十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第27話 ご飯を食べただけ

第27話 ご飯を食べただけ
翌日。
出勤して。
婚礼部へ入る。
「おはようございます」
「おはようございます」
いつもの朝。
鞄を置いて。
パソコンを立ち上げる。
「水野主任」
「……」
「主任?」
「え?」
顔を上げる。
一ノ瀬くんがいた。
「おはようございます」
「……おはよう」
「何ですか?」
「何が?」
「今、俺の顔見て止まりませんでした?」
「止まってない」
「ほんとですか?」
「朝からうるさい」
「はいはい」
一ノ瀬くんが。
自分の席へ戻っていく。
「……」
昨日まで。
普通に顔を見て話せていた。
なのに。
一度。
意識しただけで。
なんで。
こんなに違うんだろう。
『俺が年下なの気になります?』
昨日のチャット。
『じゃあ俺が三十四でも同じですか?』
「……」
忘れよう。
仕事。
仕事すればいい。
午前中。
打ち合わせが二件。
午後から。
週末の披露宴の最終確認。
忙しい。
考える暇なんてない。
そのはずだった。
「主任」
「なに?」
「ちょっといいですか?」
十四時過ぎ。
一ノ瀬くんが。
ファイルを持ってきた。
初担当の新郎新婦。
「これなんですけど」
「うん」
「昨日、新婦さんからメール来て」
ファイルを開く。
「料理のランクを上げたいらしいんですけど」
「うん」
「でも予算は今の見積もりから、できればあまり上げたくないって」
「なるほど」
「演出を少し減らして料理に回すのがいいかなと思ってるんですけど」
「二人は何を一番大事にしたいって言ってた?」
「来てくれる人に楽しんでもらうこと」
「覚えてるね」
「担当なんで」
「じゃあ、その方向でいいと思う」
「やっぱり?」
「ただ、勝手に演出を削るんじゃなくて」
「二人に選んでもらう」
「そう」
「候補作ったんで見てもらえます?」
「どれ?」
一ノ瀬くんが。
私の横へ来る。
パソコンの画面を。
二人で見る。
「これと」
「うん」
「これ」
「……」
近い。
「あと、こっちを変えると――」
「……」
近い。
肩が。
少し動けば。
触れそうなくらい。
いや。
前から。
これくらいの距離になることはあった。
資料を見るとき。
パソコンを見るとき。
打ち合わせのとき。
何度も。
あった。
一ノ瀬くんが。
近くなったんじゃない。
私が。
おかしくなっただけ。
「主任」
「……」
「水野主任」
「え?」
「聞いてます?」
「聞いてる」
「じゃあ俺今なんて言いました?」
「……」
「聞いてないじゃないですか」
「聞いてた」
「絶対嘘」
「もう一回言って」
「ほら」
一ノ瀬くんが笑う。
「珍しいですね」
「何が?」
「主任が仕事中ぼーっとするの」
「してない」
「してました」
「してない」
「はいはい」
「何」
「普通」
「……」
「主任の真似です」
「仕事しなさい」
「はい」
一ノ瀬くんが。
もう一度。
画面を指す。
「で、こっちなんですけど」
「うん」
今度は。
ちゃんと聞く。
聞く。
聞いてる。
「……」
近いけど。
「主任?」
「聞いてる」
「まだ何も言ってないです」
「……」
一ノ瀬くんが笑う。
「今日変ですよ」
「変じゃない」
「休み明けだから?」
「そうかも」
「昨日ゆっくりしてたのに?」
「……仕事」
「はい」
最悪。
その後は。
忙しさに助けられた。
打ち合わせ。
電話。
メール。
確認。
気づけば。
十九時を過ぎていた。
「お先に失礼します」
「お疲れさま」
一人。
また一人。
婚礼部から。
人が減っていく。
二十時。
「主任、お先です」
「お疲れさま」
「一ノ瀬さんもお疲れさまです」
「お疲れさまです」
最後の後輩が帰る。
静かになる。
残ったのは。
私と。
一ノ瀬くん。
「……」
別に。
珍しくない。
今までも。
二人だけになったことはある。
「主任」
「なに?」
「ここの数字合ってます?」
「見せて」
仕事。
仕事。
仕事すればいい。
二十一時前。
「……終わった」
一ノ瀬くんが。
椅子の背もたれに身体を預ける。
「お疲れさま」
「疲れた」
「初担当持つと増えるでしょ」
「主任これ何件やってるんですか?」
「今?」
「はい」
「七件」
「……」
「何その顔」
「化け物」
「失礼」
「俺一件でこれですよ」
「慣れるよ」
「ほんとですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「私は慣れた」
「十一年目ですもんね」
「そう」
「十一年かぁ」
そのとき。
ぐう。
「……」
「……」
静かな婚礼部。
妙に。
よく聞こえた。
一ノ瀬くんが。
お腹を押さえる。
「……聞きました?」
「聞いてない」
「絶対聞いた」
「聞いてない」
「主任」
「何」
「笑ってる」
「笑ってない」
「笑ってます」
「ふっ」
「ほら」
「ごめん」
「最悪」
「お腹空いたの?」
「昼から何も食べてないんで」
「食べればよかったのに」
「忙しかったじゃないですか」
「まあね」
「主任は?」
「何が?」
「ご飯」
「まだ」
「お腹空いてないんですか?」
「空いてる」
「……」
「何?」
一ノ瀬くんが。
時計を見る。
二十一時前。
「駅前」
「うん」
「まだ店開いてますよね」
「開いてるんじゃない?」
「……」
少し。
間。
「ご飯食べて帰りません?」
「……」
止まる。
二人で?
いや。
何を。
今さら。
一緒に帰ったことは。
何度もある。
同じマンション。
同じ職場。
仕事が遅くなった。
二人とも。
まだ夕食を食べていない。
ただ。
ご飯を食べるだけ。
「主任?」
「……いいよ」
「ほんとですか?」
「私もお腹空いたし」
「やった」
「何食べる?」
「俺なんでもいいです」
「一番困るやつ」
「主任は?」
「軽いもの」
「じゃあ定食」
「軽い?」
「俺の中では」
「二十四歳の胃と一緒にしないで」
言って。
止まる。
また。
年齢。
一ノ瀬くんも。
少しだけ。
こちらを見る。
「……何」
「また二十四歳」
「たまたま」
「はいはい」
「帰るよ」
「はい」
パソコンを閉じる。
二人で。
婚礼部を出る。
ホテルを出て。
駅前。
遅くまで営業している。
小さな定食屋へ入る。
オシャレでもない。
特別でもない。
仕事帰りの人が。
何人かいるだけ。
「ここでいい?」
「全然」
向かい合って座る。
「主任何にします?」
「生姜焼き」
「軽くないじゃないですか」
「うるさい」
「俺、唐揚げ」
「若いね」
「また年齢?」
「言ってない」
「顔が言ってる」
「何それ」
注文する。
料理が来るまで。
少しだけ。
静かになる。
「……」
なんだろう。
いつも。
仕事中は。
いくらでも話せる。
帰り道も。
普通に話せる。
なのに。
向かいに座って。
二人で。
料理を待っている。
それだけで。
妙に。
落ち着かない。
「主任」
「なに?」
「昨日」
「……何」
「友達と二軒目行ったんですよね」
「行ったよ」
「飲みすぎませんでした?」
「大丈夫」
「よかった」
「ちゃんと帰った」
「それは知ってます」
「何で?」
「朝チャット返ってきたから」
「ああ」
「で」
「何」
「俺の話、どこまでしたんです?」
「まだ言うの?」
「気になるんで」
「仕事の話」
「それは聞きました」
「じゃあ終わり」
「絶対それだけじゃない」
「それだけ」
「同じマンションって話もしてたじゃないですか」
「それは流れ」
「俺が二十四ってことも知ってた」
「言ったから」
「名前も」
「名前くらい言うでしょ」
「俺が走ってるの見て、すぐ分かってましたよね」
「何が言いたいの?」
「主任」
一ノ瀬くんが。
少し笑う。
「俺の話、結構したでしょ」
「……」
「したんだ」
「うるさい」
「何話したんですか?」
「言わない」
「悪口?」
「違う」
「じゃあいい話?」
「知らない」
「気になる」
「一ノ瀬くん」
「はい」
「しつこい」
「すみません」
全然。
反省してない顔。
料理が来る。
「いただきます」
「いただきます」
食べる。
「うま」
「美味しい?」
「はい」
「よかったね」
「主任のも美味しそう」
「あげないよ」
「まだ何も言ってない」
「顔が言ってる」
「一口」
「嫌」
「プリンだけじゃないんだ」
「自分の食べなさい」
「はい」
食べながら。
話す。
仕事。
今日の打ち合わせ。
週末の披露宴。
最初は。
そんな話。
でも。
少しずつ。
仕事から離れていった。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「いつも走ってるの?」
「ランニングですか?」
「うん」
「週三くらい」
「そんな走るんだ」
「運動しないと気持ち悪くて」
「へえ」
「主任は?」
「何も」
「何も?」
「何も」
「運動しないんですか?」
「しない」
「意外」
「また?」
「主任、なんかジムとか行ってそう」
「行かない」
「休みの日何してるんです?」
「昨日みたいに買い物したり」
「はい」
「家のことやったり」
「はい」
「たまに友達と会ったり」
「普通ですね」
「悪かったね」
「悪いって言ってないです」
「一ノ瀬くんは?」
「俺?」
「休み」
「走る」
「それ以外」
「寝る」
「私より何もしてないじゃん」
「あとゲーム」
「するんだ」
「しますよ」
「何するの?」
「いろいろ」
「適当」
「主任ゲームしなさそう」
「しない」
「やっぱり」
「あと?」
「え?」
「休みの日」
「気になります?」
「話の流れ」
「それ便利ですね」
「何が」
「主任、困ると全部それ」
「いいから」
「友達と飯行ったり」
「うん」
「買い物したり」
「うん」
「たまに実家帰ったり」
「実家どこ?」
「千葉です」
「そうなんだ」
「知らなかった?」
「知らない」
「主任、俺のこと意外と知らないですね」
「仕事のことしか知らないから」
「まあそうか」
仕事のことしか。
知らない。
その言葉が。
少しだけ。
引っかかった。
私は。
一ノ瀬くんが。
仕事でどう動くか知っている。
何が得意で。
何がまだ分からなくて。
どういうときに。
困った顔をするのかも知っている。
でも。
休みの日。
何をしているのか。
どこで育ったのか。
何が好きなのか。
何を嫌いなのか。
知らないことの方が。
ずっと多い。
「一ノ瀬くん」
「はい?」
「好きな食べ物は?」
「急ですね」
「何となく」
「肉」
「ざっくり」
「焼肉」
「なるほど」
「あとラーメン」
「二十四歳」
「あ」
「……」
「また言った」
「うるさい」
「絶対気にしてる」
「気にしてない」
「じゃあ主任は?」
「何?」
「好きな食べ物」
「……甘いもの」
「知ってる」
「なんで」
「プリン絶対くれないから」
「それだけ?」
「あとケーキ」
「好き」
「やっぱり」
「和食も好き」
「へえ」
「何その反応」
「主任のこと一個知ったなと思って」
「……」
「何ですか?」
「何でもない」
食べる。
ただ。
話しているだけ。
なのに。
少しずつ。
一ノ瀬くんの。
知らなかったところを。
知っていく。
それが。
思っていたより。
楽しい。
「そういえば」
一ノ瀬くんが言う。
「昨日の友達」
「また?」
「主任に彼氏作れとか言わないんですか?」
「……」
思わず。
箸が止まりそうになる。
「言うよ」
「やっぱり」
「昨日も言われた」
「へえ」
一ノ瀬くんが。
唐揚げを食べる。
「主任、彼氏作らないんですか?」
「作るって何」
「いや」
「欲しいと思って作るものでもないでしょ」
「まあ」
「今はいらないかな」
「そうなんだ」
「うん」
「好きな人も?」
「……」
ほんの。
少しだけ。
間が空いた。
「いない」
答える。
一ノ瀬くんは。
私を見る。
「そっか」
それだけ。
追及しない。
なのに。
なぜか。
その一言が。
少し気になった。
「……一ノ瀬くんは?」
「俺?」
「好きな人」
「……」
「この前、秘密って言ってたでしょ」
一ノ瀬くんが。
少し笑う。
「気になります?」
「話の流れ」
「またそれ」
「いいから」
「秘密です」
「……」
「何ですか?」
「何それ」
「前も秘密って言ったじゃないですか」
「そうだけど」
「じゃあ秘密」
「いるの?」
「どうでしょう」
「いないって言ってたじゃん」
「好きな人がいないとは言ってないですよ」
「……」
「主任?」
「何」
「顔怖い」
「普通」
「出た」
「食べるよ」
「はい」
なんで。
また。
少し。
面白くないんだろう。
食事が終わる。
伝票を取る。
「私出すよ」
「え?」
「いいから」
「なんでですか?」
「私が誘った……」
言いかける。
違う。
誘ったのは。
一ノ瀬くん。
「主任?」
「年上だから」
言って。
また。
止まる。
「……」
一ノ瀬くんが。
私を見る。
「また年上」
「何」
「主任、やっぱ最近年齢気にしてる」
「気にしてない」
「じゃあ割り勘」
「いや、でも」
「割り勘」
「私主任だよ?」
「仕事終わってます」
「教育係」
「今仕事の話してないですよね」
「……」
「じゃあ割り勘」
「一ノ瀬くん」
「俺も働いてるんで」
「そうだけど」
「年下だから奢られるの嫌です」
「……」
その言葉に。
少しだけ。
止まる。
年下だから。
「じゃあ」
「はい」
「割り勘」
「はい」
会計を済ませる。
店を出る。
夜。
駅へ向かう。
「美味しかった」
「よかったね」
「主任」
「何」
「また行きましょう」
「……」
「何ですか?」
「今言う?」
「忘れそうだから」
「忘れないでしょ」
「じゃあ覚えときます」
電車に乗る。
月島。
駅を出る。
二人で。
マンションまで歩く。
何度も。
歩いた道。
何度も。
一緒に帰った。
なのに。
今日は。
少しだけ。
違う。
二人で。
ご飯を食べて。
そのあと。
一緒に帰っている。
ただ。
それだけ。
「主任」
「何?」
「今日」
「うん」
「俺のこと結構聞きましたね」
「……そう?」
「休みの日とか、実家とか、好きな食べ物とか」
「話の流れ」
「便利だなぁ、それ」
「何が」
「俺も使お」
「勝手にすれば」
「じゃあ主任」
「何」
「好きなタイプは?」
「……」
「話の流れです」
「全然流れてない」
一ノ瀬くんが笑う。
「じゃあいいです」
「一ノ瀬くんは?」
「え?」
言ってから。
しまったと思った。
一ノ瀬くんが。
こちらを見る。
「気になります?」
「……話の流れ」
「それ禁止にしません?」
「うるさい」
「俺は」
「……」
少しだけ。
間。
「年上でも大丈夫ですよ」
「……は?」
「好きなタイプ」
「年上がタイプなの?」
「別に年齢は気にしないです」
「……」
心臓が。
少しだけ。
強く鳴る。
「何歳上まで?」
聞いてから。
後悔した。
何。
聞いてるの。
一ノ瀬くんが。
少し考える。
「好きになったら関係なくないですか?」
「……」
「十歳とかでも?」
また。
聞いてしまった。
一ノ瀬くんが。
私を見る。
一瞬。
目が合う。
「俺は」
少しだけ。
笑う。
「気にしないですけど」
「……そっか」
「主任は?」
「何が?」
「十歳下」
「……」
「気にします?」
昨日と。
同じ質問。
でも。
今度は。
目の前にいる。
逃げられない。
「……気にするよ」
答えた。
一ノ瀬くんが。
少しだけ驚く。
「やっぱり?」
「十歳だよ」
「十歳ですね」
「大きいでしょ」
「俺はそう思わないです」
「一ノ瀬くんは二十四だから」
「また二十四」
「だってそうでしょ」
「主任」
「何」
「俺、子どもじゃないですよ」
「……」
歩く。
その言葉に。
何も返せなかった。
レジデンス・ルミエール月島。
エントランス。
エレベーター。
二人で乗る。
一階。
二階。
三階。
さっきの言葉が。
残っている。
『俺、子どもじゃないですよ』
分かってる。
分かってるはずなのに。
四階。
五階。
六階。
「主任」
「なに?」
「今日楽しかったです」
「……」
「主任は?」
「ご飯食べただけでしょ」
「それでも」
「……」
七階。
八階。
音が鳴る。
扉が開く。
一ノ瀬くんが降りる。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
「また行きましょう」
「……うん」
答えてしまった。
一ノ瀬くんが。
笑う。
「約束ですよ」
「約束まではしてない」
「今うんって言いました」
「……」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
扉が閉じる。
九階。
「……」
また。
十階。
その言葉が。
思っていたより。
嬉しかった。
十一階。
仕事が遅くなったから。
お腹が空いていたから。
たまたま。
二人とも夕食を食べていなかったから。
一緒に。
ご飯を食べただけ。
十二階。
扉が開く。
降りる。
部屋へ向かいながら。
思う。
また。
一ノ瀬くんと。
ご飯に行く。
その次があることを。
私は。
もう。
少し楽しみにしていた。
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