十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第24話 なんで私に聞かないの

第24話 なんで私に聞かないの
一ノ瀬くんが婚礼部に異動して。
二週間と少し。
最初の頃に比べれば。
ずいぶんと部署にも馴染んできた。
「一ノ瀬さん、それ違います」
「え?」
「ここです、ここ」
「あ、本当だ」
「昨日教えたじゃないですか」
「昨日?」
「忘れてる!」
「いや、覚えてますよ」
「絶対嘘」
少し離れた席から。
笑い声が聞こえる。
顔を上げる。
一ノ瀬くんが。
後輩の席の横に立っていた。
パソコンの画面を見ながら。
何か教えてもらっている。
「これって、こっちで入力するんでしたっけ?」
「そうです。こっち」
「ああ、なるほど」
「一ノ瀬さん、婚礼部来て何週間ですか?」
「まだ二週間ですよ」
「もう二週間です」
「水野主任と同じこと言う」
「主任にも言われたんですか?」
「言われました」
二人が笑う。
「……」
私は。
自分のパソコンへ視線を戻した。
別に。
普通。
婚礼部なんだから。
私以外にも。
仕事を教えられる人はいる。
むしろ。
その方がいい。
私が全部教える必要なんてないし。
一ノ瀬くんだって。
いつまでも私に聞いているわけにはいかない。
教育係とはいっても。
婚礼部全員で。
一ノ瀬くんを育てていく方がいい。
「……」
メールを開く。
新婦から届いた質問に返信する。
三行打って。
止まる。
また。
笑い声。
「一ノ瀬さん、これも違う」
「嘘」
「ほんとです」
「今日ダメだなぁ」
「主任に怒られますよ」
「それは嫌だ」
「怖いですもんね」
「怖くはないです」
「じゃあ何ですか?」
「……厳しい?」
「同じじゃないですか」
また笑っている。
「……」
今度こそ。
メールへ戻る。
関係ない。
一ノ瀬くんが。
誰に仕事を聞こうと。
私には関係ない。
そう思っていた。
昼休みまでは。
「一ノ瀬さん、こっち座ります?」
「いいんですか?」
「どうぞどうぞ」
社員食堂。
今日は婚礼部の何人かで一緒に昼を食べることになった。
私は少し遅れて席に着く。
向かいには一ノ瀬くん。
その隣に。
朝、仕事を教えていた後輩。
「主任、お疲れさまです」
「お疲れ」
「今日何ですか?」
「日替わり」
「主任、またそれ?」
「楽だから」
「選ぶの面倒なんですよね?」
「そう」
席へ座る。
料理を食べながら。
みんなで話す。
仕事のこと。
昨日見たテレビ。
最近できた店。
何でもない話。
その途中。
「そういえば一ノ瀬さん」
後輩が言った。
「はい?」
「前の打ち上げで彼女いないって言ってましたよね?」
箸が。
ほんの少しだけ止まった。
「言いましたね」
「まだいないんですか?」
「二週間でできないでしょ」
「分かんないじゃないですか」
「できてないです」
「じゃあ好きな人は?」
「またそれ聞くんですか?」
「だって前、秘密って言ったじゃないですか」
「そうでしたっけ」
「言いました!」
「ああ」
一ノ瀬くんが笑う。
「じゃあ今も秘密です」
「えー!」
「絶対いるじゃん」
「いないですよ」
「ほんとに?」
「はい」
「じゃあなんで秘密?」
「秘密って言った方が面白いかなって」
「ずるい」
笑い声。
私は。
黙って食事を続ける。
好きな人。
秘密。
前にも聞いた。
あの打ち上げで。
そのときも。
少しだけ。
気になった。
「……」
今も。
気になる?
「水野主任」
「え?」
顔を上げる。
一ノ瀬くんがこちらを見ていた。
「それ食べないんですか?」
「何?」
「デザート」
見る。
小さなプリン。
「食べるよ」
「また守ってる」
「私のだから」
「一口」
「嫌」
「主任、プリンだけは絶対くれないですよね」
「自分で買いなさい」
「ケチ」
「二十四歳が人のプリン狙わない」
「年齢関係あります?」
「ある」
笑いが起きる。
いつも通り。
なのに。
一ノ瀬くんの隣にいる後輩が。
「一ノ瀬さん、私のあげますよ」
「え、いいんですか?」
「私甘いのそんな好きじゃないんで」
「やった」
プリンが。
一ノ瀬くんの方へ移動する。
「ありがとうございます」
「どうぞ」
「優しい」
「主任と違って?」
「俺そこまで言ってないです」
「今言おうとしてたでしょ」
「してないですよ」
二人が笑う。
「……」
私は。
自分のプリンを食べる。
甘い。
いつもと同じ味。
なのに。
なんとなく。
さっきより美味しくない。
「……何これ」
「主任?」
「何でもない」
午後。
仕事へ戻る。
十四時。
十五時。
十六時。
気づけば。
また。
一ノ瀬くんがあの後輩の席にいる。
「これなんですけど」
「はい」
「親族紹介って、この順番で合ってます?」
「ああ、それなら――」
私は。
パソコンを見ながら。
会話を聞いていた。
それ。
前に教えた。
神崎さんたちのとき。
一ノ瀬くんに。
「なるほど」
「分かりました?」
「はい。助かります」
「よかったです」
「……」
何。
今の。
なんで。
「それ、私に聞けばいいのに」
口から出た。
小さな声。
自分にしか聞こえないくらい。
「……」
止まる。
私。
今。
何て言った?
なんで私に聞けばいいのに。
意味が分からない。
誰に聞いてもいい。
むしろ。
他の人にも聞けるようになった方がいい。
それなのに。
一ノ瀬くんが。
私じゃない人のところへ行って。
その人に教えてもらって。
「助かります」
って言って。
笑っている。
それを見て。
なんで。
少し。
嫌なんだろう。
「……」
いや。
違う。
教育係だから。
私が教育係だから。
自分が教えるべきだと思っただけ。
それだけ。
そう。
それだけ。
「主任」
「え?」
隣の後輩がこちらを見る。
「どうしました?」
「何が?」
「なんか機嫌悪くないですか?」
「普通」
「ほんとに?」
「普通だよ」
「ならいいですけど」
普通。
そう。
普通。
仕事を続ける。
でも。
一度気になり始めると。
妙に。
目に入る。
一ノ瀬くんが。
誰と話しているか。
誰に質問しているか。
誰と笑っているか。
全部。
「……」
最悪。
何してるんだろう。
夕方。
「水野主任」
「なに?」
一ノ瀬くんが来た。
「これ確認お願いします」
資料を差し出される。
「置いといて」
「今ダメです?」
「あとで見る」
「急ぎじゃないんで大丈夫ですけど」
「じゃああとで」
「分かりました」
一ノ瀬くんが。
少しだけ私を見る。
「……何?」
「いや」
「何?」
「今日、機嫌悪いです?」
「悪くない」
「ほんとに?」
「普通」
「あ」
「何?」
「今日の主任、普通ってめっちゃ言いますね」
「普通だから」
「絶対普通じゃない」
「仕事しなさい」
「はい」
戻っていく。
「……」
やっぱり。
なんか。
イライラする。
一ノ瀬くんは。
何も悪くない。
分かってる。
だから余計に。
自分が嫌になる。
仕事が終わったのは。
二十時過ぎ。
「お疲れさまでした」
「お疲れさまです」
後輩たちが帰っていく。
私も。
パソコンを閉じる。
「主任」
顔を上げる。
一ノ瀬くん。
「帰ります?」
「うん」
「俺も終わりました」
「そう」
「……」
「何?」
「やっぱ機嫌悪い」
「悪くないって」
「今日ずっとじゃないですか」
「普通」
「ほら。また普通」
「しつこい」
「怒ってる」
「怒ってない」
「じゃあ何ですか?」
「何もない」
鞄を持つ。
「帰るよ」
「はい」
二人で。
婚礼部を出る。
ホテルを出て。
駅へ。
電車。
月島。
いつもと同じ。
隣に。
一ノ瀬くん。
でも。
今日は。
会話が少ない。
「水野主任」
「なに?」
「俺、なんかしました?」
「してない」
「ほんとに?」
「うん」
「じゃあなんで今日ずっと冷たいんですか」
「冷たくない」
「冷たいですよ」
「気のせい」
「……」
一ノ瀬くんが。
少し考える。
「朝?」
「何が?」
「俺が仕事聞いてたから?」
心臓が。
一瞬。
跳ねた。
「……何それ」
「いや」
「なんでそうなるの」
「朝から機嫌悪かったから」
「全然関係ない」
「ほんとに?」
「ほんと」
「じゃあ昼?」
「何」
「プリンもらったから?」
「は?」
思わず。
一ノ瀬くんを見る。
「何言ってるの?」
「冗談です」
笑っている。
「くだらない」
「ですよね」
「そういうのやめて」
「すみません」
また。
少しだけ静かになる。
レジデンス・ルミエール月島。
エントランスへ入る。
エレベーター。
一階。
二階。
三階。
「主任」
「なに?」
「ほんとに俺何もしてないです?」
「してないよ」
「ならいいですけど」
四階。
五階。
六階。
七階。
八階。
音が鳴る。
扉が開く。
一ノ瀬くんが。
降りる。
でも。
一度。
振り返った。
「何かしたなら言ってくださいね」
「……」
「俺、分かんないんで」
「してないって」
「分かりました」
少しだけ笑う。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
扉が閉じる。
エレベーターが。
上がっていく。
九階。
十階。
「……」
十一階。
十二階。
一ノ瀬くんは。
本当に。
何もしていない。
他の人に。
仕事を聞いただけ。
昼休みに。
みんなで話しただけ。
プリンを。
もらっただけ。
それだけ。
なのに。
なんで。
あんなに。
気になったんだろう。
部屋へ戻る。
シャワーを浴びる。
着替える。
ソファへ座る。
スマートフォンを見る。
通知。
悠。
「……」
開く。
『主任』
『今日やっぱり怒ってました?』
「……」
少し迷う。
『怒ってない』
送信。
既読。
『じゃあよかったです』
それだけ。
私は。
画面を見る。
終わり。
返信する必要もない。
スマートフォンを置く。
でも。
数秒後。
また震えた。
悠
『俺、何かしたなら言ってくださいね』
『自分じゃ気づかないことあるんで』
「……」
何もしてない。
本当に。
何も。
悪くない。
悪いのは。
たぶん。
私の方。
『何もしてないよ』
送信。
既読。
少しして。
『ならよかった』
『おやすみなさい』
「……」
『おやすみ』
送る。
既読。
スマートフォンを置く。
静かな部屋。
一人。
考える。
一ノ瀬くんが。
他の人に仕事を聞く。
それが。
少し嫌だった。
他の女性と。
楽しそうに話している。
それも。
少しだけ。
嫌だった。
彼女はいない。
好きな人は秘密。
その話が。
気になった。
「……」
何なの。
これ。
自分でも。
分からない。
いや。
分かりたくない。
ただ。
一つだけ。
分かることがある。
一ヶ月前。
一ノ瀬くんが婚礼部に来なくなったとき。
私は。
少し寂しかった。
戻ってきたら。
安心した。
そして今。
他の人のところへ行く一ノ瀬くんを見て。
少し。
面白くないと思った。
「……最悪」
ソファの背もたれに。
頭を預ける。
私。
何してるんだろう。
十歳下の。
後輩相手に。
しばらく。
そのまま天井を見ていた。
考えなければいい。
明日になれば。
また仕事。
一ノ瀬くんは後輩で。
私は主任。
それでいい。
「……寝よ」
スマートフォンを持って。
寝室へ向かう。
ベッドに入って。
照明を消す。
目を閉じる。
「……」
でも。
浮かんでくる。
昼休み。
一ノ瀬くんの隣に座っていた後輩。
二人で笑っていたこと。
プリンを渡していたこと。
『じゃあ好きな人は?』
『今も秘密です』
「……」
目を開ける。
なんで。
そこだけ。
こんなに覚えてるんだろう。
寝返りを打つ。
反対を向く。
「関係ないでしょ……」
誰を好きでも。
私には。
関係ない。
一ノ瀬くんは二十四歳。
恋人ができても。
好きな人がいても。
何もおかしくない。
むしろ。
普通。
「……」
普通。
今日。
何回言ったんだろう。
普通。
普通。
普通。
そう言えば言うほど。
全然。
普通じゃない気がしてくる。
「……寝る」
もう一度。
目を閉じた。
翌朝。
いつもの時間に。
部屋を出る。
エレベーターのボタンを押す。
少しして。
扉が開いた。
乗る。
十二階。
十一階。
十階。
九階。
「……」
八階。
何となく。
階数表示を見る。
そのまま。
通り過ぎた。
「……」
今日は。
乗ってこない。
別に。
毎朝一緒になるわけじゃない。
昨日だって。
待ち合わせしたわけじゃない。
なのに。
「……何」
少しだけ。
気になった。
一階。
エレベーターを降りる。
エントランスを抜ける。
外へ出る。
駅へ向かって歩く。
「水野主任!」
後ろから。
声。
振り返る。
一ノ瀬くんが走ってくる。
「……」
「おはようございます」
「おはよう」
「間に合った」
「何が?」
「主任」
「私?」
「エレベーター乗り損ねたんですよ」
「そうなんだ」
「ちょうど閉まるところ見えて」
「次乗ればよかったのに」
「階段で来ました」
「八階から?」
「はい」
「馬鹿じゃないの」
「ひど」
息を整えながら。
一ノ瀬くんが隣を歩く。
「朝から疲れた」
「自業自得」
「主任が待ってくれればよかったのに」
「いるの知らないし」
「それもそうか」
並んで。
駅へ向かう。
昨日。
あんなに。
自分の中でぐちゃぐちゃ考えていたのに。
一ノ瀬くんは。
いつも通り。
「主任」
「なに?」
「今日、機嫌直りました?」
「だから昨日も悪くないって」
「じゃあ今日は?」
「普通」
「あ」
一ノ瀬くんが笑う。
「また普通って言った」
「……」
「昨日から何回目ですか?」
「知らない」
「俺数えとけばよかった」
「くだらない」
「でも」
一ノ瀬くんが。
少しだけ私を見る。
「今日は昨日より普通そうですね」
「何それ」
「なんとなく」
「朝からうるさい」
「はいはい」
歩く。
少しだけ。
昨日のことを思い出す。
他の人と話していた一ノ瀬くん。
それを見て。
勝手に機嫌が悪くなった私。
そして今。
隣を歩いているだけで。
昨日より。
少し気分がいい。
「……」
認めたくない。
絶対に。
認めたくないけど。
もしかしたら。
私は。
思っていたよりずっと。
一ノ瀬くんのことを。
気にするようになっているのかもしれない。
「主任?」
「なに?」
「また俺のこと見てました?」
「見てない」
「今絶対見てた」
「前見て歩いて」
「はい」
一ノ瀬くんが笑う。
私は。
前を向く。
好き。
そんな言葉を使うには。
まだ。
早すぎる。
ただ。
一ノ瀬くんが誰かといると。
少し気になる。
一ノ瀬くんが私のところへ来ないと。
少し面白くない。
一ノ瀬くんが隣にいると。
少し。
安心する。
今は。
それだけ。
それだけのはずだった。
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