十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―
第26話 意識したら最後
第26話 意識したら最後
目が覚めた。
カーテンの隙間から。
朝の光が入っている。
「……」
枕元のスマートフォンを見る。
九時十二分。
今日は休み。
目覚ましも。
かけていない。
「……もうちょっと寝よ」
布団を被る。
目を閉じる。
『十歳下だから好きになっちゃダメなの?』
「……」
目を開ける。
昨日。
友達に言われた言葉。
『じゃあなんで十歳差を気にしてるの?』
「……知らない」
誰もいない部屋で。
答える。
昨日は。
少し飲んでいた。
だから。
余計なことまで話した。
一ノ瀬くんのこと。
同じマンションに住んでいること。
チャットしていること。
モーニングコールしたこと。
そして。
一ノ瀬くんが他の後輩と話しているのを見て。
少し嫌だったこと。
「……」
思い出すだけで。
恥ずかしい。
なんで。
あんなに喋ったんだろう。
『それ、嫉妬じゃない?』
「違う」
また。
声に出す。
違う。
たぶん。
「……たぶんって何」
自分で自分に呆れる。
もう一度。
目を閉じようとした。
そのとき。
スマートフォンが震えた。
「……?」
画面を見る。
悠。
「……」
朝から?
チャットを開く。
悠
『主任、今日休みですよね?』
少しだけ。
考える。
『そうだけど』
送信。
既読。
すぐに返ってくる。
『やっぱり』
『婚礼部めっちゃ静かです』
「……」
思わず。
少し笑う。
『仕事しなさい』
既読。
悠
『してます』
『今休憩です』
『主任いないと質問できない』
『他の人に聞けばいいでしょ』
送って。
止まる。
昨日。
それで。
勝手に機嫌が悪くなったくせに。
「……」
何言ってるんだろう。
悠
『聞いてますよ』
『昨日怒られたんで』
「……?」
『誰に?』
『主任』
『俺が他の人に聞いてたから』
「……」
ベッドの上で。
固まる。
『怒ってない』
既読。
『はいはい』
『ほんと』
『普通だったんですよね』
「……」
覚えてる。
『そう』
悠
『今日も普通ですか?』
『朝からうるさい』
既読。
『元気そうでよかったです』
「……」
何。
その言い方。
返そうとしたところで。
もう一通。
『そういえば昨日の友達』
指が止まる。
悠
『面白い人ですね』
「……」
昨日。
ランニング中の一ノ瀬くんと。
正面から会った。
友達が。
余計なことを言った。
『一ノ瀬くん?』
『さっき聞いたから』
「……」
思い出したくない。
『一ノ瀬くんの話してたってバラした人ね』
送信。
すぐ既読。
悠
『やっぱり俺の話してたんじゃないですか』
「……」
しまった。
『仕事の話』
悠
『ほんとに?』
「……」
既読。
返さない。
悠
『主任?』
返さない。
悠
『絶対仕事だけじゃない』
「……うるさい」
スマートフォンを伏せる。
知らない。
休みの日まで。
なんで一ノ瀬くんとこんな話してるんだろう。
ベッドから出る。
カーテンを開ける。
天気はいい。
せっかくの休み。
今日は。
何も考えない。
一ノ瀬くんのことも。
昨日のことも。
全部。
考えない。
そう決めた。
午前中。
掃除。
洗濯。
溜まっていた家事を終わらせる。
昼前。
近所へ買い物に出る。
特に欲しいものがあるわけじゃない。
服を見て。
雑貨を見て。
一人で昼を食べる。
いつもの休日。
私は。
一人でいるのが嫌いじゃない。
むしろ。
楽。
誰かに時間を合わせる必要もない。
食べたいものを食べて。
行きたいところへ行って。
疲れたら帰る。
ずっと。
それで困ったことなんてなかった。
「……」
スマートフォンが震えた。
鞄から取り出す。
「……」
違った。
友達から。
昨日の写真が送られてきただけ。
『昨日楽しかった!』
『また行こ』
その下に。
『一ノ瀬くんにもよろしく笑』
「……」
『言わない』
送る。
スマートフォンを閉じる。
「……」
何。
今。
一瞬。
誰だと思った?
「……」
考えない。
買い物を続ける。
一時間後。
また通知。
見る。
今度は。
婚礼部のグループチャット。
後輩から。
仕事終わりにご飯へ行こうという話。
「……」
閉じる。
また。
違った。
「……何期待してるの」
小さく呟く。
一ノ瀬くんから。
何か来ると思ってる?
朝。
あれだけ話したのに。
「……」
自分でも。
よく分からない。
夕方。
スーパーへ寄る。
夕食の食材を買う。
今日は。
家で適当に作る。
買い物袋を持って。
マンションへ戻る。
レジデンス・ルミエール月島。
エントランスへ入る。
「主任」
「……え?」
顔を上げる。
エレベーターの前。
スーツ姿の。
一ノ瀬くん。
「おかえりなさい」
「……」
その言葉に。
なぜか。
一瞬。
止まった。
おかえりなさい。
同じマンションなんだから。
別に。
何もおかしくない。
「……ただいま」
答えてから。
また。
止まる。
何。
普通に返してるの。
一ノ瀬くんが笑う。
「今日休みだったのに疲れてません?」
「買い物してたから」
「へえ」
視線が。
私の買い物袋へ向く。
「何買ったんです?」
「食材」
「料理するんですね」
「するよ」
「意外」
「……」
「何ですか?」
「どういう意味?」
「いや」
「私が料理しないと思ってた?」
「主任、家でも仕事してそうだから」
「どんなイメージなの」
「帰ってパソコン開いてそう」
「たまにするけど」
「やっぱり」
「毎日じゃない」
「何作るんです?」
「今日?」
「はい」
「パスタ」
「いいな」
エレベーターが来る。
二人で乗る。
「一ノ瀬くんは?」
「何がです?」
「今日のご飯」
「コンビニです」
「……」
「何その顔」
「ちゃんと食べなよ」
「食べますよ」
「コンビニで?」
「コンビニを馬鹿にしないでください」
「してない」
「便利ですよ」
「知ってる」
「主任のパスタいいなぁ」
「……」
一ノ瀬くんが。
何気なく言う。
「じゃあ主任、作ってくださいよ」
「……」
止まる。
一瞬。
頭に浮かんだ。
私の部屋。
二人。
同じテーブル。
私が作った料理。
一ノ瀬くんが。
向かいに座って。
「……」
何。
想像してるの。
「主任?」
「……嫌」
「遅」
「何が」
「今めっちゃ考えましたよね」
「考えてない」
「三秒くらい止まってました」
「止まってない」
「作ってくれるか悩んだ?」
「違う」
「じゃあ何考えてたんです?」
「何も」
「怪しい」
「コンビニで好きなの買って」
「はいはい」
八階。
音が鳴る。
扉が開く。
「じゃあ主任」
「うん」
「お疲れさまです」
「お疲れ」
「パスタ美味しく作ってくださいね」
「一ノ瀬くんに関係ないでしょ」
「確かに」
笑いながら。
一ノ瀬くんが降りる。
扉が閉まる。
九階。
「……」
十階。
「何考えてるの、私」
十一階。
十二階。
部屋へ戻る。
買ってきたものを冷蔵庫へ入れる。
着替える。
少し休んで。
夕食を作る。
フライパン。
鍋。
一人分。
いつも通り。
「……」
パスタを皿へ盛る。
テーブルへ置く。
座る。
「いただきます」
一口。
「……」
美味しい。
普通に。
美味しい。
でも。
ふと。
思い出す。
『コンビニです』
「……」
何食べてるんだろ。
「知らないし」
食べる。
二口。
三口。
スマートフォンが震えた。
見る。
悠。
「……」
すぐに。
手に取ってしまった。
そのことに気づいて。
少し嫌になる。
チャットを開く。
悠
『主任』
『今日のパスタ何味ですか?』
「……」
覚えてた。
『なんで覚えてるの』
既読。
悠
『さっき聞いたから』
『何味ですか?』
『和風』
悠
『いいな』
『美味しいですか?』
『普通』
既読。
悠
『また普通』
「……」
『美味しいよ』
悠
『食べたい』
「……」
指が。
止まる。
『自分で作れば』
悠
『料理できないです』
『知ってそう』
悠
『ひど』
少し笑う。
そして。
気づけば。
指が動いていた。
『一ノ瀬くん何食べてるの』
送信。
「……」
また。
聞いた。
別に。
聞かなくてもいいこと。
既読。
少しして。
写真が送られてくる。
コンビニのおにぎり。
カップ麺。
サラダ。
「……」
思ったより。
ちゃんと。
いや。
ちゃんとでもない。
『二十四歳だからってそんな食生活してたらダメだよ』
送信。
既読。
しばらく。
返事がない。
「……?」
少しして。
悠
『主任』
『最近俺の年齢よく言いますよね』
「……」
止まる。
昨日。
『二十四歳が人のプリン狙わない』
今日。
『二十四歳だからって』
その前にも。
何度か。
言った気がする。
「……」
気づかれてる。
『気のせい』
送る。
悠
『またそれ』
『普通の次は気のせいですか』
『うるさい』
悠
『主任って』
一度。
表示が止まる。
入力中。
消える。
また。
入力中。
そして。
届く。
『俺が年下なの気になります?』
「……」
指が。
完全に止まった。
画面を見る。
俺が年下なの。
気になります?
昨日。
友達に言われた。
『十歳下だから好きになっちゃダメなの?』
『じゃあなんで十歳差を気にしてるの?』
「……」
返信欄を開く。
『十歳も下だからね』
打つ。
見る。
消す。
『別に』
打つ。
それも。
消す。
何て返せばいいの。
気になる。
気にならない。
どっち?
「……」
結局。
『なんで?』
送った。
既読。
悠
『最近よく二十四歳って言われるから』
『前はそんな言わなかったですよね』
「……」
よく。
見てる。
『気のせい』
送信。
悠
『またそれ』
『絶対なんかある』
『ない』
悠
『じゃあ俺が三十四でも同じですか?』
「……」
心臓が。
一度。
大きく鳴った。
一ノ瀬くんが。
三十四。
私と。
同い年。
昨日。
友達にも。
似たようなことを聞かれた。
『もし同い年だったら?』
答えられなかった。
「……」
チャットを見る。
悠
『主任?』
『質問の意味が分からない』
送る。
苦しい。
自分でも。
分かるくらい。
逃げた。
悠
『じゃあいいです笑』
『深い意味ないんで』
「……」
深い意味。
ない。
そう。
ない。
『ご飯ちゃんと食べて』
送る。
悠
『食べてます』
『主任も』
『食べてる』
悠
『じゃあまた明日』
「……」
『うん』
悠
『おやすみなさい』
『おやすみ』
送信。
既読。
スマートフォンを。
テーブルへ置く。
目の前。
少し冷めたパスタ。
「……」
一ノ瀬くんが。
年下だから。
気になる。
ずっと。
そう思おうとしていた。
十歳下だから。
変に意識する。
十歳下だから。
距離を考える。
十歳下だから。
こういう気持ちになる。
でも。
「……違うのかな」
もし。
本当に。
ただの後輩だったら。
二十四歳でも。
三十四歳でも。
何歳でも。
どうでもいい。
年齢なんて。
気にする理由がない。
なのに。
私は。
気にしている。
一ノ瀬くんが。
二十四歳であることを。
何度も。
何度も。
意識している。
それは。
一ノ瀬くんが年下だから。
気になるんじゃなくて。
気になっている相手が。
十歳下だった。
「……」
その言葉が。
頭に浮かんだ瞬間。
胸の奥が。
少しだけ苦しくなる。
たぶん。
順番は。
そっちだった。
「……最悪」
椅子の背もたれに。
身体を預ける。
認めたわけじゃない。
好きだなんて。
まだ。
思っていない。
ただ。
もう。
一ノ瀬くんを。
ただの後輩としてしか見ていない。
そう言い切ることも。
できなくなっていた。
一度。
そう思ってしまったら。
今まで。
何でもなかったことまで。
意味があるように見えてしまう。
チャット。
帰り道。
エレベーター。
おかえりなさい。
一緒に食べることを。
一瞬だけ想像した夕食。
「……」
意識したら。
最後。
たぶん。
明日から。
今までと同じようには。
見られない。
そんな気がした。
目が覚めた。
カーテンの隙間から。
朝の光が入っている。
「……」
枕元のスマートフォンを見る。
九時十二分。
今日は休み。
目覚ましも。
かけていない。
「……もうちょっと寝よ」
布団を被る。
目を閉じる。
『十歳下だから好きになっちゃダメなの?』
「……」
目を開ける。
昨日。
友達に言われた言葉。
『じゃあなんで十歳差を気にしてるの?』
「……知らない」
誰もいない部屋で。
答える。
昨日は。
少し飲んでいた。
だから。
余計なことまで話した。
一ノ瀬くんのこと。
同じマンションに住んでいること。
チャットしていること。
モーニングコールしたこと。
そして。
一ノ瀬くんが他の後輩と話しているのを見て。
少し嫌だったこと。
「……」
思い出すだけで。
恥ずかしい。
なんで。
あんなに喋ったんだろう。
『それ、嫉妬じゃない?』
「違う」
また。
声に出す。
違う。
たぶん。
「……たぶんって何」
自分で自分に呆れる。
もう一度。
目を閉じようとした。
そのとき。
スマートフォンが震えた。
「……?」
画面を見る。
悠。
「……」
朝から?
チャットを開く。
悠
『主任、今日休みですよね?』
少しだけ。
考える。
『そうだけど』
送信。
既読。
すぐに返ってくる。
『やっぱり』
『婚礼部めっちゃ静かです』
「……」
思わず。
少し笑う。
『仕事しなさい』
既読。
悠
『してます』
『今休憩です』
『主任いないと質問できない』
『他の人に聞けばいいでしょ』
送って。
止まる。
昨日。
それで。
勝手に機嫌が悪くなったくせに。
「……」
何言ってるんだろう。
悠
『聞いてますよ』
『昨日怒られたんで』
「……?」
『誰に?』
『主任』
『俺が他の人に聞いてたから』
「……」
ベッドの上で。
固まる。
『怒ってない』
既読。
『はいはい』
『ほんと』
『普通だったんですよね』
「……」
覚えてる。
『そう』
悠
『今日も普通ですか?』
『朝からうるさい』
既読。
『元気そうでよかったです』
「……」
何。
その言い方。
返そうとしたところで。
もう一通。
『そういえば昨日の友達』
指が止まる。
悠
『面白い人ですね』
「……」
昨日。
ランニング中の一ノ瀬くんと。
正面から会った。
友達が。
余計なことを言った。
『一ノ瀬くん?』
『さっき聞いたから』
「……」
思い出したくない。
『一ノ瀬くんの話してたってバラした人ね』
送信。
すぐ既読。
悠
『やっぱり俺の話してたんじゃないですか』
「……」
しまった。
『仕事の話』
悠
『ほんとに?』
「……」
既読。
返さない。
悠
『主任?』
返さない。
悠
『絶対仕事だけじゃない』
「……うるさい」
スマートフォンを伏せる。
知らない。
休みの日まで。
なんで一ノ瀬くんとこんな話してるんだろう。
ベッドから出る。
カーテンを開ける。
天気はいい。
せっかくの休み。
今日は。
何も考えない。
一ノ瀬くんのことも。
昨日のことも。
全部。
考えない。
そう決めた。
午前中。
掃除。
洗濯。
溜まっていた家事を終わらせる。
昼前。
近所へ買い物に出る。
特に欲しいものがあるわけじゃない。
服を見て。
雑貨を見て。
一人で昼を食べる。
いつもの休日。
私は。
一人でいるのが嫌いじゃない。
むしろ。
楽。
誰かに時間を合わせる必要もない。
食べたいものを食べて。
行きたいところへ行って。
疲れたら帰る。
ずっと。
それで困ったことなんてなかった。
「……」
スマートフォンが震えた。
鞄から取り出す。
「……」
違った。
友達から。
昨日の写真が送られてきただけ。
『昨日楽しかった!』
『また行こ』
その下に。
『一ノ瀬くんにもよろしく笑』
「……」
『言わない』
送る。
スマートフォンを閉じる。
「……」
何。
今。
一瞬。
誰だと思った?
「……」
考えない。
買い物を続ける。
一時間後。
また通知。
見る。
今度は。
婚礼部のグループチャット。
後輩から。
仕事終わりにご飯へ行こうという話。
「……」
閉じる。
また。
違った。
「……何期待してるの」
小さく呟く。
一ノ瀬くんから。
何か来ると思ってる?
朝。
あれだけ話したのに。
「……」
自分でも。
よく分からない。
夕方。
スーパーへ寄る。
夕食の食材を買う。
今日は。
家で適当に作る。
買い物袋を持って。
マンションへ戻る。
レジデンス・ルミエール月島。
エントランスへ入る。
「主任」
「……え?」
顔を上げる。
エレベーターの前。
スーツ姿の。
一ノ瀬くん。
「おかえりなさい」
「……」
その言葉に。
なぜか。
一瞬。
止まった。
おかえりなさい。
同じマンションなんだから。
別に。
何もおかしくない。
「……ただいま」
答えてから。
また。
止まる。
何。
普通に返してるの。
一ノ瀬くんが笑う。
「今日休みだったのに疲れてません?」
「買い物してたから」
「へえ」
視線が。
私の買い物袋へ向く。
「何買ったんです?」
「食材」
「料理するんですね」
「するよ」
「意外」
「……」
「何ですか?」
「どういう意味?」
「いや」
「私が料理しないと思ってた?」
「主任、家でも仕事してそうだから」
「どんなイメージなの」
「帰ってパソコン開いてそう」
「たまにするけど」
「やっぱり」
「毎日じゃない」
「何作るんです?」
「今日?」
「はい」
「パスタ」
「いいな」
エレベーターが来る。
二人で乗る。
「一ノ瀬くんは?」
「何がです?」
「今日のご飯」
「コンビニです」
「……」
「何その顔」
「ちゃんと食べなよ」
「食べますよ」
「コンビニで?」
「コンビニを馬鹿にしないでください」
「してない」
「便利ですよ」
「知ってる」
「主任のパスタいいなぁ」
「……」
一ノ瀬くんが。
何気なく言う。
「じゃあ主任、作ってくださいよ」
「……」
止まる。
一瞬。
頭に浮かんだ。
私の部屋。
二人。
同じテーブル。
私が作った料理。
一ノ瀬くんが。
向かいに座って。
「……」
何。
想像してるの。
「主任?」
「……嫌」
「遅」
「何が」
「今めっちゃ考えましたよね」
「考えてない」
「三秒くらい止まってました」
「止まってない」
「作ってくれるか悩んだ?」
「違う」
「じゃあ何考えてたんです?」
「何も」
「怪しい」
「コンビニで好きなの買って」
「はいはい」
八階。
音が鳴る。
扉が開く。
「じゃあ主任」
「うん」
「お疲れさまです」
「お疲れ」
「パスタ美味しく作ってくださいね」
「一ノ瀬くんに関係ないでしょ」
「確かに」
笑いながら。
一ノ瀬くんが降りる。
扉が閉まる。
九階。
「……」
十階。
「何考えてるの、私」
十一階。
十二階。
部屋へ戻る。
買ってきたものを冷蔵庫へ入れる。
着替える。
少し休んで。
夕食を作る。
フライパン。
鍋。
一人分。
いつも通り。
「……」
パスタを皿へ盛る。
テーブルへ置く。
座る。
「いただきます」
一口。
「……」
美味しい。
普通に。
美味しい。
でも。
ふと。
思い出す。
『コンビニです』
「……」
何食べてるんだろ。
「知らないし」
食べる。
二口。
三口。
スマートフォンが震えた。
見る。
悠。
「……」
すぐに。
手に取ってしまった。
そのことに気づいて。
少し嫌になる。
チャットを開く。
悠
『主任』
『今日のパスタ何味ですか?』
「……」
覚えてた。
『なんで覚えてるの』
既読。
悠
『さっき聞いたから』
『何味ですか?』
『和風』
悠
『いいな』
『美味しいですか?』
『普通』
既読。
悠
『また普通』
「……」
『美味しいよ』
悠
『食べたい』
「……」
指が。
止まる。
『自分で作れば』
悠
『料理できないです』
『知ってそう』
悠
『ひど』
少し笑う。
そして。
気づけば。
指が動いていた。
『一ノ瀬くん何食べてるの』
送信。
「……」
また。
聞いた。
別に。
聞かなくてもいいこと。
既読。
少しして。
写真が送られてくる。
コンビニのおにぎり。
カップ麺。
サラダ。
「……」
思ったより。
ちゃんと。
いや。
ちゃんとでもない。
『二十四歳だからってそんな食生活してたらダメだよ』
送信。
既読。
しばらく。
返事がない。
「……?」
少しして。
悠
『主任』
『最近俺の年齢よく言いますよね』
「……」
止まる。
昨日。
『二十四歳が人のプリン狙わない』
今日。
『二十四歳だからって』
その前にも。
何度か。
言った気がする。
「……」
気づかれてる。
『気のせい』
送る。
悠
『またそれ』
『普通の次は気のせいですか』
『うるさい』
悠
『主任って』
一度。
表示が止まる。
入力中。
消える。
また。
入力中。
そして。
届く。
『俺が年下なの気になります?』
「……」
指が。
完全に止まった。
画面を見る。
俺が年下なの。
気になります?
昨日。
友達に言われた。
『十歳下だから好きになっちゃダメなの?』
『じゃあなんで十歳差を気にしてるの?』
「……」
返信欄を開く。
『十歳も下だからね』
打つ。
見る。
消す。
『別に』
打つ。
それも。
消す。
何て返せばいいの。
気になる。
気にならない。
どっち?
「……」
結局。
『なんで?』
送った。
既読。
悠
『最近よく二十四歳って言われるから』
『前はそんな言わなかったですよね』
「……」
よく。
見てる。
『気のせい』
送信。
悠
『またそれ』
『絶対なんかある』
『ない』
悠
『じゃあ俺が三十四でも同じですか?』
「……」
心臓が。
一度。
大きく鳴った。
一ノ瀬くんが。
三十四。
私と。
同い年。
昨日。
友達にも。
似たようなことを聞かれた。
『もし同い年だったら?』
答えられなかった。
「……」
チャットを見る。
悠
『主任?』
『質問の意味が分からない』
送る。
苦しい。
自分でも。
分かるくらい。
逃げた。
悠
『じゃあいいです笑』
『深い意味ないんで』
「……」
深い意味。
ない。
そう。
ない。
『ご飯ちゃんと食べて』
送る。
悠
『食べてます』
『主任も』
『食べてる』
悠
『じゃあまた明日』
「……」
『うん』
悠
『おやすみなさい』
『おやすみ』
送信。
既読。
スマートフォンを。
テーブルへ置く。
目の前。
少し冷めたパスタ。
「……」
一ノ瀬くんが。
年下だから。
気になる。
ずっと。
そう思おうとしていた。
十歳下だから。
変に意識する。
十歳下だから。
距離を考える。
十歳下だから。
こういう気持ちになる。
でも。
「……違うのかな」
もし。
本当に。
ただの後輩だったら。
二十四歳でも。
三十四歳でも。
何歳でも。
どうでもいい。
年齢なんて。
気にする理由がない。
なのに。
私は。
気にしている。
一ノ瀬くんが。
二十四歳であることを。
何度も。
何度も。
意識している。
それは。
一ノ瀬くんが年下だから。
気になるんじゃなくて。
気になっている相手が。
十歳下だった。
「……」
その言葉が。
頭に浮かんだ瞬間。
胸の奥が。
少しだけ苦しくなる。
たぶん。
順番は。
そっちだった。
「……最悪」
椅子の背もたれに。
身体を預ける。
認めたわけじゃない。
好きだなんて。
まだ。
思っていない。
ただ。
もう。
一ノ瀬くんを。
ただの後輩としてしか見ていない。
そう言い切ることも。
できなくなっていた。
一度。
そう思ってしまったら。
今まで。
何でもなかったことまで。
意味があるように見えてしまう。
チャット。
帰り道。
エレベーター。
おかえりなさい。
一緒に食べることを。
一瞬だけ想像した夕食。
「……」
意識したら。
最後。
たぶん。
明日から。
今までと同じようには。
見られない。
そんな気がした。