十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第18話 休日の顔

第18話 休日の顔
目が覚めた。
「……」
しばらく。
天井を見つめる。
頭が重い。
喉が渇いている。
そして。
身体がまったく動きたくない。
「……何時」
枕元のスマートフォンを手探りで取る。
画面を見る。
十一時三十八分。
「……最悪」
久しぶりにこんな時間まで寝た。
というか。
昨日、何時に寝たんだっけ。
ゆっくり身体を起こす。
頭がずきっと痛んだ。
「うぅ……」
完全に飲みすぎた。
昨日の記憶を。
少しずつ辿る。
打ち上げ。
婚礼部のみんな。
遅れてきた一ノ瀬くん。
彼女がいるとか、いないとか。
好きな人は秘密とか。
写真を見て。
ワインを飲んで。
それから。
店を出て。
「……」
一ノ瀬くんに送ってもらった。
タクシーに乗った。
住所を聞かれた。
レジデンス・ルミエール月島。
そして。
『俺もそこ住んでます』
「…………」
一気に目が覚めた。
そうだ。
同じマンション。
一ノ瀬くんと。
同じマンションだった。
しかも。
八階。
私は十二階。
たった四階。
「……嘘でしょ」
昨日も同じことを言った気がする。
布団へ倒れ込む。
枕に顔を埋めた。
まだある。
思い出したくない記憶が。
エントランスで。
一ノ瀬くんに支えられて。
『離しますよ?』
『……それはダメ』
「…………」
何言ってるの。
私。
「最悪……」
枕を頭まで被る。
酔ってた。
完全に酔ってた。
だから。
仕方ない。
仕方ないけど。
相手は一ノ瀬くんだ。
会社の後輩。
十歳下。
しかも。
四階下。
「……」
四階下。
その事実が。
昨日より妙に現実味を持っている。
私は布団の中からスマートフォンを見る。
メール。
昨夜のやり取りが残っていた。
件名:無事ですか
水野主任
ちゃんと部屋入りました?
水飲んで寝てください。
お疲れさまでした。
一ノ瀬
そして。
私の返信。
件名:Re:無事ですか
一ノ瀬くん
ちゃんと入りました。
今日はありがとう。
一ノ瀬くんもお疲れさま。
おやすみ。
水野
「……」
別に。
普通。
何も変なことは書いていない。
よかった。
酔った勢いで余計なことを送っていなくて。
スマートフォンを置く。
もう一度横になる。
今日は休み。
予定もない。
このまま一日寝ていたい。
でも。
「……お腹空いた」
冷蔵庫に何かあったっけ。
重い身体を起こして、キッチンへ向かう。
冷蔵庫を開ける。
水。
炭酸水。
調味料。
卵が一個。
以上。
「……何もない」
昨日。
帰りに買ってくればよかった。
いや。
昨日の私に買い物なんて無理だった。
仕方ない。
コンビニ。
財布とスマートフォンを持つ。
洗面台の鏡を見る。
「……」
ひどい。
髪は適当。
顔も完全に休日。
メイクする気なんて起きない。
近所のコンビニに行くだけ。
「これでいいか」
軽く顔を洗って。
髪を適当に整える。
シンプルなニットにワイドパンツ。
その上から軽く羽織る。
帽子を深めに被って。
細いフレームの伊達メガネ。
鏡を見る。
「……よし」
誰に会うわけでもない。
部屋を出る。
廊下。
エレベーター。
ボタンを押してから。
ふと。
表示を見る。
十二。
十一。
十。
九。
「……」
八。
一ノ瀬くん。
この階なんだ。
「……何考えてるの」
エレベーターが十二階へ到着する。
乗り込む。
一階へ。
昨日までは。
八という数字を見ても何も思わなかった。
今日からは。
たぶん。
違う。
「……嫌だなぁ」
小さく呟く。
一階。
エントランスを抜ける。
外へ出る。
昼前の月島。
休日だからか。
平日より人が多い。
コンビニまでは数分。
おにぎり。
味噌汁。
スポーツドリンク。
あと。
甘いもの。
「……プリン」
なんとなくカゴに入れる。
会計を済ませる。
店を出る。
結局。
一ノ瀬くんには会わなかった。
「……」
当たり前。
何百世帯あると思ってるの。
同じマンションだからって。
そんな簡単に会うわけない。
そもそも。
一ノ瀬くんだって休みなんだから。
出かけてるかもしれない。
まだ寝てるかもしれない。
「……」
何。
ちょっと安心してるんだろ。
いや。
安心するでしょ。
こんな格好。
仕事中とは全然違う。
別に見られたって困らないけど。
できれば。
見られたくはない。
マンションへ戻る。
エントランスを抜けて。
オートロックを開ける。
エレベーターのボタンを押した。
「……」
すぐに到着する。
扉が開く。
「……あ」
「……」
中に。
一ノ瀬くんがいた。
「水野主任?」
最悪。
本当に会った。
「……」
反射的に。
「人違いです」
言った。
一ノ瀬くんが止まる。
「……え?」
「……」
「いや、水野主任ですよね?」
「違います」
「その声で無理ありますって」
「……」
諦めた。
エレベーターに乗る。
「なんでいるの」
「俺ん家なんで」
「……そうだった」
「主任、まだ酔ってます?」
「酔ってない」
「じゃあ二日酔い?」
「違う」
「顔が二日酔いですけど」
「うるさい」
一ノ瀬くんが笑う。
私も。
改めて一ノ瀬くんを見る。
仕事じゃない。
スーツじゃない。
ラフな服。
髪も。
いつもみたいにきっちり整えているわけじゃない。
昨日の打ち上げとも違う。
完全に。
休日の一ノ瀬くん。
『一ノ瀬さん、普通にかっこよくないですか?』
昨日の言葉が。
頭の中に蘇った。
「……」
あ。
本当に。
普通にかっこいいんだ。
「……」
何考えてるの。
「水野主任?」
「なに?」
「いや、なんか見られてたから」
「見てない」
「見てましたよ」
「メガネの度が合ってないだけ」
「それ伊達じゃないですか?」
「……」
「図星?」
「うるさい」
また笑われた。
「主任、休日そんな感じなんですね」
「どんな感じ?」
「いや」
一ノ瀬くんが私を見る。
帽子。
伊達メガネ。
適当な格好。
「なんか新鮮です」
「……何が?」
「私服」
「昨日も私服だったでしょ」
「昨日は仕事終わりだったじゃないですか」
「ああ」
「今日は完全に休みって感じ」
「悪かったね」
「悪いって言ってないです」
一ノ瀬くんが笑う。
「ちゃんと休むんですね」
「私を何だと思ってるの」
「ホテルに住んでる人」
「失礼すぎる」
「だって水野主任、いつもいますもん」
「仕事だからね?」
「知ってます」
「一ノ瀬くんこそ」
「はい?」
「休みの日、そんな感じなんだ」
言ってから。
少し後悔した。
何を言ってるんだろう。
「そんな感じ?」
「……普通」
「普通って何ですか」
「知らない」
「主任から聞いといて?」
エレベーターが上がっていく。
二階。
三階。
四階。
昨日とは違う。
今日は。
二人とも素面。
そのせいか。
妙に意識する。
五階。
六階。
七階。
八階。
音が鳴る。
扉が開く。
「じゃあ」
一ノ瀬くんが降りようとして。
私の手元を見た。
「水野主任」
「なに?」
「昼飯、それですか?」
コンビニの袋。
「そうだけど」
「何買ったんです?」
「おにぎりと味噌汁」
「あ」
「なに?」
「ちゃんとしてる」
「何だと思ってたの」
「菓子パンとかで済ませるのかと」
「失礼」
「二日酔いなら味噌汁いいですよ」
「だから二日酔いじゃない」
「じゃあなんで帽子とメガネなんですか」
「休日だから」
「なるほど」
一ノ瀬くんが少し笑う。
「水も飲んでくださいね」
「昨日から本当にお母さんみたい」
「誰のせいですか」
「私?」
「主任以外いないでしょ」
「はいはい」
「あと」
「まだあるの?」
「今日は飲まないでくださいね」
「飲まないよ」
「ほんとに?」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「早く降りて」
「追い出された」
一ノ瀬くんが八階へ降りる。
「じゃあ、また休み明けに」
「うん」
扉が閉まりかける。
「あ、水野主任」
「なに?」
一ノ瀬くんが扉の向こうから言った。
「その格好、ほんと新鮮でした」
「……」
扉が閉じた。
エレベーターが動き出す。
九階。
「……何なの」
十階。
十一階。
十二階。
部屋に戻る。
帽子を取る。
伊達メガネも外す。
買ってきたものをテーブルに置く。
「……」
おにぎりを開ける。
一口。
味噌汁を飲む。
「おいしい」
ようやく。
少し生き返った気がする。
スマートフォンが震えた。
「……?」
画面を見る。
メール。
一ノ瀬 悠。
「……」
四階下から?
メールを開く。
件名:昼飯
水野主任
さっき言い忘れました。
二日酔いなら味噌汁とか温かいもの食べた方がいいですよ。
あと水も飲んでください。
一ノ瀬
「……」
目の前を見る。
味噌汁。
水。
「もう食べてるし」
返信しようとして。
手が止まる。
一ノ瀬くん。
四階下にいるんだよね。
「……」
近いんだから。
直接言えばいいのに。
そこまで考えて。
「いやいや」
直接来られた方が困る。
昨日まで。
私たちはこうだった。
仕事中は直接話して。
忙しいときはメール。
それが普通。
同じマンションだと分かったからって。
急に何かが変わるわけじゃない。
返信する。
件名:Re:昼飯
もう味噌汁食べてます。
水も飲んでます。
心配しすぎ。
水野
送信。
一分もしないうちに。
また震えた。
件名:Re:Re:昼飯
ならよかったです。
今日はちゃんと休んでください。
一ノ瀬
「……うるさい」
そう言いながら。
少し笑っていた。
夕方。
昼寝をして。
シャワーを浴びて。
ようやく身体も普通に戻った。
宅配ボックスに荷物が届いていることを思い出して。
もう一度部屋を出る。
エレベーターに乗る。
十二階から一階へ。
十一。
十。
九。
八。
音が鳴った。
扉が開く。
「……」
誰も乗ってこない。
代わりに。
一人の住人が降りていった。
扉が閉まる。
私は。
何となく。
八という数字を見る。
一ノ瀬くん。
この階に住んでるんだ。
たった。
四階下。
昨日まで。
何の意味もなかった数字。
なのに。
今は。
八階でエレベーターが止まるだけで。
一ノ瀬くんを思い出す。
「……」
近い。
近すぎる。
同じ会社で。
同じホテルで働いて。
家に帰っても。
四階しか離れていない。
普通なら。
嫌だと思うのかもしれない。
職場の人と。
家までこんなに近いなんて。
でも。
「……」
エレベーターが一階へ着く。
扉が開く。
私は降りる。
そして。
自分でもよく分からないまま。
少しだけ思った。
嫌じゃない。
むしろ。
昨日までより。
少しだけ。
このマンションに帰ってくるのが。
楽しみになった気がした。
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