十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―
第21話 教育係
第21話 教育係
一ノ瀬くんが婚礼部に異動して。
二日目。
「水野さん」
朝礼が終わった直後。
部長に呼び止められた。
「はい」
「一ノ瀬くんのことなんだけど」
「はい」
なんとなく。
この先に続く言葉が分かった。
「しばらく水野さんについてもらおうと思ってる」
「……やっぱりですか」
「やっぱり?」
「いえ、なんでもないです」
部長が笑う。
「神崎様の案件で三ヶ月半一緒にやってたし、一ノ瀬くんのこと一番分かってるでしょ」
「仕事のことなら」
「十分」
そう言って。
部長が少し離れたところにいる一ノ瀬くんを呼ぶ。
「一ノ瀬くん」
「はい」
すぐにやってくる。
「今日からしばらく、水野さんについて仕事覚えて」
「分かりました」
「水野さんもよろしく」
「はい」
部長が離れていく。
残された。
私と一ノ瀬くん。
「……」
「……」
一ノ瀬くんが笑った。
「よろしくお願いします、先輩」
「主任」
「先輩でもありますよね?」
「主任」
「十一年先輩」
「主任」
「分かりましたよ、水野主任」
満足。
「じゃあ、まず何すればいいですか?」
「その前に」
「はい」
「昨日渡した資料読んだ?」
「読みました」
「全部?」
「全部」
「本当に?」
「信用ないなぁ」
「確認してるだけ」
「じゃあテストします?」
「いいよ」
「え」
「何?」
「冗談だったんですけど」
「私は本気」
「……主任」
「なに?」
「教育係になった瞬間、厳しくなってません?」
「普通です」
「絶対嘘だ」
そんなことを言いながら。
一ノ瀬くんの婚礼部二日目が始まった。
最初に教えるのは。
婚礼部全体の仕事の流れ。
神崎さんたちの案件で。
一ノ瀬くんは三ヶ月半、婚礼に関わった。
打ち合わせにも参加した。
当日も動いた。
トラブルにも対応した。
だから。
何も知らないわけじゃない。
むしろ。
異動してきたばかりにしては。
知っている方だと思う。
でも。
「じゃあ一ノ瀬くん」
「はい」
「新郎新婦が初めて来館しました」
「はい」
「何する?」
「希望日と人数、予算の確認」
「それ営業」
「……あ」
「今の一ノ瀬くんは婚礼部」
「そうだった」
「そこから慣れようか」
「先長いなぁ」
思わず笑う。
そう。
営業部と婚礼部では。
同じ新郎新婦と関わっていても。
見ているものが違う。
営業は。
このホテルで結婚式を挙げてもらうまで。
婚礼部は。
そこから先。
二人がどんな結婚式をしたいのか。
何を大切にしているのか。
誰に何を伝えたいのか。
それを聞いて。
形にして。
当日まで持っていく。
「まず、成約後の初回打ち合わせ」
資料を開く。
一ノ瀬くんも隣に座る。
「ここで大まかなスケジュールを説明する」
「はい」
「招待状、衣装、料理、装花、演出、写真、映像」
「結構ありますね」
「結構どころじゃないよ」
「ですよね」
「全部を一気に決めるわけじゃない。挙式日から逆算して、いつまでに何を決めるか管理する」
「はい」
「新郎新婦によって進む速度も違うから」
「神崎さんたち、早い方でした?」
「早い方」
「そうなんだ」
「二人とも決断早かったでしょ」
「ああ、確かに」
「でも全然決まらない人もいる」
「例えば?」
「招待状のデザインだけで一時間」
「そんなに?」
「いるよ」
「何種類あるんですか?」
「見る?」
「見たいです」
資料を出す。
一ノ瀬くんが覗き込む。
「……多」
「でしょ」
「これ全部説明するんですか?」
「必要なら」
「大変だ」
「まだ招待状だからね」
「これで?」
「これで」
「婚礼部やばいですね」
「今さら?」
一ノ瀬くんが笑う。
「水野主任、これ十一年やってるんですよね」
「やってる」
「すご」
「まだ早いよ」
「何が?」
「驚くの」
次。
料理。
次。
引き出物。
次。
席次。
次。
装花。
次。
演出。
次。
当日の進行。
説明するたび。
一ノ瀬くんの顔が。
少しずつ変わっていく。
「……主任」
「なに?」
「俺、神崎さんの結婚式で結構分かった気になってました」
「うん」
「全然分かってなかったですね」
「うん」
「そこ否定してくださいよ」
「だって本当だもん」
「厳しい」
「一件を横から見るのと、自分が担当するのは全然違うよ」
「そうですね」
「でも」
私は資料を閉じる。
「一ノ瀬くんは一件見てるから。その分は楽」
「ほんとですか?」
「本当」
「じゃあちょっと安心した」
「ちょっとだけね」
「やっぱ厳しいなぁ」
午前中は。
ほとんど説明で終わった。
午後。
一ノ瀬くんには。
私が担当している新郎新婦との打ち合わせに同席してもらうことになった。
まだ。
一ノ瀬くんが話を進めるわけじゃない。
今日は。
見るだけ。
「緊張する」
打ち合わせ前。
一ノ瀬くんが小さく言った。
「なんで?」
「営業のときと違うんで」
「今日は座ってるだけでいいよ」
「それが逆に緊張します」
「神崎さんのとき何回もやったでしょ」
「あのときは主任がいるの当たり前だったから」
「今日もいるけど」
「そうですけど」
少し考えて。
一ノ瀬くんが言う。
「立場が変わると違いますね」
「……」
そう。
それに気づけるなら。
たぶん。
大丈夫。
「じゃあ行くよ」
「はい」
新郎新婦が来る。
挨拶。
席へ案内する。
今日決めるのは。
披露宴の進行と演出。
「前回お話しいただいた件なんですけど」
私は資料を広げる。
「お色直しのあと、各卓を回りたいというお話でしたよね」
「はい」
新婦が頷く。
「写真を撮りながら回れたらと思ってて」
「でしたら、フォトラウンドという形が一番自然だと思います」
説明する。
時間。
卓数。
そのあとの進行。
新郎新婦の希望を聞きながら。
少しずつ。
当日の形を作っていく。
「じゃあ、このあと友人の余興を入れても大丈夫ですか?」
新郎から聞かれる。
「もちろん可能です。ただ、余興が十五分を超えるようでしたら、少し前の進行を調整した方がいいと思います」
「なるほど」
「一度ご友人に内容と大体の時間だけ確認していただいて、次回教えてください」
「分かりました」
「あと、もし映像を使う場合は事前確認が必要になります」
「あ、そうなんですね」
「はい。こちらの資料に対応形式が書いてありますので」
横で。
一ノ瀬くんがメモを取っている。
何度か。
視線を感じた。
でも。
気にせず進める。
一時間半。
打ち合わせが終わった。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
二人を見送る。
姿が見えなくなってから。
「……ふぅ」
一ノ瀬くんが息を吐いた。
「なんで一ノ瀬くんが疲れてるの」
「見てるだけでも疲れました」
「何もしてないでしょ」
「頭使ってました」
「ほんとに?」
「メモ見ます?」
ノートを見せてくる。
「……」
細かい。
私が話したこと。
新郎新婦が言ったこと。
進行について。
時間について。
疑問に思ったところには。
小さく印までついている。
「ちゃんと書いてる」
「だから言ったじゃないですか」
「偉い」
「子ども扱いしてません?」
「してない」
ノートを返す。
「何か分からなかった?」
「めちゃくちゃあります」
「例えば?」
「主任」
「私?」
「なんであんなにすぐ答えられるんですか?」
「……何が?」
「さっき新郎さんが余興のこと聞いたとき」
「あれ?」
「時間聞いて、その場で前後の進行考えてましたよね」
「普通だよ」
「普通じゃないでしょ」
「婚礼部なら普通」
「じゃあ俺もできるようになるんですか?」
「なるよ」
即答した。
一ノ瀬くんが。
少しだけ目を丸くする。
「……即答なんですね」
「何が?」
「もっと『頑張れば』とか言われるかと思った」
「頑張るのは前提でしょ」
「厳しい」
「でも」
私は一ノ瀬くんを見る。
「一ノ瀬くんならできるよ」
「……」
今度は。
本当に黙った。
「なに?」
「いや」
「何?」
「主任って」
「うん」
「たまに急に優しいですよね」
「……」
「普段厳しいのに」
「褒めるんじゃなかった」
「ほら」
「撤回する」
「遅いです」
一ノ瀬くんが笑う。
「でも、ありがとうございます」
「うん」
「頑張ります」
「頑張って」
「じゃあ早速質問いいですか?」
「いいよ」
「さっきのフォトラウンドなんですけど」
「うん」
「もし卓数がもっと多かったら――」
質問が始まる。
一つ答える。
また一つ。
そこからさらに。
「あと」
「まだあるの?」
「あります」
「何個?」
「とりあえず七個」
「多い」
「分からなかったら聞けって主任が言ったんですよ」
「言ったけど」
「じゃあお願いします、教育係」
「……」
結局。
全部答えた。
夕方。
自分の仕事へ戻る。
パソコンに向かっていると。
「水野主任」
「なに?」
顔を上げる。
一ノ瀬くん。
資料を持って立っている。
「ちょっといいですか?」
「……」
その言葉。
一ヶ月ぶりだった。
一ヶ月前まで。
毎日のように聞いていた。
そして。
毎日のように思っていた。
また来た。
面倒。
メールで聞けばいいのに。
なのに。
今は。
「どうしたの?」
自然に。
そう答えていた。
「この見積もりなんですけど」
「ああ、これはね」
一ノ瀬くんが隣へ来る。
資料を見る。
説明する。
いつもの距離。
一ヶ月前と。
ほとんど同じ。
でも。
一つだけ違う。
一ノ瀬くんは。
もう営業部から質問に来た人じゃない。
婚礼部の後輩。
明日も。
明後日も。
ここにいる。
「分かりました」
「大丈夫?」
「はい」
「じゃあ一回自分でやってみて」
「分かりました」
一ノ瀬くんが自分の席へ戻っていく。
私は。
その背中を少しだけ見て。
パソコンへ視線を戻した。
「……」
変なの。
一ヶ月前までは。
あんなに。
毎日来るなと思っていたのに。
来なくなったら。
少し静かだと思って。
また来るようになったら。
少し。
安心している。
「……仕事しよ」
小さく呟く。
そして。
数分後。
スマートフォンが震えた。
机の端に置いていた画面を見る。
悠。
『主任』
「……」
仕事中。
しかも。
同じ部署。
顔を上げる。
数メートル先。
一ノ瀬くんが自分の席に座っている。
私はスマートフォンを見る。
『なに?』
送信。
すぐに。
既読。
悠
『明日の資料って今日中に作った方がいいですか?』
「……」
私は顔を上げる。
一ノ瀬くんを見る。
目が合った。
「……」
一ノ瀬くんが。
スマートフォンを持ったまま。
少し笑う。
私はチャットを打つ。
『直接聞いて』
既読。
一ノ瀬くんが立ち上がった。
そして。
数秒後。
「水野主任、ちょっといいですか?」
「……はい」
「明日の資料なんですけど」
「今日中」
「やっぱり?」
「あと」
「はい?」
「仕事中にチャットしない」
「メールならいいですか?」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ直接来ます」
「……」
笑いそうになるのを。
なんとか堪える。
「そうして」
「分かりました」
一ノ瀬くんが戻っていく。
机の上。
スマートフォンには。
さっきのやり取りが残っている。
メールとは違う。
昨日までなかった。
新しい連絡先。
同じ部署になったのに。
連絡を取る方法は。
一つ増えた。
「……」
これ。
必要だったのかな。
そう思いながら。
私は。
チャットを消さなかった。
一ノ瀬くんが婚礼部に異動して。
二日目。
「水野さん」
朝礼が終わった直後。
部長に呼び止められた。
「はい」
「一ノ瀬くんのことなんだけど」
「はい」
なんとなく。
この先に続く言葉が分かった。
「しばらく水野さんについてもらおうと思ってる」
「……やっぱりですか」
「やっぱり?」
「いえ、なんでもないです」
部長が笑う。
「神崎様の案件で三ヶ月半一緒にやってたし、一ノ瀬くんのこと一番分かってるでしょ」
「仕事のことなら」
「十分」
そう言って。
部長が少し離れたところにいる一ノ瀬くんを呼ぶ。
「一ノ瀬くん」
「はい」
すぐにやってくる。
「今日からしばらく、水野さんについて仕事覚えて」
「分かりました」
「水野さんもよろしく」
「はい」
部長が離れていく。
残された。
私と一ノ瀬くん。
「……」
「……」
一ノ瀬くんが笑った。
「よろしくお願いします、先輩」
「主任」
「先輩でもありますよね?」
「主任」
「十一年先輩」
「主任」
「分かりましたよ、水野主任」
満足。
「じゃあ、まず何すればいいですか?」
「その前に」
「はい」
「昨日渡した資料読んだ?」
「読みました」
「全部?」
「全部」
「本当に?」
「信用ないなぁ」
「確認してるだけ」
「じゃあテストします?」
「いいよ」
「え」
「何?」
「冗談だったんですけど」
「私は本気」
「……主任」
「なに?」
「教育係になった瞬間、厳しくなってません?」
「普通です」
「絶対嘘だ」
そんなことを言いながら。
一ノ瀬くんの婚礼部二日目が始まった。
最初に教えるのは。
婚礼部全体の仕事の流れ。
神崎さんたちの案件で。
一ノ瀬くんは三ヶ月半、婚礼に関わった。
打ち合わせにも参加した。
当日も動いた。
トラブルにも対応した。
だから。
何も知らないわけじゃない。
むしろ。
異動してきたばかりにしては。
知っている方だと思う。
でも。
「じゃあ一ノ瀬くん」
「はい」
「新郎新婦が初めて来館しました」
「はい」
「何する?」
「希望日と人数、予算の確認」
「それ営業」
「……あ」
「今の一ノ瀬くんは婚礼部」
「そうだった」
「そこから慣れようか」
「先長いなぁ」
思わず笑う。
そう。
営業部と婚礼部では。
同じ新郎新婦と関わっていても。
見ているものが違う。
営業は。
このホテルで結婚式を挙げてもらうまで。
婚礼部は。
そこから先。
二人がどんな結婚式をしたいのか。
何を大切にしているのか。
誰に何を伝えたいのか。
それを聞いて。
形にして。
当日まで持っていく。
「まず、成約後の初回打ち合わせ」
資料を開く。
一ノ瀬くんも隣に座る。
「ここで大まかなスケジュールを説明する」
「はい」
「招待状、衣装、料理、装花、演出、写真、映像」
「結構ありますね」
「結構どころじゃないよ」
「ですよね」
「全部を一気に決めるわけじゃない。挙式日から逆算して、いつまでに何を決めるか管理する」
「はい」
「新郎新婦によって進む速度も違うから」
「神崎さんたち、早い方でした?」
「早い方」
「そうなんだ」
「二人とも決断早かったでしょ」
「ああ、確かに」
「でも全然決まらない人もいる」
「例えば?」
「招待状のデザインだけで一時間」
「そんなに?」
「いるよ」
「何種類あるんですか?」
「見る?」
「見たいです」
資料を出す。
一ノ瀬くんが覗き込む。
「……多」
「でしょ」
「これ全部説明するんですか?」
「必要なら」
「大変だ」
「まだ招待状だからね」
「これで?」
「これで」
「婚礼部やばいですね」
「今さら?」
一ノ瀬くんが笑う。
「水野主任、これ十一年やってるんですよね」
「やってる」
「すご」
「まだ早いよ」
「何が?」
「驚くの」
次。
料理。
次。
引き出物。
次。
席次。
次。
装花。
次。
演出。
次。
当日の進行。
説明するたび。
一ノ瀬くんの顔が。
少しずつ変わっていく。
「……主任」
「なに?」
「俺、神崎さんの結婚式で結構分かった気になってました」
「うん」
「全然分かってなかったですね」
「うん」
「そこ否定してくださいよ」
「だって本当だもん」
「厳しい」
「一件を横から見るのと、自分が担当するのは全然違うよ」
「そうですね」
「でも」
私は資料を閉じる。
「一ノ瀬くんは一件見てるから。その分は楽」
「ほんとですか?」
「本当」
「じゃあちょっと安心した」
「ちょっとだけね」
「やっぱ厳しいなぁ」
午前中は。
ほとんど説明で終わった。
午後。
一ノ瀬くんには。
私が担当している新郎新婦との打ち合わせに同席してもらうことになった。
まだ。
一ノ瀬くんが話を進めるわけじゃない。
今日は。
見るだけ。
「緊張する」
打ち合わせ前。
一ノ瀬くんが小さく言った。
「なんで?」
「営業のときと違うんで」
「今日は座ってるだけでいいよ」
「それが逆に緊張します」
「神崎さんのとき何回もやったでしょ」
「あのときは主任がいるの当たり前だったから」
「今日もいるけど」
「そうですけど」
少し考えて。
一ノ瀬くんが言う。
「立場が変わると違いますね」
「……」
そう。
それに気づけるなら。
たぶん。
大丈夫。
「じゃあ行くよ」
「はい」
新郎新婦が来る。
挨拶。
席へ案内する。
今日決めるのは。
披露宴の進行と演出。
「前回お話しいただいた件なんですけど」
私は資料を広げる。
「お色直しのあと、各卓を回りたいというお話でしたよね」
「はい」
新婦が頷く。
「写真を撮りながら回れたらと思ってて」
「でしたら、フォトラウンドという形が一番自然だと思います」
説明する。
時間。
卓数。
そのあとの進行。
新郎新婦の希望を聞きながら。
少しずつ。
当日の形を作っていく。
「じゃあ、このあと友人の余興を入れても大丈夫ですか?」
新郎から聞かれる。
「もちろん可能です。ただ、余興が十五分を超えるようでしたら、少し前の進行を調整した方がいいと思います」
「なるほど」
「一度ご友人に内容と大体の時間だけ確認していただいて、次回教えてください」
「分かりました」
「あと、もし映像を使う場合は事前確認が必要になります」
「あ、そうなんですね」
「はい。こちらの資料に対応形式が書いてありますので」
横で。
一ノ瀬くんがメモを取っている。
何度か。
視線を感じた。
でも。
気にせず進める。
一時間半。
打ち合わせが終わった。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
二人を見送る。
姿が見えなくなってから。
「……ふぅ」
一ノ瀬くんが息を吐いた。
「なんで一ノ瀬くんが疲れてるの」
「見てるだけでも疲れました」
「何もしてないでしょ」
「頭使ってました」
「ほんとに?」
「メモ見ます?」
ノートを見せてくる。
「……」
細かい。
私が話したこと。
新郎新婦が言ったこと。
進行について。
時間について。
疑問に思ったところには。
小さく印までついている。
「ちゃんと書いてる」
「だから言ったじゃないですか」
「偉い」
「子ども扱いしてません?」
「してない」
ノートを返す。
「何か分からなかった?」
「めちゃくちゃあります」
「例えば?」
「主任」
「私?」
「なんであんなにすぐ答えられるんですか?」
「……何が?」
「さっき新郎さんが余興のこと聞いたとき」
「あれ?」
「時間聞いて、その場で前後の進行考えてましたよね」
「普通だよ」
「普通じゃないでしょ」
「婚礼部なら普通」
「じゃあ俺もできるようになるんですか?」
「なるよ」
即答した。
一ノ瀬くんが。
少しだけ目を丸くする。
「……即答なんですね」
「何が?」
「もっと『頑張れば』とか言われるかと思った」
「頑張るのは前提でしょ」
「厳しい」
「でも」
私は一ノ瀬くんを見る。
「一ノ瀬くんならできるよ」
「……」
今度は。
本当に黙った。
「なに?」
「いや」
「何?」
「主任って」
「うん」
「たまに急に優しいですよね」
「……」
「普段厳しいのに」
「褒めるんじゃなかった」
「ほら」
「撤回する」
「遅いです」
一ノ瀬くんが笑う。
「でも、ありがとうございます」
「うん」
「頑張ります」
「頑張って」
「じゃあ早速質問いいですか?」
「いいよ」
「さっきのフォトラウンドなんですけど」
「うん」
「もし卓数がもっと多かったら――」
質問が始まる。
一つ答える。
また一つ。
そこからさらに。
「あと」
「まだあるの?」
「あります」
「何個?」
「とりあえず七個」
「多い」
「分からなかったら聞けって主任が言ったんですよ」
「言ったけど」
「じゃあお願いします、教育係」
「……」
結局。
全部答えた。
夕方。
自分の仕事へ戻る。
パソコンに向かっていると。
「水野主任」
「なに?」
顔を上げる。
一ノ瀬くん。
資料を持って立っている。
「ちょっといいですか?」
「……」
その言葉。
一ヶ月ぶりだった。
一ヶ月前まで。
毎日のように聞いていた。
そして。
毎日のように思っていた。
また来た。
面倒。
メールで聞けばいいのに。
なのに。
今は。
「どうしたの?」
自然に。
そう答えていた。
「この見積もりなんですけど」
「ああ、これはね」
一ノ瀬くんが隣へ来る。
資料を見る。
説明する。
いつもの距離。
一ヶ月前と。
ほとんど同じ。
でも。
一つだけ違う。
一ノ瀬くんは。
もう営業部から質問に来た人じゃない。
婚礼部の後輩。
明日も。
明後日も。
ここにいる。
「分かりました」
「大丈夫?」
「はい」
「じゃあ一回自分でやってみて」
「分かりました」
一ノ瀬くんが自分の席へ戻っていく。
私は。
その背中を少しだけ見て。
パソコンへ視線を戻した。
「……」
変なの。
一ヶ月前までは。
あんなに。
毎日来るなと思っていたのに。
来なくなったら。
少し静かだと思って。
また来るようになったら。
少し。
安心している。
「……仕事しよ」
小さく呟く。
そして。
数分後。
スマートフォンが震えた。
机の端に置いていた画面を見る。
悠。
『主任』
「……」
仕事中。
しかも。
同じ部署。
顔を上げる。
数メートル先。
一ノ瀬くんが自分の席に座っている。
私はスマートフォンを見る。
『なに?』
送信。
すぐに。
既読。
悠
『明日の資料って今日中に作った方がいいですか?』
「……」
私は顔を上げる。
一ノ瀬くんを見る。
目が合った。
「……」
一ノ瀬くんが。
スマートフォンを持ったまま。
少し笑う。
私はチャットを打つ。
『直接聞いて』
既読。
一ノ瀬くんが立ち上がった。
そして。
数秒後。
「水野主任、ちょっといいですか?」
「……はい」
「明日の資料なんですけど」
「今日中」
「やっぱり?」
「あと」
「はい?」
「仕事中にチャットしない」
「メールならいいですか?」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ直接来ます」
「……」
笑いそうになるのを。
なんとか堪える。
「そうして」
「分かりました」
一ノ瀬くんが戻っていく。
机の上。
スマートフォンには。
さっきのやり取りが残っている。
メールとは違う。
昨日までなかった。
新しい連絡先。
同じ部署になったのに。
連絡を取る方法は。
一つ増えた。
「……」
これ。
必要だったのかな。
そう思いながら。
私は。
チャットを消さなかった。