十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第23話 初めての担当

第23話 初めての担当
一ノ瀬くんが婚礼部に異動して。
二週間が経った。
「一ノ瀬くん」
「はい」
「ちょっといい?」
「珍しい」
「何が?」
「主任から俺のところ来るの」
「じゃあ戻る」
「待ってください」
一ノ瀬くんが笑いながら椅子をこちらへ向ける。
「何ですか?」
「これ」
持っていたファイルを机に置いた。
「……?」
一ノ瀬くんが表紙を見る。
新郎新婦の名前。
挙式予定日。
会場。
「新しい案件ですか?」
「うん」
「主任の?」
「違う」
「じゃあ誰の――」
一ノ瀬くんが止まる。
私を見る。
もう一度。
ファイルを見る。
「……まさか」
「そのまさか」
「俺?」
「一ノ瀬くん」
「……」
「初担当です」
数秒。
一ノ瀬くんが固まった。
「早くないですか?」
「早くない」
「まだ二週間ですよ」
「二週間も経った」
「主任、前と言ってること違いません?」
「何が?」
「この前は『まだ一週間』って」
「今日は『もう二週間』」
「都合いいなぁ」
「大丈夫」
「その自信どこから来るんですか」
「私が後ろについてるから」
「……」
「何?」
「それならちょっと安心です」
「ちょっと?」
「かなり」
「なら大丈夫」
一ノ瀬くんが。
もう一度ファイルを見る。
「俺が担当……」
「もちろん最初から全部一人じゃないよ」
「はい」
「打ち合わせも最初は私が同席する。困ったら助ける」
「はい」
「でも」
私はファイルを指で叩く。
「担当は一ノ瀬くん」
「……はい」
さっきまでの軽い表情が。
少し変わった。
「やります」
「うん」
「やらせてください」
「そのつもり」
「頑張ります」
「頑張って」
一ノ瀬くんがファイルを開く。
新郎。
二十八歳。
新婦。
二十七歳。
挙式予定日は。
約五ヶ月後。
招待予定人数。
四十二名。
親族と友人が中心の。
比較的。
小さな結婚式。
「最初はこのくらいの規模がいいと思う」
「四十二名」
「うん」
「神崎さんたちより少ないですね」
「だいぶね」
「初回打ち合わせ、いつですか?」
「明後日」
「明後日?」
「うん」
「……」
「何その顔」
「急に緊張してきました」
「まだ二日ある」
「二日しかない」
「大丈夫」
「主任の大丈夫、最近怖いんですよね」
「失礼」
「だって大体そのあと課題出るじゃないですか」
「じゃあ出そうか」
「ほら」
笑う。
でも。
その日の午後から。
一ノ瀬くんは明らかに変わった。
いつもなら。
分からないことがあれば。
すぐに聞きに来る。
でも今日は。
来ない。
自分で資料を調べて。
過去の記録を見て。
メモを取って。
また調べる。
「……」
私は。
自分の仕事をしながら。
何度かその様子を見た。
「主任」
隣の後輩が小さく言う。
「ん?」
「一ノ瀬さん、めっちゃ真剣ですね」
「初担当だからね」
「二週間で担当持つんだ」
「最初は私もつくよ」
「ああ」
「でも本人にやってもらう」
「主任」
「なに?」
「ちょっと楽しそう」
「私が?」
「はい」
「どこが」
「なんとなく」
「気のせい」
そう言いながら。
もう一度。
一ノ瀬くんを見る。
……まあ。
少しだけ。
楽しみではある。
三ヶ月半。
神崎さんたちの結婚式を。
一緒に作った。
営業部だった一ノ瀬くんが。
婚礼の仕事をやってみたいと言って。
ここへ来た。
そして。
初めて。
自分の担当を持つ。
どこまでできるのか。
見てみたい。
夕方。
「水野主任」
ようやく。
来た。
「なに?」
「質問いいですか?」
「何個?」
「……十二個」
「多い」
「減らします?」
「いい。聞いて」
「一個目なんですけど」
そこから。
四十分。
十二個。
全部。
答えた。
翌日も。
準備。
「初回で絶対確認することは?」
「二人がどんな式にしたいか」
「それだけ?」
「人数。希望の雰囲気。衣装の進捗。招待状」
「あと?」
「予算」
「大事」
「はい」
「でも予算だけ見ない」
「……?」
「二人が何を大事にしてるかを先に聞いて」
「ああ」
「全部にお金をかけられる人ばかりじゃないから。料理を一番大事にしたい人もいるし、衣装の人もいる。写真の人もいる」
「はい」
「削るところを探すんじゃなくて、大事なところを一緒に探す」
一ノ瀬くんが。
メモを取る。
「主任」
「なに?」
「それ、資料に書いてないですよね」
「書いてないね」
「十一年分?」
「十一年分」
「……」
一ノ瀬くんが。
少し笑った。
「何?」
「いや」
「なに」
「やっぱ主任が教育係でよかったなと思って」
「急に何」
「本当に思っただけです」
「……そう」
「照れました?」
「照れてない」
「目逸らした」
「明日の準備するよ」
「はいはい」
そして。
初回打ち合わせ当日。
「……」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「緊張してる?」
「してないです」
「嘘」
「……ちょっと」
「大丈夫」
「またそれ」
「今日は本当に大丈夫」
「根拠は?」
「昨日まで準備してたでしょ」
「はい」
「なら大丈夫」
「もし止まったら?」
「私がいる」
「……」
一ノ瀬くんが。
こちらを見る。
「それ、ずるいですね」
「何が?」
「安心する」
「じゃあ行くよ」
「はい」
打ち合わせスペース。
私と。
一ノ瀬くん。
向かいに。
新郎新婦。
「本日はありがとうございます」
一ノ瀬くんが頭を下げる。
「改めまして、本日からお二人の担当をさせていただきます。一ノ瀬です」
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「こちらは水野です。しばらく一緒に担当させていただきます」
私も頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
打ち合わせが始まった。
最初は。
少し硬い。
声も。
普段より低い。
「まず、本日なんですが」
一ノ瀬くんが資料を開く。
「これから挙式当日までの大まかな流れをご説明して、そのあとお二人がどんな結婚式にしたいか、お話を聞かせていただければと思っています」
「はい」
「まだ具体的に決まってなくても全然大丈夫です」
「よかった」
新婦が笑った。
「私たち、ほんとに何も決まってなくて」
「そうなんですか?」
「はい。結婚式やりたいね、くらいで」
「俺も全然分からなくて」
新郎も笑う。
一ノ瀬くんの表情が。
少し柔らかくなる。
「俺も」
言って。
止まった。
「……?」
新郎新婦が見る。
「すみません」
一ノ瀬くんが笑う。
「僕も婚礼の仕事を始めたばかりの頃、分からないことだらけだったので」
私は。
横から見る。
始めたばかり。
というか。
今も始めたばかりだけど。
まあ。
いいか。
「なので、分からないことは何でも聞いてください。一緒に決めていければと思います」
新婦が笑う。
「それなら安心しました」
「はい」
そこから。
少しずつ。
空気が変わった。
一ノ瀬くんは。
営業をやっていた。
人と話すことには慣れている。
相手の話を聞くことも。
言葉を引き出すことも。
「お二人は、結婚式で一番大事にしたいことってありますか?」
「一番……」
二人が顔を見合わせる。
新郎が。
少し考える。
「来てくれる人に楽しんでもらうことかな」
「あ、私も」
新婦が頷く。
「自分たちが主役っていうより、みんなといっぱい話したくて」
「なるほど」
一ノ瀬くんがメモする。
「じゃあ、歓談の時間は多めにした方がよさそうですね」
「できますか?」
「できます」
一ノ瀬くんが答える。
「演出をたくさん入れるより、写真を撮ったり話したりする時間を多く取ることもできます」
「それいいね」
「うん」
二人が笑う。
私は。
ほとんど口を挟まなかった。
思ったより。
できてる。
ただ。
順調に進んで。
招待状の話になったとき。
「発送はいつくらいですか?」
新婦が聞いた。
「挙式の……」
一ノ瀬くんが止まる。
一瞬。
こちらを見る。
私は。
何も言わない。
「……」
一ノ瀬くんが資料を見る。
「二ヶ月前くらいを目安に――」
違う。
「一ノ瀬くん」
「はい」
私が入る。
「発送は二ヶ月前を目安で大丈夫。ただ、その前に校正があるから、デザインや文面はもっと早めに決めていただく」
「あ」
「招待者の住所確認にも時間がかかるから」
「そうでした」
一ノ瀬くんが新郎新婦を見る。
「すみません。今、水野が言った通りです」
「いえいえ」
「僕の説明が足りませんでした」
そのまま。
打ち合わせは続いた。
一時間半。
最後に。
次回までに確認してもらうことを伝える。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました」
「これからよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
二人を見送る。
姿が見えなくなる。
「……」
一ノ瀬くんが。
深く息を吐いた。
「終わった……」
「お疲れさま」
「めちゃくちゃ疲れました」
「初回だからね」
「主任」
「なに?」
「すみませんでした」
「何が?」
「招待状」
「ああ」
「完全に抜けてました」
「うん」
「……」
一ノ瀬くんが。
少し落ち込む。
「そんな顔しなくていいよ」
「でも」
「間違えたまま進めなかったでしょ」
「主任がいたから」
「今日はそのためにいるの」
「……」
「最初から全部できるなら」
私はファイルを閉じる。
「私、いらないでしょ」
一ノ瀬くんが。
顔を上げる。
「間違えたところは覚えればいい」
「はい」
「次は?」
「間違えません」
「なら大丈夫」
「……」
「それより」
「はい?」
「よかったよ」
「え?」
「初担当」
一ノ瀬くんが。
少し驚いた顔をする。
「本当に?」
「嘘で褒めない」
「どこが?」
「二人の話をちゃんと聞いてた」
「……」
「自分が説明することばっかり考えてなかった。二人が何を大事にしたいか聞けてた」
「昨日、主任が言ったから」
「言われてもできない人はできないよ」
「……」
「営業やってたのも大きいね」
「褒められてる」
「褒めてる」
「珍しい」
「撤回する?」
「しないでください」
一ノ瀬くんが笑う。
「水野主任」
「なに?」
「俺」
少し。
間。
「この仕事、好きかもしれないです」
「……」
まだ。
一件目。
しかも。
最初の打ち合わせが終わっただけ。
結婚式までは。
五ヶ月もある。
これから。
大変なこともある。
思い通りにいかないことも。
たくさんある。
でも。
「そっか」
私は笑った。
「ならよかった」
「はい」
「五ヶ月後も同じこと言えるように頑張って」
「そこは素直に喜んでくれないんですか?」
「婚礼はここからだから」
「厳しいなぁ」
「教育係なので」
「じゃあ」
一ノ瀬くんが言う。
「五ヶ月後」
「うん」
「ちゃんと二人の結婚式が終わったら」
「うん」
「主任にもう一回言います」
「何を?」
「この仕事好きですって」
「……」
「そのときはちゃんと褒めてください」
「考えとく」
「約束してくださいよ」
「ちゃんと終わったらね」
「約束ですよ」
「はいはい」
一ノ瀬くんが笑う。
その日の夜。
二十時過ぎ。
私はまだ仕事をしていた。
「水野主任」
「ん?」
一ノ瀬くんが鞄を持って立っている。
「俺、今日先に帰ります」
「うん。お疲れさま」
「主任まだですか?」
「あとちょっと」
「昨日もそれ言ってませんでした?」
「今日は本当にあとちょっと」
「……」
「何その顔」
「ちゃんと帰ってくださいね」
「分かってる」
「じゃあ、お先に失礼します」
「お疲れさま」
一ノ瀬くんが帰っていく。
私は。
パソコンへ戻る。
メールを返して。
明日の資料を確認して。
気づけば。
二十一時半。
「……帰ろ」
パソコンを閉じる。
ホテルを出る。
一人。
電車に乗る。
月島。
駅から歩く。
レジデンス・ルミエール月島。
エントランスへ入る。
エレベーター。
十二階。
部屋へ戻る。
「疲れた……」
鞄を置く。
上着を脱ぐ。
そのとき。
スマートフォンが震えた。
悠。
『主任』
「……」
開く。
『まだ仕事してます?』
時計を見る。
二十二時十分。
『今帰った』
既読。
すぐ返信。
『遅』
『一ノ瀬くん帰るの早かっただけ』
『今日は初担当で疲れたんで』
『何もしてないのに?』
『しましたよ』
『俺めっちゃ頑張ったじゃないですか』
思わず笑う。
『はいはい。頑張りました』
既読。
少しして。
『主任』
『なに?』
『今日ありがとうございました』
「……」
指が止まる。
『教育係だからね』
送る。
既読。
『それでもです』
『主任いなかったら多分もっとボロボロでした』
『最初なんだから普通』
『でも』
少し。
間が空く。
悠
『水野主任がいると安心します』
「……」
画面を見る。
一度。
二度。
『仕事の話?』
なぜか。
そんなことを送った。
既読。
数秒。
悠
『今は仕事の話です』
「……」
今は。
「何それ」
声に出る。
返信しようとして。
やめる。
また打って。
消す。
結局。
『早く寝なさい』
送った。
既読。
悠
『話逸らした』
『明日も仕事』
『はいはい』
『おやすみなさい、教育係』
『おやすみ』
送信。
既読。
スマートフォンを置く。
「……」
今は仕事の話。
じゃあ。
仕事じゃなかったら。
何の話なの。
「……」
考える必要ない。
一ノ瀬くんは。
十歳下の後輩。
私は。
教育係。
今日だって。
仕事を教えただけ。
それだけ。
なのに。
ベッドに入ってからも。
最後まで。
頭に残っていたのは。
初担当を無事に終えたことでも。
招待状の説明を間違えたことでもなく。
『水野主任がいると安心します』
そのあとの。
『今は仕事の話です』
だった。
< 23 / 35 >

この作品をシェア

pagetop