十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第11話 あと1週間

第11話 あと一週間
神崎さんたちの結婚式まで、あと一週間。
ここまで来ると、婚礼部だけが忙しいわけじゃない。
宴会部。
営業部。
料飲。
クローク。
宿泊。
警備。
ホテルのあちこちで、神崎家の名前を聞くようになった。
「水野主任、VIP控室の最終確認お願いします」
「あとで見る」
「料理長からアレルギー対応の最新版来てます」
「机に置いといて」
「新婦側ご親族の宿泊、一室追加です」
「宿泊部には?」
「共有済みです」
「じゃあOK」
朝からずっとこんな調子だ。
気づけば昼。
そして気づけば夕方。
一ノ瀬くんのことを変に意識していた昨日が、少し遠く感じるくらいには忙しかった。
「水野主任」
また呼ばれた。
「今度はなに?」
顔を上げる。
一ノ瀬くんだった。
「その言い方、俺が質問しに来たみたいじゃないですか」
「違うの?」
「今日は確認だけです」
一枚の資料を差し出される。
「神崎様側の招待客で、車椅子を利用される方が一名いらっしゃるそうです」
「当日?」
「はい。ご家族と一緒に来館予定です」
私は資料を見る。
「入口は?」
「東側を使おうと思ってます」
「理由は?」
「正面より段差が少ないのと、エレベーターまでの距離が短いからです」
「クロークは?」
「東側にもスタッフ一人出てもらえるよう確認済みです」
「宴会部?」
「導線確認済みです」
「席は?」
「通路側に変更しました。隣のテーブルとの間隔も少し広げてもらってます」
思わず顔を上げた。
「……一ノ瀬くん」
「はい?」
「これ、自分で考えた?」
「そうですけど」
「全部?」
「一応」
資料を見る。
問題ない。
というより、ほとんど直すところがない。
「やればできるじゃん」
「何ですか、その上から目線」
「主任だから」
「誰に教わったと思ってるんですか」
一瞬。
言葉に詰まった。
「……私?」
「他に誰がいるんです?」
一ノ瀬くんが当然のように言う。
「前に導線の話も、ゲストごとに必要な対応が違うって話も聞いたじゃないですか」
「覚えてたんだ」
「だから同じこと二回聞くの嫌なんですって」
少し得意そうに笑う。
なんだか。
嬉しかった。
最初は、何かあるたびに聞きに来ていた。
「水野主任、これどうすればいいですか?」
「これって何です?」
「婚礼だとどう考えるんです?」
質問ばかり。
でも今は。
自分で考えて。
自分で確認して。
最後に私へ見せに来る。
「ここだけ」
資料を指す。
「当日もし雨だったら、東側入口まで車寄せできない可能性あるから、正面入口の予備導線も作っといて」
「ああ、なるほど」
「警備にも共有」
「了解です」
一ノ瀬くんがスマートフォンにメモをする。
「助かります」
「それ以外は大丈夫」
「よし」
「嬉しそうだね」
「一発OKだったんで」
「一個直したけど」
「ほぼ一発OKです」
「都合いいなぁ」
笑う。
「じゃあ戻ります」
「うん」
一ノ瀬くんが事務所を出ていく。
私はもう一度資料を見る。
ちゃんとできてる。
教えたことを覚えてる。
それだけなのに。
少しだけ誇らしいような気持ちになる。
「主任」
隣の後輩がこちらを見る。
「なに?」
「今、すごい先生みたいな顔してましたよ」
「は?」
「教え子が成長した、みたいな」
「してない」
「してました」
「仕事して」
「はーい」
私は資料を閉じた。
教え子。
そういう感じなのかな。
十歳下。
二年目。
確かに、そう考えれば近い。
……近い?
何を考えてるんだろう。
私は首を振って、次の仕事へ戻った。
夜。
時計は二十時五十三分。
婚礼部の事務所には、私一人だけが残っていた。
明日の最終打ち合わせ用の資料。
当日のスタッフ配置。
進行表。
あと一週間。
少しでも不安なところは消しておきたい。
「やっぱりいる」
声がした。
顔を上げる。
「……一ノ瀬くん」
「お疲れさまです」
「なんでまだいるの?」
「営業の仕事終わったんで」
「じゃあ帰りなよ」
「嫌です」
「なんで?」
一ノ瀬くんが私の向かいに座る。
「一人でやるより、二人の方が早いって前に分かったんで」
思わず笑った。
「今日はもう営業の仕事ないでしょ?」
「ないですよ」
「じゃあ手伝う理由ないじゃん」
「理由いります?」
「普通いるでしょ」
「じゃあ」
少し考える。
「早く終わらせて帰りたいから」
「私が?」
「俺も」
「勝手に残ったの一ノ瀬くんじゃん」
「細かいなぁ」
結局、また一緒に作業を始めた。
「これ、クローク確認済み?」
「はい」
「宿泊部は?」
「それ俺やります」
「じゃあお願い」
「了解です」
前よりずっと早い。
説明することが減った。
一ノ瀬くんが自分で判断できることが増えたから。
「水野主任」
「ん?」
「ここ、VIP到着と親族写真の時間被ってますけど」
「そこ営業側で対応できる?」
「できます。俺ともう一人出します」
「じゃあお願い」
「はい」
自然に役割が分かれる。
私が言わなくても、一ノ瀬くんが必要なところを拾う。
一緒に仕事をしていて。
楽だ。
それ以上に。
楽しい。
「水野主任」
「なに?」
「さっきからニヤニヤしてません?」
「してない」
「してましたよ」
「してないって」
「何かいいことありました?」
「ない」
「じゃあ俺が仕事できるようになったから?」
「……」
「当たり?」
「調子乗らないで」
「図星だ」
笑う。
「でも」
一ノ瀬くんが少しだけ真面目な顔になった。
「ありがとうございます」
「何が?」
「色々教えてくれて」
「急にどうしたの」
「いや。今回終わったら、こうやって婚礼の仕事することも減ると思うんで」
手が止まった。
「……そうだね」
神崎さんたちの案件が終われば。
一ノ瀬くんは営業部へ戻る。
もちろん今までも営業部だった。
ただ、この三ヶ月半は毎日のように婚礼部へ来ていた。
メールが飛んでくる。
質問しに来る。
一緒に打ち合わせへ行く。
たまにご飯を食べる。
遅くまで残る。
それが。
終わる。
「水野主任?」
「なに?」
「今、ちょっと寂しそうでした?」
「は?」
「違いました?」
「違う」
「即答」
「仕事が楽になるなって思っただけ」
「ひど」
「質問減るし」
「それは確かに」
笑っている。
私は画面へ視線を戻した。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「結婚式、楽しみ?」
「神崎さんたちの?」
「うん」
一ノ瀬くんは少し考えてから頷いた。
「楽しみですよ」
「そっか」
「水野主任が作った結婚式、ちゃんと見たいです」
指が止まる。
「……私だけで作ってるわけじゃないよ」
「分かってます」
一ノ瀬くんが進行表を見る。
「でも俺にとっては、水野主任に教えてもらいながら初めて最後まで関わった結婚式なんで」
「……」
「どうなるのか、ちゃんと見たいです」
真っ直ぐな声だった。
それだけ。
仕事の話。
なのに。
少しだけ胸の奥が温かくなる。
「成功させないとね」
「絶対成功しますよ」
「なんで言い切れるの」
「水野主任いるんで」
「またそれ」
「信用してるんですよ」
「プレッシャーかけないで」
「じゃあ俺もいます」
「……それは」
思わず笑う。
「ちょっと安心かも」
一ノ瀬くんが目を丸くした。
「今、結構いいこと言いました?」
「言ってない」
「いや、言いましたよ」
「仕事しよ」
「誤魔化した」
「あと一週間しかないよ」
「一週間ある、でしょ?」
聞いたことのある言葉。
「……それ、私の真似?」
「便利なんで」
「何でも使うね」
「水野主任から学んでますから」
「私そんなこと教えてない」
二人で笑った。
作業が終わったのは二十一時四十分。
思っていたより早かった。
「じゃあ、お疲れさまでした」
「うん。お疲れ」
エレベーターの前で別れる。
一ノ瀬くんが営業部側の出口へ歩いていく。
その背中を見送りながら。
さっきの言葉が頭に残った。
『今回終わったら、こうやって婚礼の仕事することも減ると思うんで』
あと一週間。
結婚式が終われば。
この忙しさも終わる。
毎日のように一ノ瀬くんが婚礼部へ来る理由も。
たぶんなくなる。
「……そっか」
一人で呟く。
少し前なら。
楽になると思ったはずなのに。
なぜだろう。
今は。
それを少しだけ寂しいと思った。

ホテルを出る。
夜の丸の内は、昼間とは違って少し静かだった。
駅へ向かう人たちの間を歩きながら、私はコートのポケットに手を入れる。
あと一週間。
神崎さんたちの結婚式が終われば。
一ノ瀬くんが毎日のように婚礼部へ来ることもなくなる。
質問されることも。
メールが飛んでくることも。
こうして一緒に残業することも。
「……静かになるな」
楽になる、じゃなくて。
最初に出てきたのが、その言葉だった。
そのとき。
コートのポケットの中で、スマートフォンが震えた。
取り出して画面を見る。
新着メール。
差出人――一ノ瀬 悠。
「……」
また仕事の連絡かな。
メールを開く。
件名:明日の確認について
水野主任
お疲れさまです。一ノ瀬です。
今日はありがとうございました。
明日、例の車椅子の件だけ確認お願いします。
警備には朝一で俺から共有しておきます。
よろしくお願いします。
営業部 一ノ瀬 悠
「……真面目」
仕事のメールは、本当にちゃんとしている。
昼間あれだけ軽口を叩いていた人と同じとは思えない。
歩きながら返信する。
件名:Re:明日の確認について
一ノ瀬くん
お疲れさまです。水野です。
了解しました。
こちらでも確認しておきます。
今日は手伝ってくれてありがとう。
お疲れさまでした。
水野
送信。
スマートフォンを閉じようとした、そのとき。
もう一度通知が鳴った。
早い。
件名:Re:明日の確認について
水野主任
お疲れさまです。
いえ、俺が勝手に残っただけなんで。
主任もちゃんと晩飯食ってくださいね。
お疲れさまでした。
一ノ瀬
「……余計なお世話」
そう呟きながら。
少しだけ笑ってしまう。
まただ。
一ノ瀬くんからのメールを見て、笑ってる。
昨日もそうだった。
今日も。
ほんの数日前までは。
一ノ瀬くんからメールが来れば、また質問かな、と思っていたのに。
今は。
画面に名前が表示されると、少しだけ気になる。
何が書いてあるんだろうって。
すぐに開いてしまう。
「……」
スマートフォンをコートのポケットに戻す。
駅へ向かって、また歩き出す。
あと一週間。
たった一週間。
結婚式が終わったら。
一ノ瀬くんは営業部の仕事に戻る。
私は婚礼部で、次の結婚式の準備を始める。
それだけ。
元に戻るだけだ。
なのに。
結婚式が終わったあとのことを考えると。
胸の奥に、小さな穴が空くような気がした。
「……変なの」
忙しいから。
この三ヶ月半、ずっと一緒に仕事をしてきたから。
毎日のように顔を合わせて。
毎日のように質問されて。
メールが来て。
たまに一緒にご飯を食べて。
残業まで一緒にして。
それが急になくなるから。
きっと、それだけ。
私はそう思うことにした。
……私。
この三ヶ月半で。
一ノ瀬くんがいる毎日に、
慣れすぎたのかもしれない。
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