薔薇色って何色?――ロト7で人生をやり直すはずが、敏腕弁護士の執着愛に捕まりました――
私はソファへ腰を下ろし、ようやく深く息を吐いてから口を開いた。

「明日は帰ります」

「東京へ?」

「はい。ちゃんと帰ります」

陸斗さんが、念を押すように私を見る。

「途中で何処かへ行ったりしません?」

「しません!」

「北海道からさらに北とか」

「何処まで行くんですか!」

「海外とか」

「行きませんって!」

そこまで疑われる筋合いはない、と言いたいところだけれど、静岡から突然北海道まで飛んできた私には、あまり強く言い返せる立場でもない。

私は小さく息を吐き、自分のお腹へそっと手を当てた。

まだ見た目は何も変わっていない。膨らんでもいないし、動くわけでもない。

それでも昨日、モニターには確かに三つの命が映っていた。

「帰ってから、それからどうするか考えましょう。病院も、仕事も……三人のことも」

「そうですね」

陸斗さんも深く息を吐き、ソファの背もたれへ身体を預ける。

「今は考えるのをやめましょう」

「……陸斗さんが、それ言うんですね」

「奏も昨日から色々ありすぎたでしょう」

「陸斗さんに言われたくないですけどね」

「それはそうですね」

珍しく素直に認めたのがおかしくて、少しだけ笑った。

そのあと、しばらく誰も何も言わなかった。

窓の向こうには、東京よりずっと広く見える北海道の空が広がっている。

昨日の朝まで、私は静岡へ両親のお墓参りに行くだけのつもりだった。それなのに、妊娠検査薬の二本線を見た瞬間から予定は全部崩れた。

妊娠しているかもしれない。

その事実をどう受け止めればいいのか分からず、両親のお墓へ行っても答えは出なくて、それでも一人では抱えきれずに恵麻へ電話をした。

そして気づけば北海道まで来ていた。

今日の朝には、陸斗さんが来ると知っただけでまた怖くなり、今度は本当に走って逃げた。

自分でも、ここまで逃げるとは思っていなかった。

そんな私の隣で、陸斗さんがぽつりと口を開いた。

「奏が無事で、明日ちゃんと帰るって分かったので……安心しました」

その声は、これまで聞いたことがないくらい疲れていた。

「寝ます」

「え?」

そう言った直後、陸斗さんは目を閉じた。

「……陸斗さん?」

返事がない。

「え、本当に?」

そっと顔を覗き込むと、本当に眠っていた。

昨日からほとんど眠らず、私と連絡がつかないと周囲を巻き込み、九州から北海道まで飛んできた。ようやく私を見つけたと思ったら妊娠を知らされ、さらに三つ子だと聞いて本当に倒れた。

そして最後には、私が「明日は東京へ帰る」と言っただけで、安心したように完全に電池が切れた。

私はしばらく、その無防備な寝顔を眺めていた。

いつもの陸斗さんなら、何を言っても動じない。私が逃げようとすれば先回りして逃げ道を塞ぎ、どこか余裕のある顔で私をからかう。

そんな人が、今は何も取り繕わず、ただ疲れ切って眠っている。

その顔を見ているうちに、昨日からずっと胸の中にあったものが、少しずつ形を変えていくのを感じた。

きっと、この人も怖かったんだ。

ずっと忘れられなかった人を、ようやく見つけた。

その私が突然、何処にいるのか分からなくなった。電話にも出ない。LINEにも反応しない。位置情報まで静岡で止まっている。

また失うんじゃないか。

また、いなくなるんじゃないか。

きっと本気で、そう思ったんだろう。

だからって、やりすぎだけど。

「……本当に、不器用なんだから」

小さく呟いても、当然返事はない。

私は視線を落とし、もう一度自分のお腹へ手を添えた。

昨日までは、一人でどうしたらいいのか全然分からなかった。

検査薬に出た二本の線が怖かった。

妊娠していることも、それを陸斗さんへ伝えることも、その瞬間から今までとは違う人生が始まることも、全部怖かった。

そして、三つ子だと聞いた時には、その怖さがさらに大きくなった。

一人じゃない。

二人でもない。

三人。

私のお腹の中に、三つの命がいる。

嬉しくないわけじゃない。

多分、嬉しい。

でも、それだけじゃない。

怖いし、不安だし、自信なんて全然ない。

だから私は逃げた。

昨日は北海道まで。

今朝は陸斗さんから。

それなのに今、こうして隣で眠っている陸斗さんを見ていると、不思議と少しだけ思う。

明日から何が変わるのかは、まだ分からない。

仕事をどうするのか、病院を何処にするのか、三人をどう迎えるのか。私たちがこれからどんな家族になっていくのかも、何一つ決まっていない。

でも昨日までとは違って、一つだけ分かり始めたことがある。

私はもう、一人で全部の答えを出さなくてもいい。

誰かに全部決めてもらうという意味ではない。

怖いから、誰かの後ろへ隠れるという意味でもない。

自分で考えて、自分で決める。

それでも分からない時には、この人と一緒に考えればいい。

そう思えるだけで、胸の奥にあった怖さが、ほんの少しだけ軽くなった。

「……おやすみなさい、陸斗さん」

眠っている陸斗さんから返事はない。

私は少しだけ笑い、もう一度お腹へ手を当てた。

――完全確保。

確かに、されたのかもしれない。

逃げた先まで追いかけてこられて、隠れ家的なカフェまで見つけられて、とうとう完全に捕まった。

でも、捕まったのは私だけじゃない。

ずっと私を追い続けてきた陸斗さんも。

そして、まだ会ったこともない、ここにいる三人も。

もう同じ未来の中にいる。

そう考えると、妊娠も三つ子も、これから先の生活も、相変わらず怖いし不安なのに、その全部が少しだけ違って見えた。

東京へ帰れば、きっと考えなくてはいけないことが山ほどある。

病院のこと。

仕事のこと。

三人のこと。

陸斗さんとのこと。

それでも、その全部を一人で抱えなくてもいいのなら、少しくらいは前を向けるかもしれない。

昨日までの私なら、きっとこの先は何処へ逃げようと考えていた。

でも今は、逃げ道を探そうとは思わなかった。

もう二度と逃げない、なんてまだ言えない。私は多分、これからも怖くなれば逃げたくなる。

でも少なくとも今は、逃げたいとは思わない。

明日、東京へ帰ろう。

陸斗さんと。

そして、ここにいる三人と。

その先のことは、帰ってから一つずつ考えればいい。

今度は一人で答えを出そうとせず、この人と一緒に。

そう思いながら、私はもう一度、眠っている陸斗さんの横顔を見つめた。

そして今度は、逃げ道ではなく。

東京へ帰ったあとの未来を考えた。
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