十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―
第2話 仕事に年齢は関係ない
第2話 仕事に年齢は関係ない
「まず、今回のお二人について説明する」
部長の言葉に、私は手元の資料へ視線を落とした。
新郎、神崎隆臣。
三十二歳。
新婦、小宮山紗季。
二十九歳。
二人は大学時代から八年間交際しており、今回結婚することになったらしい。
そして新郎の名前の横には、見慣れない肩書がいくつも並んでいる。
神崎グループ創業家。
国内でも有数の不動産会社を中心に、ホテル、商業施設、金融など複数の事業を展開する一族。
「招待客は現時点で約三百五十名。今後さらに増える可能性がある」
「挙式予定日は?」
「十一月十五日」
思わず顔を上げた。
「……三ヶ月半?」
「ああ」
三百五十人規模。
それを三ヶ月半で作り上げる。
無理ではない。
でも、余裕があるとは到底言えなかった。
私は資料をめくった。
披露宴会場はホテル最大のバンケット。
VIP専用導線。
報道関係者用スペース。
通常メニューにはない特別料理。
神崎グループの企業紹介映像。
さらに、取引先企業の席次についてまで細かな指定がある。
読み進めるほど、眉間に皺が寄っていくのが自分でも分かった。
「……これ、結婚式ですよね?」
「そのはずです」
答えたのは一ノ瀬くんだった。
「企業の周年パーティーじゃなくて?」
「俺も最初はそう思いました」
悪びれる様子もなく言う。
私はもう一度資料を見る。
どう考えても普通の披露宴ではない。
「この要望は誰から?」
「主に新郎のお父様です」
「新郎本人は?」
「基本的にはお父様に任せると」
嫌な予感がした。
「じゃあ、新婦の希望は?」
一ノ瀬くんが黙った。
その数秒で答えは分かった。
「……聞いてないの?」
「まだ正式な打ち合わせ前ですから」
「でも、この資料を作るくらいには話してるよね?」
「神崎家とは営業部で何度か」
「新婦とは?」
「直接はまだです」
私は資料を閉じた。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「結婚式するのは神崎グループじゃないよ」
一ノ瀬くんの表情が少し変わった。
「それは分かってます」
「だったら最初に聞くべきなのは、新郎新婦が何をしたいかじゃない?」
「でも、今回の費用を負担されるのは神崎家です。それにホテルとしても重要な顧客です」
「だから?」
「要望を無視するわけにはいかないでしょう」
間違ってはいない。
営業として考えれば当然だ。
神崎家との関係は今回だけで終わるものではない。
この婚礼が今後のホテルの売上に影響する可能性だってある。
でも。
「無視しろなんて言ってない。ただ、優先順位を間違えないで」
「優先順位?」
「一番上にいるのは新郎新婦。その次にご家族。それからホテル」
一ノ瀬くんが私を見る。
「水野主任は理想論で仕事するタイプですか?」
……初対面でよく言う。
「一ノ瀬くんは売上だけで仕事するタイプ?」
「そういう意味じゃ」
「私もそういう意味じゃない」
視線がぶつかる。
数秒の沈黙。
「……まあまあ」
部長が呆れたように口を挟んだ。
「組んで十分も経ってないぞ、お前ら」
「すみません」
「すみません」
声だけは綺麗に重なった。
それが少し腹立たしい。
会議が終わり、部長が先に部屋を出ていく。
私も資料をまとめていると、
「水野主任」
一ノ瀬くんに呼び止められた。
「なに?」
「俺が二年目だから、不安ですか?」
手が止まる。
どうやらさっきの話とは別らしい。
第1話で私が二十四歳と聞いて反応したことを気にしていたのだろう。
「正直に言っていい?」
「どうぞ」
「不安」
「即答ですね」
「この規模の婚礼、担当したことある?」
「ないです」
「VIP対応は?」
「営業としてならあります」
「婚礼では?」
「ないです」
「じゃあ不安になるでしょ」
一ノ瀬くんが苦笑する。
「二十四歳だからじゃないんですか?」
「仕事に年齢は関係ないよ」
私は資料を鞄に入れながら続けた。
「できるなら二年目でも任せる。でも、できないことを若さのせいにするつもりもない」
一ノ瀬くんが黙る。
さっきまでの軽い表情が消えていた。
「私も主任だから担当になったんじゃない。できると思われたから任された。あなたも同じでしょ?」
「……そうですね」
「だったらやるだけ」
「水野主任」
「ん?」
一ノ瀬くんが笑った。
今度はさっきまでとは少し違う笑い方だった。
「三ヶ月半後、水野主任に『一ノ瀬でよかった』って言わせます」
「大きく出たね」
「営業なんで」
「じゃあ期待してる」
「はい」
生意気。
でも、嫌いではない。
少なくとも逃げるタイプではなさそうだ。
数日後。
最初の打ち合わせの日がやってきた。
「本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
新郎の神崎隆臣さんは、想像していたよりずっと柔らかな雰囲気の男性だった。
隣に座る小宮山紗季さんも穏やかな笑顔を浮かべている。
二人だけを見れば、ごく普通の仲のいい恋人同士に見えた。
問題は、打ち合わせが始まってからだった。
「父から聞いていると思いますが、披露宴はできるだけ盛大にしたいそうです」
「はい。三百五十名程度と伺っております」
「もう少し増えるかもしれません」
「承知しました」
一ノ瀬くんが営業側の要望を確認し、私は婚礼について話を進めていく。
料理。
装花。
衣装。
演出。
招待客。
話題が変わっても、出てくる言葉は同じだった。
父が。
神崎家が。
会社が。
私は資料から顔を上げた。
「小宮山さん」
「はい?」
「小宮山さんは、どんな結婚式にしたいですか?」
紗季さんの目が少しだけ大きくなった。
初めて聞かれた。
そんな顔だった。
「私、ですか?」
「はい。規模やご予算は一旦置いておいてください。こんな式にしたいとか、こんなことをやってみたいとか。何でも大丈夫です」
「あ……」
紗季さんの表情が、一瞬だけ明るくなる。
でも。
隣に座る隆臣さんを見た。
ほんの一瞬。
それから、膝の上で重ねていた指を握る。
「私は……」
何かを言いかけて、やめた。
そして笑った。
「皆さんが喜んでくだされば、それで」
「そうですか」
「はい」
私は笑顔を返した。
それ以上は聞かなかった。
初回の打ち合わせで無理に踏み込む必要はない。
でも。
覚えておこう。
その後も打ち合わせは続き、一時間半ほどで終了した。
「本日はありがとうございました」
ホテルのエントランスまで二人を見送る。
姿が見えなくなったところで、一ノ瀬くんが息を吐いた。
「感じのいいお二人でしたね」
「そうね」
「新郎も話が早いですし、これなら意外と順調に進みそうですね」
私は隣を見る。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「あの新婦」
「小宮山さん?」
「たぶん、この結婚式したくないよ」
一ノ瀬くんの足が止まった。
「……え?」
私は二人が去っていった先を見つめた。
あの笑顔。
あの一瞬の沈黙。
そして、言いかけて飲み込んだ言葉。
十一年、この仕事をしてきた。
幸せそうに笑う人を、何百人も見てきた。
だからこそ分かる。
笑っているからといって。
その人が、幸せだとは限らない。
「まず、今回のお二人について説明する」
部長の言葉に、私は手元の資料へ視線を落とした。
新郎、神崎隆臣。
三十二歳。
新婦、小宮山紗季。
二十九歳。
二人は大学時代から八年間交際しており、今回結婚することになったらしい。
そして新郎の名前の横には、見慣れない肩書がいくつも並んでいる。
神崎グループ創業家。
国内でも有数の不動産会社を中心に、ホテル、商業施設、金融など複数の事業を展開する一族。
「招待客は現時点で約三百五十名。今後さらに増える可能性がある」
「挙式予定日は?」
「十一月十五日」
思わず顔を上げた。
「……三ヶ月半?」
「ああ」
三百五十人規模。
それを三ヶ月半で作り上げる。
無理ではない。
でも、余裕があるとは到底言えなかった。
私は資料をめくった。
披露宴会場はホテル最大のバンケット。
VIP専用導線。
報道関係者用スペース。
通常メニューにはない特別料理。
神崎グループの企業紹介映像。
さらに、取引先企業の席次についてまで細かな指定がある。
読み進めるほど、眉間に皺が寄っていくのが自分でも分かった。
「……これ、結婚式ですよね?」
「そのはずです」
答えたのは一ノ瀬くんだった。
「企業の周年パーティーじゃなくて?」
「俺も最初はそう思いました」
悪びれる様子もなく言う。
私はもう一度資料を見る。
どう考えても普通の披露宴ではない。
「この要望は誰から?」
「主に新郎のお父様です」
「新郎本人は?」
「基本的にはお父様に任せると」
嫌な予感がした。
「じゃあ、新婦の希望は?」
一ノ瀬くんが黙った。
その数秒で答えは分かった。
「……聞いてないの?」
「まだ正式な打ち合わせ前ですから」
「でも、この資料を作るくらいには話してるよね?」
「神崎家とは営業部で何度か」
「新婦とは?」
「直接はまだです」
私は資料を閉じた。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「結婚式するのは神崎グループじゃないよ」
一ノ瀬くんの表情が少し変わった。
「それは分かってます」
「だったら最初に聞くべきなのは、新郎新婦が何をしたいかじゃない?」
「でも、今回の費用を負担されるのは神崎家です。それにホテルとしても重要な顧客です」
「だから?」
「要望を無視するわけにはいかないでしょう」
間違ってはいない。
営業として考えれば当然だ。
神崎家との関係は今回だけで終わるものではない。
この婚礼が今後のホテルの売上に影響する可能性だってある。
でも。
「無視しろなんて言ってない。ただ、優先順位を間違えないで」
「優先順位?」
「一番上にいるのは新郎新婦。その次にご家族。それからホテル」
一ノ瀬くんが私を見る。
「水野主任は理想論で仕事するタイプですか?」
……初対面でよく言う。
「一ノ瀬くんは売上だけで仕事するタイプ?」
「そういう意味じゃ」
「私もそういう意味じゃない」
視線がぶつかる。
数秒の沈黙。
「……まあまあ」
部長が呆れたように口を挟んだ。
「組んで十分も経ってないぞ、お前ら」
「すみません」
「すみません」
声だけは綺麗に重なった。
それが少し腹立たしい。
会議が終わり、部長が先に部屋を出ていく。
私も資料をまとめていると、
「水野主任」
一ノ瀬くんに呼び止められた。
「なに?」
「俺が二年目だから、不安ですか?」
手が止まる。
どうやらさっきの話とは別らしい。
第1話で私が二十四歳と聞いて反応したことを気にしていたのだろう。
「正直に言っていい?」
「どうぞ」
「不安」
「即答ですね」
「この規模の婚礼、担当したことある?」
「ないです」
「VIP対応は?」
「営業としてならあります」
「婚礼では?」
「ないです」
「じゃあ不安になるでしょ」
一ノ瀬くんが苦笑する。
「二十四歳だからじゃないんですか?」
「仕事に年齢は関係ないよ」
私は資料を鞄に入れながら続けた。
「できるなら二年目でも任せる。でも、できないことを若さのせいにするつもりもない」
一ノ瀬くんが黙る。
さっきまでの軽い表情が消えていた。
「私も主任だから担当になったんじゃない。できると思われたから任された。あなたも同じでしょ?」
「……そうですね」
「だったらやるだけ」
「水野主任」
「ん?」
一ノ瀬くんが笑った。
今度はさっきまでとは少し違う笑い方だった。
「三ヶ月半後、水野主任に『一ノ瀬でよかった』って言わせます」
「大きく出たね」
「営業なんで」
「じゃあ期待してる」
「はい」
生意気。
でも、嫌いではない。
少なくとも逃げるタイプではなさそうだ。
数日後。
最初の打ち合わせの日がやってきた。
「本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
新郎の神崎隆臣さんは、想像していたよりずっと柔らかな雰囲気の男性だった。
隣に座る小宮山紗季さんも穏やかな笑顔を浮かべている。
二人だけを見れば、ごく普通の仲のいい恋人同士に見えた。
問題は、打ち合わせが始まってからだった。
「父から聞いていると思いますが、披露宴はできるだけ盛大にしたいそうです」
「はい。三百五十名程度と伺っております」
「もう少し増えるかもしれません」
「承知しました」
一ノ瀬くんが営業側の要望を確認し、私は婚礼について話を進めていく。
料理。
装花。
衣装。
演出。
招待客。
話題が変わっても、出てくる言葉は同じだった。
父が。
神崎家が。
会社が。
私は資料から顔を上げた。
「小宮山さん」
「はい?」
「小宮山さんは、どんな結婚式にしたいですか?」
紗季さんの目が少しだけ大きくなった。
初めて聞かれた。
そんな顔だった。
「私、ですか?」
「はい。規模やご予算は一旦置いておいてください。こんな式にしたいとか、こんなことをやってみたいとか。何でも大丈夫です」
「あ……」
紗季さんの表情が、一瞬だけ明るくなる。
でも。
隣に座る隆臣さんを見た。
ほんの一瞬。
それから、膝の上で重ねていた指を握る。
「私は……」
何かを言いかけて、やめた。
そして笑った。
「皆さんが喜んでくだされば、それで」
「そうですか」
「はい」
私は笑顔を返した。
それ以上は聞かなかった。
初回の打ち合わせで無理に踏み込む必要はない。
でも。
覚えておこう。
その後も打ち合わせは続き、一時間半ほどで終了した。
「本日はありがとうございました」
ホテルのエントランスまで二人を見送る。
姿が見えなくなったところで、一ノ瀬くんが息を吐いた。
「感じのいいお二人でしたね」
「そうね」
「新郎も話が早いですし、これなら意外と順調に進みそうですね」
私は隣を見る。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「あの新婦」
「小宮山さん?」
「たぶん、この結婚式したくないよ」
一ノ瀬くんの足が止まった。
「……え?」
私は二人が去っていった先を見つめた。
あの笑顔。
あの一瞬の沈黙。
そして、言いかけて飲み込んだ言葉。
十一年、この仕事をしてきた。
幸せそうに笑う人を、何百人も見てきた。
だからこそ分かる。
笑っているからといって。
その人が、幸せだとは限らない。