十年前なら、あなたを好きになれたのに。―10歳下の後輩に本気で恋をしました―

第28話 ただの上司だった

第28話 ただの上司だった
八階。
エレベーターを降りる。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
扉が閉まる。
水野主任の姿が。
見えなくなる。
「……」
俺は。
その場に少しだけ立っていた。
『十歳だよ』
『大きいでしょ』
『……気にするよ』
さっきの言葉が。
頭に残っている。
「……十歳か」
声に出す。
俺は二十四。
水野主任は三十四。
十歳差。
数字だけ見れば。
確かに離れている。
でも。
俺は。
水野主任が十歳上だということを。
ほとんど気にしたことがなかった。
いや。
最初は。
そもそも。
そんなことを考えるような相手じゃなかった。
水野千尋。
婚礼部主任。
最初の印象は。
仕事のできる人。
それと。
ちょっと怖い人。
「ここ、違う」
「え?」
「新郎新婦に出す前に確認した?」
「……してないです」
「してから持ってきて」
「はい」
最初は。
そんな感じだった。
仕事に厳しい。
妥協しない。
細かい。
俺が営業にいた頃。
神崎さんたちの結婚式を。
一緒に担当することになって。
三ヶ月半。
何度も。
婚礼部へ行った。
最初の頃は。
正直。
行くたびに緊張していた。
何か。
間違ってないか。
また。
注意されるんじゃないか。
でも。
一緒に仕事をしているうちに。
少しずつ。
分かった。
怖いんじゃない。
真剣なだけ。
新郎新婦に対して。
結婚式に対して。
一つ一つ。
ちゃんと向き合っている。
それが。
水野主任だった。
「……」
自分の部屋へ入る。
靴を脱ぐ。
上着を脱いで。
ソファへ座る。
スマートフォンを出す。
時間。
二十二時十四分。
チャットを開く。
水野主任。
一番下。
今日の昼に送った。
仕事の確認。
それより上。
昨日。
『俺が年下なの気になります?』
『なんで?』
『最近よく二十四歳って言われるから』
『気のせい』
「……」
気のせい。
なわけない。
最近。
主任は。
明らかに俺の年齢を口にするようになった。
二十四歳。
十歳下。
年下。
前は。
そんなこと。
ほとんど言わなかった。
だから。
聞いた。
『俺が年下なの気になります?』
本当は。
送るか。
少し迷った。
入力して。
消して。
もう一回打って。
結局。
送った。
返ってきたのは。
『なんで?』
答えじゃない。
だから。
もう一つ。
聞いた。
『じゃあ俺が三十四でも同じですか?』
返事は。
『質問の意味が分からない』
「……」
絶対分かってただろ。
ソファの背もたれに。
身体を預ける。
今日だって。
『十歳とかでも?』
あれ。
普通。
聞くか?
年上は気にしない。
そう言ったら。
何歳上まで。
そして。
十歳でも。
「……」
期待するだろ。
そんなの。
でも。
すぐに。
自分で打ち消す。
「自惚れんな」
主任は。
俺の教育係。
婚礼部へ異動してから。
仕事を教えてもらっている。
同じマンションなのは。
偶然。
一緒に帰るのも。
仕事が終わる時間が同じだから。
今日。
二人で飯を食ったのだって。
仕事が遅くなって。
二人とも。
腹が減っていたから。
それだけ。
分かってる。
分かってるけど。
「……」
思い出す。
少し前。
俺が。
他の後輩に仕事を聞いていた日。
朝から。
主任の機嫌が悪かった。
最初は。
仕事で何かあったのかと思った。
でも。
俺が。
別の人の席から戻るたび。
なんとなく。
冷たくなる。
だから。
帰り道。
聞いた。
『朝?』
『俺が仕事聞いてたから?』
主任は。
すぐに否定した。
『全然関係ない』
あれは。
適当に言ったわけじゃない。
本当に。
もしかして。
と思った。
昼休みも。
そうだった。
プリン。
俺が。
後輩からもらった。
その瞬間。
主任の顔が。
少しだけ。
変わった。
だから。
聞いた。
『じゃあ昼?』
『プリンもらったから?』
冗談。
半分。
確認。
半分。
主任は。
『何言ってるの?』
って。
怒った。
「……まさかな」
今でも。
分からない。
嫉妬。
だったら。
嬉しい。
でも。
そんな都合のいい話。
あるわけない。
俺は。
十歳下の後輩。
主任からしたら。
仕事を教えている相手。
たぶん。
それだけ。
「……」
スマートフォンを。
テーブルへ置く。
でも。
また。
思い出す。
昨日。
ランニングしていたとき。
正面から。
主任が歩いてきた。
隣には。
知らない女性。
『……もしかして』
『言わなくていい』
あの時点で。
なんとなく。
分かった。
そして。
『一ノ瀬くん?』
名前を呼ばれた。
俺は。
普通に驚いた。
なんで。
初対面の人が。
俺の名前を知ってるんだ。
『さっき聞いたから』
嬉しかった。
たぶん。
あのとき。
俺は。
かなり嬉しかった。
主任が。
俺のいないところで。
俺の話をしていた。
内容なんて。
本当は。
どうでもよかった。
悪口でも。
仕事の話でも。
何でもいい。
主任のプライベートの時間に。
俺の名前が出た。
それだけで。
嬉しかった。
だから。
何度も聞いた。
『俺の話してたんですか?』
『何話したんですか?』
しつこいって。
怒られたけど。
聞きたかった。
俺のことを。
主任が。
どう話したのか。
知りたかった。
「……」
いつから。
こんなに。
気になるようになったんだろう。
神崎さんたちの案件。
あの頃は。
まだ。
ただの仕事相手だった。
たぶん。
「水野主任」
「何?」
「これ確認お願いします」
「また?」
「またです」
「一ノ瀬くん、自分で一回確認した?」
「しました」
「ほんと?」
「ほんとです」
「じゃあ見る」
そんな会話が。
増えて。
仕事のメールをするようになって。
たまに。
仕事じゃないことも。
話すようになった。
打ち上げ。
主任が。
飲みすぎた日。
「……」
あれは。
大変だった。
本当に。
大変だった。
でも。
嫌じゃなかった。
普段。
あんなにしっかりしてる人が。
全然違って。
珍しくて。
少し。
面白くて。
心配で。
放っておけなかった。
家まで送ったら。
まさかの。
同じマンション。
あれは。
今思い出しても。
意味が分からない。
十二階。
俺は八階。
次の日から。
エレベーターで会うようになった。
朝。
一緒になる。
帰り。
一緒になる。
偶然。
ただの偶然。
でも。
いつからか。
エレベーターに乗ると。
十二階から。
降りてこないかなと思うようになった。
仕事が終わる時間が近いと。
主任も帰るかな。
と思うようになった。
婚礼部へ行けば。
最初に。
主任の席を見るようになった。
「……」
それで。
俺は。
婚礼部へ異動した。
もちろん。
主任がいたから。
それだけじゃない。
神崎さんたちの結婚式を担当して。
婚礼の仕事が。
本当に面白いと思った。
営業とは。
違う。
何ヶ月もかけて。
一組の結婚式を作る。
当日。
二人が笑って。
家族が泣いて。
最後に。
ありがとうって言われる。
あの仕事を。
自分でもやってみたいと思った。
それは。
嘘じゃない。
でも。
「……」
もし。
婚礼部に。
水野主任がいなかったら。
俺は。
同じように。
異動したいと思ったんだろうか。
「……分かんね」
答えは。
出さない。
というより。
出すのが。
少し怖い。
婚礼部へ異動して。
主任が。
教育係になった。
嬉しかった。
普通に。
嬉しかった。
質問する理由ができた。
話しかける理由ができた。
仕事が終われば。
一緒に帰れる日も増えた。
でも。
ずっと。
それを。
仕事だから。
そう思っていた。
「……」
今日。
初めて。
二人で飯を食った。
デートじゃない。
仕事終わり。
ただ。
飯を食っただけ。
それなのに。
楽しかった。
主任から。
いろいろ聞かれた。
休みの日。
実家。
好きな食べ物。
好きなタイプ。
『主任、俺のこと意外と知らないですね』
俺が言ったら。
『仕事のことしか知らないから』
そう返ってきた。
あのとき。
少し。
思った。
じゃあ。
仕事以外の俺も。
知ってほしい。
「……」
ソファから。
身体を起こす。
何考えてるんだ。
俺。
スマートフォンを見る。
チャット。
送りたい。
『今日はありがとうございました』
違う。
それは。
なんか。
仕事みたいだ。
『楽しかったです』
それも。
さっき言った。
『また行きましょう』
それも。
言った。
しかも。
主任は。
『うん』
って。
答えた。
「……」
思い出して。
少し笑う。
約束まではしてない。
って。
すぐ否定されたけど。
うん。
って言った。
「……また行けるんだよな」
声に出して。
気づく。
俺。
楽しみにしてる。
次。
主任と。
二人で飯を食うことを。
スマートフォンを置く。
風呂に入る。
着替える。
ベッドへ入る。
照明を消す。
「……」
暗い部屋。
目を閉じる。
今日。
向かいに座っていた主任。
生姜焼きを食べて。
俺の唐揚げを見て。
若いね。
って言った。
好きな人はいない。
そう言った。
少し。
間があったけど。
いない。
って。
言った。
「……」
嬉しかった。
その答えを聞いて。
俺は。
嬉しかった。
その時点で。
たぶん。
もう。
答えなんて。
出てる。
水野主任は。
十歳上。
俺の上司で。
教育係で。
同じマンションの。
十二階に住んでいる人。
最初は。
それだけだった。
仕事のできる人。
少し怖い人。
頼れる人。
いつから。
変わったんだろう。
いつから。
婚礼部へ行けば。
主任を探すようになった。
いつから。
チャットが来ると。
嬉しくなった。
いつから。
一緒に帰れると。
少し得した気分になった。
いつから。
他の男の話なんて。
聞きたくないと思うようになった。
いつから。
十歳差なんて。
どうでもいいと思うようになった。
「……」
好きなのか。
そう聞かれたら。
少し前なら。
分からない。
って。
答えたと思う。
でも。
今は。
たぶん。
もう。
否定できない。
俺は。
水野主任のことが。
好きなんだと思う。
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