレストラン。
プロポーズ。
指輪。
話。
お酒。
エレベーター。
ホテルの部屋。
……部屋。
「…………」
そこから記憶が極端に怪しい。
恐る恐るもう一度隣を見る。
そして、気づいた。
「…………裸?」
少なくとも、上半身。
裸。
「…………」
待って。
待って。
待って待って待って。
じゃあ、私は?
恐る恐る自分の身体へ視線を落とす。
「…………マジかぁ」
思わず小声が漏れた。
頭の中で警報が鳴り始める。
何があった。
昨日、何をした。
どこまで飲んだ。
どこから記憶が飛んでいる。
必死に思い出そうとすると、断片だけが妙に鮮明に浮かんでくる。
陸斗さんが笑っていた。
私が腕を掴んだ。
『帰らないで』
近い顔。
触れた手。
キス。
「いやいやいやいや!」
私は頭に浮かんだ記憶を、両手で追い払った。
違う。
待って。
それ以上、今、思い出さなくていい。
お願いだから。
脳。
余計な仕事しないで。
ぶんぶんと手を振っていた、その時。
「ふっ……」
隣から、小さな笑い声が聞こえた。
「…………」
ゆっくり振り向く。
陸斗さんが起きていた。
枕へ頭を預けたまま、目を細めて私を見ている。
笑ってる。
完全に。
「……いつから起きてたんですか」
「少し前から」
「少し前っていつですか!」
「奏が一人で頭を抱えて、何かを振り払っていた辺りから」
「最悪!」
見られてた!
私は布団を引き上げ、そのまま顔まで隠そうとした。
その瞬間、左手が目に入った。
「…………ん?」
左手。
薬指。
そこに何かが光っている。
私はゆっくり手を持ち上げた。
指輪。
ある。
左の薬指に。
「…………待って」
陸斗さんを見る。
もう一度、指輪を見る。
また陸斗さんを見る。
「待って待って待って待って!」
今度は我慢出来なかった。
「何これええええええええっ!」
朝の静かなホテルの一室へ、私の声が響いた。
隣で陸斗さんが笑う。
「朝から元気ですね、奏」
「元気とかそういう問題じゃないです!」
私は左手を突き出した。
「これ! 何ですか!」
「指輪です」
「見れば分かります!」
「婚約指輪ですね」
「それも分かります!」
いや。
待って。
そこは思い出せる。
私、受け取った。
自分で、ちゃんと。
でも朝になって改めて見ると、現実感がまるでない。
「ちょっと待ってください。私、本当に受け取ったんですよね?」
「はい」
「ちゃんと返事しました?」
「しました」
「酔った勢いじゃなく?」
「その時点では、かなり普通でしたよ」
「…………」
ああ。
そうだった。
『……お願いします』
言った。
私。
言ったわ。
そこを思い出しただけでも、顔が熱くなる。
だけど、問題はその先。
私はちらりと隣を見る。
裸。
何度見ても、裸。
恐る恐る聞いた。
「……あの」
「はい」
「昨日……私たち……」
そこまで言った瞬間、陸斗さんの表情が少しだけ変わった。
「何も覚えていないんですか?」
「断片的には……」
「どこまでです?」
「それ聞きます?」
「重要です」
「何でですか!」
陸斗さんは少し考えてから、落ち着いた声で言った。
「少なくとも、奏が嫌がることは何もしていません」
「…………」
私は固まった。
「その言い方」
「はい」
「何かあった言い方ですよね?」
「ありましたね」
「待ってえええええええ!」
私は頭を抱えた。
「じゃあ何で“少なくとも”って言ったんですか!」
「事実だからです」
「もっと別の言い方あるでしょう!」
陸斗さんは少し笑う。
「俺は一度、帰ろうとしました」
「…………」
嫌な記憶が戻ってきた。
『帰らないで』
「それで」
「待って」
「はい」
「そこから先、ゆっくりお願いします」
「分かりました」
陸斗さんは、ものすごく真面目な顔で続ける。
「奏が俺を引き止めました。そのあとも、何度か確認しました」
その言葉で、少しずつ記憶が戻ってきた。
近い顔。
触れた手。
『本当に、私でいいんですか?』
『奏がいい』
それから。
『嫌なら止めます』
そう。
陸斗さんは、ちゃんと聞いた。
その記憶だけは、はっきり戻ってきた。
そして私は、自分の意思で首を振った。
「…………」
待って。
全部、自分でちゃんと分かってた。
「……最悪」
思わず呟く。
「何がです?」
「私がです」
「俺は嬉しかったですけど」
「言わなくていいです!」
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
私は布団へ顔を埋めた。
でも、まだ一つ気になることがある。
「じゃあ」
顔だけ出す。
「何で裸なんですか」
「シャツに酒をこぼされたので」
「誰に?」
「奏に」
「…………」
私か。
「そのあと、着替える前に――」
「もういいです!」
「聞いたのは奏でしょう」
「質問以上のことまで答えなくていいんです!」
朝から情報量が多すぎる。